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2009年 06月 28日
旧赤穂塩務局庁舎
赤穂の近代建築

兵庫県の最西部、赤穂は古来より塩の産地として知られた地でした。現在は赤穂市民族資料館として使われているこの建物は赤穂塩務局として明治41年に建てられました。
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明治38年に施行された塩専売法に伴い全国の塩産地に塩務局庁舎が建てられましたが、この建物は規模や豪華さに於いて、さすが大産地赤穂の庁舎と言った風格があります。木造下見板張、細部に和の意匠が混ざり合った偽洋風の建物です。
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正面側の詳細をもう少し
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ギリシア式のオーダー柱を配した玄関。窓のグリルも非常に手の込んだ物です。
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現在の入り口となっている右側玄関から中へ。館内は民族資料館として公開されています。
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この建物に特徴的なのがハンマービームと呼ばれる構造です。壁から突き出た梁から伸びた桁材で上層の梁を支えます。
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建物裏手からの眺めです。
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本館の裏手には煉瓦の書庫と木造の塩倉庫も現存しています。
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全国の塩産地の中でも特上品だった赤穂の塩業も、やがて機械式製塩法の普及によってその地位は失われてしまいますが、今なお残るこの素晴らしい庁舎はかつてこの地が日本の製塩業の中心地だった事を後世に伝えています。
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by sunshine-works | 2009-06-28 23:52 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 06月 24日
旧龍野醤油醸造組合本館(うすくち龍野醤油資料館別館)
龍野の近代建築その2

うすくち龍野醤油資料館(旧菊一醤油本社建物)の近くに、同資料館別館が建っています。この建物は大正13年に旧龍野醤油醸造組合の事務所として建てられたものです。
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木造モルタル造、外壁には煉瓦タイルが貼られています。石柱で飾られた玄関ポーチや軒のテラコッタ、2階の大きなアーチ窓、垂直ラインの強調表現等、手の込んだ装飾が美しい建物です。
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敷き詰められたタイルが美しい玄関部分。
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玄関の上部はスクラッチタイル貼りです。後年に増築された部分なのでしょうか?
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装飾豊かな正面と比べると、裏面はこのようにまったく飾り気がありません。まるで別の建物のようです。
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館内には醤油に関する資料や器具が展示されています。
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古い町並みに建てられたモダンな醤油醸造組合の建物は、長い間、醤油の町龍野のシンボル的存在でした。昭和48年に組合事務所が移転した後は醤油資料館別館として使われています。町の発展を支えてきたこの由緒ある建物にとって、まさにうってつけの利用方ではないでしょうか。
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by sunshine-works | 2009-06-24 21:10 | 近代建築 | Trackback | Comments(1)
2009年 06月 20日
旧菊一醤油本社(うすくち龍野醤油資料館)
龍野の近代建築その1

姫路からJR姫新線で北西へ25分、旧龍野藩の城下町だった本竜野は現在も古い町家や武家屋敷が残る歴史ある街です。播磨の小京都と呼ばれる龍野は醤油の産地としても有名で、関西特有のうすくち醤油発祥の地とされています。現在も多くの醤油工場が残るこの龍野の古い町並みに旧醤油会社の建物を利用した資料館が開かれています。この建物は、ヒガシマル醤油の前身である菊一醤油造合資会社の社屋として昭和7年に建てられました。
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煉瓦造りに見えますが、木造モルタルに石とタイルを貼っています。1階に並ぶ二つの大きなアーチや軒のメダリオンが印象的なセッセション風のデザインです。
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大きな窓の内側です。柔らかな日差しが注ぎます。
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この建物の向かい側にも同社の旧社屋が建っています。意匠は異なりますがこれも昭和初期の築と思われます。
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全国に小京都と呼ばれる古い城下町は数多くありますが、中でも龍野の町並みは他を抜きん出てすばらしいものがあります。コンビ二もファストフード店も無く、古い日本家屋が並ぶ中に異彩を放つ洋風建物ですが、しっくり馴染んでいるように見えるのも不思議な気がします。
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by sunshine-works | 2009-06-20 19:20 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 06月 16日
相坂隧道
姫路の近代建築その17

姫路の北部、県道80号線の山中に大正時代に掘られた煉瓦造りのトンネルが現用施設として使われています。大正10年に竣工したこの相坂隧道は地元の香呂村の事業として村民の手作業によって築かれました。
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播州平野の中心都市として栄えた姫路の町ですが、合併によって広がった市域の北部は丘陵地帯がその大半を占めています。道路や鉄道が整備された今日では姫路中心部からこれらの地域まで短時間で往来が可能ですが、以前は険しい峠道を幾つも越えていく大変な苦労が伴いました。
当時の村民にとって交通路の整備は何よりも切実な願いでした。
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セメントの使用を抑えて煉瓦を多用しています。地方の小規模なトンネルなのですが、手の込んだ装飾が見事です。
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自動車1台がやっと通れる位の狭いトンネルです。当然歩道などありません。
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部分的に補修されている跡もありますが大部分は俊工事のままと思われます。
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全長約70メートル、1分もかからず反対側へ抜けます。こちらは西面の様子です。
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このトンネルが掘られた経緯についてはこちらの記事が参考になります。小さな村にとって相当な財政負担だったようですが、もたらされた恩恵はそれを上回るものでした。
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by sunshine-works | 2009-06-16 20:25 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2009年 06月 12日
山陽本線市川橋梁
姫路の近代建築その16

西へ向かうJR山陽本線は姫路市街に差し掛かる手前で大きな川を渡ります。この山陽本線市川橋梁は、国有化される前の旧山陽鉄道時代の明治23年に掛けられました。
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川自体の幅はそれほど広くはないのですが、両岸の川原がかなり広く、橋の長さは550メートルもあります。煉瓦の橋脚に鋼製の橋桁を乗せていくシンプルな構造ゆえに見た目は地味な印象ですが、竣工当時のままの煉瓦橋脚が自然と一体となったすばらしい景観を織り成しています。
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兵庫駅を基点に敷設が進められた山陽鉄道は明治21年にまず明石まで開通します。兵庫-明石間は市街地が続き比較的平坦だったのですが、明石から西への延伸では加古川、市川、揖保川と順次大きな川を渡る事となります。西へ向かうにつれて大規模な工事の連続となり、民営企業だった山陽鉄道にとって大きな負担となった事と思われます。この橋が構造が簡単な桁橋で掛けられた大きな理由は経済性に優れた為と言われています。
*参考:神戸新聞
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ほぼ竣工当時のままの橋脚部分に比べると橋桁部分はその後に交換された物が多いのですが、竣工時の桁も残っているようです。とはいえ、後年の物も同じような規格で作られているので一見しただけでは区別がつきません。
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狭い間隔で林立する煉瓦橋脚が桁下に延々と続きます。
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流れも緩やかで浅い川です。上流側の尖った部分は水流を分ける「水切り」と言うそうです。
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明治21年に姫路まで伸びた山陽鉄道は、その13年後に下関まで開通します。この後、姫路以西には更に大きな橋が掛けられていきますが、この市川橋梁の技術はその後の山陽鉄道の架橋の雛形として活かされる事となります。
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by sunshine-works | 2009-06-12 21:39 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 06月 08日
網干商工会館
姫路の近代建築その15

網干の中心部から西へ、揖保川沿いの通りに面してモダンな建物が見えてきます。この建物は網干商工同友会の施設として昭和15年に建てられました。
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一見すると見落としてしまいそうな建物ですが、タイルで飾られた柱や腰周りに貼られたスクラッチタイル、2階の丸窓、玄関上のバルコニー、側壁を覆う蔦、赤い瓦屋根等々、只ならぬ気配を感じさせる建物です。
窓枠はサッシに変えられていますが、その他各部はおそらく竣工時のまま、色褪せ加減がちょうど良い風合いを醸しています。
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玄関の柱は全面にタイルが貼られています。
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空襲の被害を受けなかった網干は古い町並みが戦後も残されました。都市化の波も緩やかだった為に町全体に古き時代の雰囲気が色濃く残っており、このような施設が現役で使われている事に何の不思議も感じさせません。
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1階正面外壁のスクラッチタイル
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壁面はびっしりと蔦で覆われています。特に北側は窓を塞ぐほどに茂っています。
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残念ながら中を見ることはできませんでした。ガラス漉しに内部を一枚。
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大都市でも地方都市でも、いわゆる「商工会」の建物は様々に意匠を凝らした物が多いようです。網干は然程大きな町ではなかったのですが、都会にひけを取らないこのモダンな商工会館が建った背景に当時の網干の勢いを感じます。
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by sunshine-works | 2009-06-08 21:11 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 06月 04日
旧赤穂塩務局網干出張所
姫路の近代建築その14

兵庫県の瀬戸内海沿岸地域は古代から製塩業が発達した地でした。入浜式製塩に欠かせない条件である乾燥した気候と遠浅の海岸線に恵まれた姫路にも多くの塩田が作られ、県内では赤穂と並ぶ塩の主産地となっていました。これらの塩田施設は、近代製塩技術の発達によって姿を消してしまいましたが、唯一当時の名残を示す建物が現存しています。現在は民間企業の社屋として使われているこの建物は、赤穂塩務局網干出張所として明治後期に建てられたものです。設計:大蔵省営繕課
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この建物の築年については資料が乏しく詳細は不明ですが、明治38年の塩の専売化に伴って全国の主要な塩産地に塩務局が設置されて行った時期の物と思われます。
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飾り気の無い、あっさりした印象の建物です。屋根に設けられた通風窓や入口庇の装飾表現がアクセントとなっていますが、いかにもこの時代の地方役場といった風情です。
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建物の左右に入口が設けられています。こちらが主玄関と思われます。
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建物側面。妻部分のアーチ型の換気口が良い雰囲気です。
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全国の塩田地帯に建てられた旧塩務局の局舎ですが、専売制度が廃止されて10年以上を経た今日も転用されて生き永らえている建物が幾つか残っています。
明治時代の木造建物を現用施設として使い続ける手間隙は大変な事とは思いますが、この建物等は殆ど当時のままの姿が保たれており、建築資料的価値は相当高いと思われます。赤穂の旧塩務局は別格として、このように小規模な局舎も各地の製塩の歴史を留める意味からも、積極的に保護していくべきではないでしょうか。
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by sunshine-works | 2009-06-04 20:49 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2009年 05月 31日
ダイセル化学工業網干工場
姫路の近代建築その13

現在は工業用化成品を製造しているダイセル化学工業網干工場ですが、その始まりは日本セルロイド人造絹糸として設立された、日本のセルロイド製造の草分けとなる工場でした。今回は明治42年に操業開始したこの工場敷地内に残る工場開設当時の建物を紹介します。設計:設楽貞雄
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今日一般的にプラスチックと総称される合成樹脂は石油由来の製品が大多数を占めていますが、大正から昭和の半ば頃まではその役割の殆どをセルロイドが担っていました。
原料である樟脳の主生産地台湾を領土としていた日本はその優位性のもとにセルロイド製造業が発達し、最盛期には世界シェアの40%を占める大生産国となります。
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揖保川の河口の広大な敷地に建てられたこの工場内には創建当時の物と思われる工場建物、倉庫、汽罐室や事務館が多数確認できます。これらの殆どは耐火性を考慮して煉瓦で造られています。セルロイドはその製造過程のみならず製品自体も発火し易い特性がある為に厳重に防火対策が取られていましたが、それでも火事や爆発事故が多発したようです。
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此等の古い建物の幾つかは閉鎖されています。窓は破れ、鉄部も腐食し今にも朽ちてしまいそうです。
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この工場を設計した設楽貞雄は独立して神戸に設計事務所を興し、関西中心に数々の作品を残しました。代表作の初代通天閣や神戸新開地の劇場「聚楽館」、多くの個人住宅、商業施設、事務所ビル、工場施設に至るまで非常に幅広いジャンルの建築設計を手掛けています。
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敷地の外縁部、煉瓦の高い煙突を持つ大きな建物が一際目に付きます。汽罐室(ボイラー室)、あるいは発電施設と思われます。同じく設楽貞雄が設計した日本毛織加古川工場にも良く似た建物が残っています。
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大正8年、国内のセルロイド製造8社が合併し大日本セルロイド株式会社が発足します。日本セルロイド人造絹糸網干工場は新会社の大日本セルロイドの主力工場として、戦前戦後を通じて日本を代表する輸出品であったセルロイド加工品の根幹を支えて行きました。
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かつて、様々な生活の場面に使われていたセルロイドはその後開発された様々な新素材に取って変わられ、今日使われているセルロイド製品は極僅かな物となってしまいました。隆盛を極めた各地のセルロイド工場もその後はプラスチックや他の化製品の製造ラインに転換されたり、廃止されて行きました。
この網干工場に残る創設時の建物の数々は、今日の化学工業の基礎を築いたセルロイド製造業の貴重な産業遺産となっています。
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by sunshine-works | 2009-05-31 15:16 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 05月 27日
ダイセル異人館(旧日本セルロイド人造絹糸 技師住宅)2
姫路の近代建築その12

ダイセル化学網干工場敷地には前回紹介した建物の他に、もう1棟の旧外国人技師住宅が現存しています。
現在は衣掛クラブの名称で社員施設として使われているこの建物も工場設立時に建てられたものです。
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前回の建物と同様、深い軒を持つコロニアル風の洋館です。鮮やかなピンクで塗られている為に異なった印象に感じますが、基本的には共通したデザインの建物です。
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この建物も南面にピロティが設けられています。
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広々とした芝生の庭からの眺め。日本とは思えない景色です。
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こちらは裏側の景色
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前回と今回にダイセル異人館として現存する2棟の洋館を紹介しましたが、この2棟に隣接して同じようなコロニアルスタイルの建物が1棟建っています。こちらについては案内板もなく詳細は不明です。同時期に建てられた住居あるいは事務館だったのでしょうか。
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平屋建てで、屋根が和瓦で葺かれているのが他の2棟と異なりますが、南側に大きな庇を伸ばしたコロニアルスタイルは共通しています。
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裏側には別棟が繋がっています。
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明治後期に開かれたこの工場により、それまで小さな漁港だった網干は工業都市として発展していきます。のどかな海辺に現れた最新式の工場建物や洋館群は網干の景色を一変させ、周辺の海岸部にはその後多くの企業が進出する事となります。次回は網干を大きく変えるきっかけとなったこの日本セルロイド人造絹糸の工場建物本体について紹介します。
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by sunshine-works | 2009-05-27 23:46 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 05月 23日
ダイセル異人館(旧日本セルロイド人造絹糸 技師住宅)1
姫路の近代建築その11

揖保川の豊富な工業用水が得られる網干の臨海部は、明治以降工業地帯として開発されて行きました。中でも明治42年に操業を開始した日本セルロイド人造絹糸は網干地区最大の工場として地元の経済発展に大きく寄与しました。現在のダイセル化学工業網干工場(日本セルロイド人造絹糸の後身)の広大な敷地の一角には工場創設時に建てられた2棟の洋館が残されています。今回と次回の2回に亘りこの美しい建物を紹介していきます。
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明治期に創業した他の近代産業と同様、日本セルロイドは工場開設に際してヨーロッパから数人の技師を招いて技術指導にあたらせました。これら技師達の宿舎として建てられたのがこの建物です。当時数棟が建てられたと思われますが、その内の2棟が現存しています。今回は現在同社の資料館として使われているこちらの建物を紹介します。
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説明板に拠れば「・・・19世紀のイギリスのコテージに類似している建物で、コロニアルスタイルと共通点がある・・・」との事です。軒を深く取り通風に配慮した亜熱帯地域に多く見られるベランダコロニアル風の建物です。同社の工場も手掛けた設楽貞雄が設計しています。
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神戸北野の異人館も同様なコロニアルスタイルの建物が多いのですが、この建物は南側に長く伸びた庇に特徴があります。神戸の異人館の多くがピロティをガラス窓で囲っているのと異なり、本来の開放式のままなのでトロピカルな雰囲気があります。
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下見板と羽目板貼の組み合わせの外壁、スレート葺きの折屋根、窓の上と切妻のペディメント部分にそれぞれ装飾を施すなど各部も凝った意匠です。
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建物裏側です。北面の2階に小さなベランダがあります。
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緑豊かで広々とした敷地に建つこの洋館は、町中で目にする洋館とはまた違った趣があります。当時は周辺に数棟が並び、異国情緒豊かな景色が広がっていました。
遥か遠い東洋の地方都市で暮らす外国人技師達にとって、故国と変わらぬ住環境を得る事は、なによりも大事な事だったと思います。
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by sunshine-works | 2009-05-23 18:58 | 近代建築 | Trackback | Comments(1)