タグ:兵庫県播磨地区 ( 57 ) タグの人気記事

2009年 02月 21日
旧加古川町公会堂(加古川市立図書館)
加古川の近代建築その3

JR加古川駅から中心街を南へ進んで程なく、住宅街の公園に隣接してクラッシックな装いの図書館が見えて来ます。この建物は旧加古川町公会堂として昭和10年に建てられました。設計:置塩 章
f0116479_16515973.jpg

現在のJR加古川駅周辺は旧加古川町に該当する地域で、商工業の中心地として発展しました。駅からこの公会堂周辺にかけては多くの公共施設や行政機関が置かれ、都市化の進んだ一帯でした。
f0116479_16463640.jpg

加古川の市制移行は戦後の昭和25年ですので、この建物が建てられた当時はまだ加古川町の時代でした。古くからの宿場町であり、播磨の交通の要衝として栄えた加古川は明治以降もその役割を強めて行きます。播州平野の綿作を背景とした織物業や手工業が盛んだったこの地は明治39年に日本毛織が進出したことによって近代工業都市として更なる発展を遂げ、財政面でも豊かな町となっていました。
早くから市制が敷かれた神戸と姫路に挟まれた加古川ですが、この公会堂の立派な造りを見れば両市に引けをとらない近代的な町だった事が覗えます。
f0116479_1653816.jpg

f0116479_17495379.jpg

f0116479_16545688.jpg

公会堂らしく正面ファサードは特に豪華に飾られています。車寄せを持つ玄関アプローチ、長く突き出した庇、大きなステンドグラス、シンメトリーの中央に聳える塔屋等々いかにも置塩章らしいゴシック様式の重厚なデザインになっています。
f0116479_176401.jpg

f0116479_1765323.jpg

f0116479_1771636.jpg

f0116479_1775616.jpg
f0116479_1784762.jpg

f0116479_1792183.jpg

f0116479_1794618.jpg

f0116479_17101262.jpg

f0116479_17242189.jpg

建物側面です。縦長窓の上にアーチ窓がバランス良く並びます。軒下に並ぶ丸窓は換気口と思われます。
f0116479_17221138.jpg

f0116479_17224243.jpg

建物内部、2階へ上る階段。滑らかな曲面で仕上げられた手摺はこの時代らしい特徴です。
f0116479_17281591.jpg
f0116479_17282893.jpg

2階のロビーからは正面の美しいステンドグラスが目近に見て取れます。
f0116479_17294547.jpg

f0116479_1734182.jpg

加古川公会堂は播磨を代表する公会堂として長年使われた後、改装によって市立図書館に生まれ変わりました。
文化の薫り漂う建物の雰囲気も良くマッチしており、地域の中心施設として親しまれたこの建物の利用法として、図書館は最適の転用事例だったと思います。
f0116479_17353157.jpg


by sunshine-works | 2009-02-21 18:16 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 02月 17日
多木浜洋館(あかがね御殿)
加古川の近代建築その2

別府川が海へ注ぐ多木浜にあかがね御殿と呼ばれる大きな洋館が建っています。この建物は前回紹介した多木製肥所の迎賓館として昭和8年に建てられました。
f0116479_19245487.jpg

木造3階建て(一部4階建)の巨大な建物です。外壁にびっしりと張られた銅板、長く突き出した各窓の庇、複雑に重なり合う屋根、洋とも和ともつかない独特の意匠等々、今まで見て来た洋館とは趣を異にする何ともユニークな外観です。
f0116479_19253592.jpg

f0116479_19261842.jpg

f0116479_19271454.jpg

f0116479_19282023.jpg

f0116479_1928385.jpg

f0116479_1929554.jpg

現在壁面の銅板は緑青が噴いていますが、竣工時はその名の通りあかがね(銅)色に光輝いていました。
日本一の肥料会社の創業者として大成功を収めた多木久米次郎が、威信を掛けて築いたこの建物は、地域の人々にも来訪者にも相当にインパクトを与えた建物だった事は想像に難くありません。
周囲に大きな建物が無かった当時、別府の駅や山陽電鉄の車窓からその威容が望めただけでなく、沖を行く船舶からも日を浴びて煌く巨大な楼閣がその目に映った事でしょう。
f0116479_19295794.jpg

デザイン的には均整や洗練といった形容と無縁の、「奇想建築」と言える建物です。どこにも類を見ない独創的なその姿は異界の御殿を連想させます。
f0116479_19325439.jpg

f0116479_19331899.jpg

f0116479_1938440.jpg

f0116479_1935022.jpg

敷地の北側には石造りの門が煉瓦壁に連なります。
f0116479_19433039.jpg

f0116479_1944221.jpg

f0116479_19443345.jpg

f0116479_1945923.jpg

f0116479_19465085.jpg

f0116479_1947886.jpg

f0116479_19472875.jpg

広い敷地の外から眺めた建物東面。敷地は多木化学の系列法人が運営する幼稚園として使われています。
f0116479_19555293.jpg

同じく建物南面の遠景
f0116479_19563665.jpg

建物の西隣に建つ大きな石碑。元々は多木久米次郎の銅像が建っていたのですが、戦時中に供出されてしまいました。碑文には肥料王ならぬ肥料主の文字が刻まれています。さすがに自ら王と称するのには遠慮があったのでしょうか。
f0116479_2045544.jpg

f0116479_2051923.jpg

f0116479_2075463.jpg

功成り名を遂げた多木久米次郎はこの建物を15年の歳月と莫大な建造費を費やして完成させます。成功を収めた実業家が巨費を投じて豪邸を構えるのは世の倣いですが、ここまで独創的な建物は例がありません。
竣工当時は特異な姿で注目されたこの建物も、築70年以上(起工からは80年以上)経た今は浜の名物としてすっかり風景に溶け込んでいます。
f0116479_2082465.jpg


by sunshine-works | 2009-02-17 21:47 | 近代建築 | Trackback(2) | Comments(9)
2009年 02月 13日
多木化学本社建物
加古川の近代建築その1

近代建築Watch 兵庫県播磨編は今回から加古川市を巡ります。
明石と姫路の中間に位置する加古川は幕末までは農業と漁業を中心とした地域でしたが、明治以降は多くの工場が進出し、工業都市として発展していきます。加古川の近代建築その1は加古川の発展に大きな役割を果たした企業に纏わる建物を紹介します。

山陽電鉄別府駅から港へ向かう途中に黒塗りの洋風建築が見えてきます。この建物は多木化学株式会社の前身である多木製肥所の本社として建てられました。
f0116479_1929249.jpg

多木製肥所は日本で最初の近代肥料会社としてこの地で創業されました。
同社は創業者の多木久米次郎の発案になる骨粉肥料の製造を手始めに各種化学肥料を開発し、やがて全国規模の大会社に発展していきます。この建物は同社が大きな成功を収めた後の大正4年に新たな本社建物として創業者の生家傍に建てられたものです。
f0116479_19302330.jpg

全面を黒く塗った下見板貼りの木造2階建、事務所らしく階高の高い、かなり大きな建物です。軒には同社のシンボルである鋤のマークを巡らせています。
f0116479_1933344.jpg

f0116479_19342078.jpg

f0116479_19351227.jpg

f0116479_19345039.jpg

f0116479_19363337.jpg

f0116479_19412464.jpg

f0116479_19354352.jpg

突き出した長い庇が特徴の玄関。両脇には灯篭や石像が飾られています。
f0116479_19484692.jpg

f0116479_19491766.jpg

f0116479_19502635.jpg

f0116479_19504756.jpg

f0116479_19512510.jpg

この石臼のレリーフはかつて獣骨を挽いて肥料を作る際に用いられていたもので、同社の起源とも言うべき存在です。
f0116479_19521715.jpg

寄棟の大きな屋根の東西に明取り用の屋根窓が設けられています。
f0116479_2062146.jpg

f0116479_2071644.jpg

自然由来の肥料しかなかった時代に現れた化学肥料は農業生産を飛躍的に増大させ、以来日本の農業の大きな支えとなっていきます。総合化学メーカーへと発展した同社ですが、歴史あるこの建物を現在も本社として守り続けています。
f0116479_19335997.jpg


by sunshine-works | 2009-02-13 20:41 | 近代建築 | Trackback | Comments(3)
2009年 02月 09日
旧二見村役場(東二見市民センター)
明石の近代建築その4

山陽電鉄東二見駅から南方向へ進んで程なく、コーナーに美しいアールを描くモダンな建物が見えてきます。この建物は旧二見村の役場として昭和13年に建てられました。
f0116479_21162282.jpg

この村役場が建てられた昭和13年当時、都市部に於いてはこのようなモダンデザインの建物は新奇な存在ではありませんでした。商業施設や学校建築、個人住宅など多くの建物に採り入れられ、従来の古典様式に代わる新しいスタイルとして広がりを見せていました。しかし、都市部以外の地域はまだまだ従来様式の建築スタイルが主であり、地域の町並みには馴染みの薄いものと思われていました。
神戸に近いとは言え、漁業と農業中心の長閑な村だった二見村にこのような斬新な役場が建てられた経緯は不明ですが、当時としてはかなり思い切った決断だった事と思います。デザインも凝っていますが村役場としてはかなり大きな建物でもあります。財政面でも豊かな村だったようです。
f0116479_21205790.jpg

大きなガラス面を持つ半円形の階段室がこの建物の特徴です。この時代の学校建築に類似のデザインがありますが、この建物はその特徴が際立って見えます。
f0116479_21225581.jpg

f0116479_21222027.jpg

f0116479_21232442.jpg

f0116479_21234567.jpg

f0116479_21373624.jpg

側面から見ると階段室の幅はかなり狭いのが判ります。まさに階段の幅分しかありません。
f0116479_21243628.jpg

f0116479_2125476.jpg

他の特徴として、随所に丸窓が使われています。漁業の町故に船に因んでの事なのでしょうか。全体の印象も船をモチーフにしているように見えます。
f0116479_21263516.jpg

f0116479_2127355.jpg

f0116479_21272911.jpg

f0116479_2138206.jpg

窓枠はすっかり換えられていますが、この面格子は竣工当事の物と思われます。
f0116479_21282163.jpg

f0116479_21284353.jpg

建物中央に設けられた玄関。石組のがっしりした構えですが飾りが少なく簡素な印象です。
f0116479_21291354.jpg

f0116479_21293363.jpg

f0116479_21295079.jpg

f0116479_21301874.jpg

現在の感覚ではこの種の建物に特段の物珍しさは感じませんが、都会を離れた漁村の一角に突然現れた個性的な建物には誰もが驚いた事と思います。竣工したのは戦時体制に向かう直前の時期でしたのでこれ以降は建築物自体が統制されていきます。おそらく戦前に建てられた町村役場としては最もモダンな庁舎だったのではないでしょうか。
f0116479_21305894.jpg


by sunshine-works | 2009-02-09 21:42 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 02月 04日
茨木酒造洋館
明石の近代建築その3

山陽電鉄魚住駅から南西方向、海に近いこの一帯は江戸時代から続く酒造地帯です。最盛期には魚住から江井ケ島にかけて多くの造り酒屋が並び、西の灘と言われる程の賑わいを呈していました。現在その数は10件ほどに減ってしまいましたが黒塀に囲まれた昔ながらの風情ある酒蔵の風景が見られます。その中の一軒、茨木酒造の入口横に一棟の洋館が建っています。現在同社の事務所として使用されているこの建物は大正後期に建てられたものです。
f0116479_19302543.jpg

新酒の出来上がりを知らせる杉玉が飾られた小さな建物です。下見板貼りのいわゆる擬洋風建築と呼ばれる建物ですが、この種の洋館に多いコロニアル様式の凝った装飾は見られず、入口のぺディメントと1階・2階の間に施されたコーニス(蛇腹)が洋館らしい特徴となっています。
f0116479_19332810.jpg

f0116479_19323849.jpg

f0116479_1935465.jpg

正面入口と思われますが不釣合いな鉄扉が取り付けられています。倉庫的な使い方をされていたのでしょうか。
f0116479_1935715.jpg

f0116479_19351986.jpg

f0116479_19361694.jpg

f0116479_19363164.jpg
f0116479_19365756.jpg
f0116479_19371383.jpg

建物北側です。2階の大きな窓はサッシに入れ替えられていますが右上の小さな窓は昔のままのようです。屋根瓦は擬洋風建築らしく和瓦が使われています。
f0116479_1942159.jpg

f0116479_1943319.jpg

f0116479_19433399.jpg

畑の向こう側に続く酒蔵。この建物もかなり古いものと思われます。
f0116479_207350.jpg

建物横の門から酒蔵がある敷地内に入ります。酒の直売所もあって自由に出入りする事ができます。
f0116479_19472213.jpg

敷地内から眺めた南面。
f0116479_1948164.jpg

f0116479_19483530.jpg

f0116479_1949611.jpg

灘に劣らず盛んな酒造地帯だった魚住周辺ですが、全国ブランドの灘酒には効し難く、やがて多くの銘柄が消えて行ってしまいました。
古い酒蔵とコントラストを成す白塗りのモダンな洋館は、この地で伝統を守り続ける蔵元のシンボルとして一際目を惹く存在となっています。
f0116479_207332.jpg


by sunshine-works | 2009-02-04 20:31 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2009年 01月 31日
旧小久保跨線橋
明石の近代建築その2

JR西明石駅北西の上ヶ池公園の片隅に一連のアーチ橋が置かれています。この橋は西明石駅の跨線橋だったものを当地に移設したものですが、元々は明治中期に架けられた九州鉄道の鉄道橋でした。
f0116479_1755312.jpg

昭和2年に九州から移設し跨線橋として平成6年まで使用され、新しい橋の架設に伴いこの公園に移されました。
f0116479_175754.jpg

橋の種類としてはボーストリングトラスと呼ばれる鋼橋で明治期に多く架けられた古いタイプの橋です。
九州鉄道(九州に最初に鉄道を敷設した私鉄で後に国営化)は明治20年代から30年代初期にドイツからこのタイプの橋を多数輸入し自社の路線に架設して行きました。この時に架けられた同社のボーストリングトラス橋の多くは九州鉄道での使命を終えた後も他所に移設され、様々な用途の橋として転用されます。100年以上を経た今日もこの橋の姉妹(兄弟)が各地に現存しています。
*詳細はこちらのサイトをご覧ください。
ドイツ ハーコート社製のこのタイプの橋は後進国でも技術的に対応出来る様に工法が工夫され、日本以外にも当時の発展途上国に数多く輸出されていたそうです。
f0116479_180389.jpg

f0116479_1801956.jpg

2連あった橋の1連が公園内の散策路の一部となっています。平地に設置され、もはや橋としては使われていません。
f0116479_182176.jpg

保護の為なのか安全の為なのか両サイドに手摺が付けられているのが目障りなところですが、鉄骨の質感とトラスの造形美に魅了されます。橋の細部をこれほど真近で観察出来る所はそうはありません。
f0116479_1832417.jpg

f0116479_1841321.jpg

f0116479_1845540.jpg

f0116479_1851777.jpg

f0116479_188918.jpg
f0116479_1883169.jpg

f0116479_188598.jpg

補修を施されているとは思いますが、明治中期の橋とは思えない良好な状態です。
f0116479_18558100.jpg

f0116479_187324.jpg

各部の接合にボルトとピンを多様しているのが特徴です。足元などは橋と言うより機械装置の様です。
f0116479_18101736.jpg

f0116479_18104259.jpg

f0116479_18111340.jpg

近代土木技術の発展によってこの形式の橋は廃れてしまいましたが、黎明期の地方鉄道を支え、その後も各地で生活に密接に結びついた橋として100年以上も現役を勤めた功績は多大なものがあります。
f0116479_1813357.jpg


by sunshine-works | 2009-01-31 18:52 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 01月 27日
旧明石女子師範学校付属小学校
明石の近代建築その1

明石海峡大橋を戻り、西へ探訪を進めます。神戸市の西隣の明石市は城下町として栄え、明治以降も西播磨の中心都市として発展を続けました。神戸の先進的な文化の影響を受けて早くから都市化が進み、近代的な建築物も数多く建てられて行きました。明石の近代建築その1は現在も現役施設として使われている学校建築を紹介します。
f0116479_19342465.jpg

明石駅の北東、明石城の城跡から程近い閑静な一角に建つこの校舎は旧明石女子師範学校の付属小学校として建てられました。昭和12年築。
f0116479_19381661.jpg

明治政府によって定められた師範学校令により全国主要都市に師範学校が建てられていきます。兵庫県内には神戸市に兵庫第一師範学校、姫路市に兵庫第二師範学校が置かれていましたが、県内3番目の師範学校として明治35年に設立されたのが女子教員の養成機関である明石女子師範学校でした。明治37年には同校の実習校としてこの付属小学校が開校しています。
f0116479_20304082.jpg

控えめで極めてオーソドックスなデザインです。庇や軒のコーナーに付けられた緩いアールが時代を感じさせますが、それ以外は今日良く目にする一般的な学校建築と然程変わらない印象を受けますま。
f0116479_20382519.jpg

f0116479_20384250.jpg

f0116479_1939965.jpg

f0116479_20393591.jpg

とは言え、やはり玄関周りにはしっかり装飾が施されています。
f0116479_20411043.jpg

f0116479_2042431.jpg
f0116479_20412923.jpg

f0116479_20423684.jpg

f0116479_2043186.jpg

f0116479_20413891.jpg

f0116479_20434480.jpg

f0116479_20441134.jpg

ガラス越しに玄関内部を覗って見ました。
f0116479_20451791.jpg

玄関の対面、校庭側の様子です。
f0116479_2047776.jpg

f0116479_20475840.jpg

f0116479_20485048.jpg

f0116479_20491331.jpg

f0116479_20515126.jpg

大きなアーチ窓を持つこの棟は体育館か講堂と思われます。
f0116479_20502494.jpg

f0116479_20504591.jpg
f0116479_20512540.jpg

f0116479_20521440.jpg

こちらは校舎の東端です。
f0116479_20534879.jpg

f0116479_20541316.jpg

楕円形の柱や庇の緩やかなカーブはいかにも昭和初期のデザインです。
f0116479_20574589.jpg

戦後間もなく師範学校制度は廃止され、明石女子師範学校は神戸大学教育学部に発展して行きます。付属小学校も神戸大学教育学部付属明石小学校として歴史ある校舎を守って来ました。
現在この付属小学校は神戸大学の付属校再編計画で募集停止となっているのですが、校舎の今後ははたしてどうなるのでしょうか。
f0116479_2122479.jpg


by sunshine-works | 2009-01-27 21:31 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)