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2009年 12月 01日
播磨の近代建築 補遺③ ~工場・倉庫~
播磨の近代建築 補遺③ 古くから近代産業が発展した播磨地区には多くの工業関連施設が建てられました。
各地に現存する、地域の発展を支えた産業遺産の数々を紹介します。

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ヒガシマル醤油 第二工場

たつの市の伝統産業、醤油製造業の最大手、ヒガシマル醤油の工場です。
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大村工場建物
加古川の市街地にある工場建物。ニッケ加古川工場の協力工場のようです。
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播州織工房館
西脇市の名産、播州織の旧工場跡です。ノコギリ屋根を持つ木造の工場建物が、そのまま播州織のクラフトショップに活用されています。
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浅田化学倉庫
明治初期に、生野の銀を運ぶ為に敷かれた「銀の馬車道」の終着にあたる飾磨に建てられた積出用の煉瓦倉庫です。
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旧岡田燐寸倉庫
姫路周辺に数多く建てられたマッチ工場の名残りです。
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山陽電鉄旧飾磨変電所
山陽電鉄飾磨駅から姫路方向へ向かう車中から見える旧変電所。現在は資材倉庫として使われています。
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by sunshine-works | 2009-12-01 22:00 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2009年 11月 07日
播磨の近代建築 補遺② ~庁舎~
播磨の近代建築 補遺② ~庁舎~

播磨の近代建築 補遺②は公共機関の庁舎を紹介します。
どれも小規模な建物ですが、それぞれに個性的で味わい深いものばかりです。

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旧高砂消防会館

昭和10年築。現役で使われている旧高砂町消防組時代の消防署です。
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西脇消防団第一分団詰所

西脇の中心部にある消防詰所。前面に聳える警鐘台は昭和5年築との記録がありますが、肝心の建物については築年不詳です。同時期に建てられたものと考えるのが妥当でしょうか。
*その後確認した処、設計:内藤克雄 昭和10年築と判明しました。設計者の内藤克雄は西脇小学校や出身地である小野市の小野小学校講堂も手掛けていました。
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香寺町消防団岩部分団望楼


消防施設をもう一つ。神崎郡香寺町にある消防団の旧消防車庫兼警鐘台。
築年は昭和初期と思われます。現在は消防団の倉庫となっています。
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旧妻鹿町役場


現在は姫路市の一部となった旧妻鹿町の庁舎。マンサード屋根が特徴的なモダニズム建築です。
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by sunshine-works | 2009-11-07 23:45 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 11月 03日
播磨の近代建築 補遺① ~播磨の橋~
播磨の近代建築 補遺① ~播磨の橋~

約9ヶ月に亘って40ヶ所余りに及ぶ播磨地区の近代建築を紹介してきましたが、広大な播磨地区にはまだまだ多くの近代建築・近代化遺産が残っています。播磨編の最後に、これまで紹介しきれなかった近代建築の幾つかをピックアップしてみました。
補遺編の最初は播磨地区に残る4つの橋を紹介します。

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屋形橋

播磨の中央部を南北に流れる市川の中流域に位置する神崎郡市川町に架けられています。下路鉄筋コンクリートタイドアーチ橋と呼ばれる兵庫県では珍しい形式の橋です。昭和8年竣工。
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前回紹介した岡山の大原橋によく似た鉄筋コンクリートアーチ橋ですが、橋梁の分類上では別種のものです。(ローゼ橋の場合はアーチや橋床を支える桁がより太くなります)
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現在は1連のアーチ橋ですが、竣工時は2連のアーチが連なっていました。下の写真で左手にあたる部分(綱桁に架け替えられています)がその名残りと思われます。
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加古川橋

西播磨で最も大きな川、加古川の下流、国道2号線の大きな橋です。改修によって橋上の意匠は変わってしまいましたが、橋桁や橋脚部分は当時のまま残されています。 竣工:大正12年
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全国各地で多くの橋を手掛けた増田淳の設計です。増田淳の作品としては、兵庫県内には他に武庫大橋が現存しています。
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加古川橋と武庫大橋、両橋の現在の姿は大きく異なっていますが、加古川橋も、かつては武庫大橋と同様に美しい石の高欄や立派な親柱を備えた橋でした。戦後に行われた拡幅工事の際に親柱や当初の高欄が取り除かれ、現在の姿に変わっています。
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橋脚部分。上流側には拡幅時に脚柱が追加されています。
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白鷺橋

姫路市の中心部、姫路城のすぐ傍の小さな川を渡る鉄筋コンクリート橋です。昭和8年竣工。
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四隅の大きな親柱や高欄に播磨特産の竜山石を用いた装飾豊かな橋です。この橋も戦後に拡幅工事が行われましたが、原型が保たれて改修されています。
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元禄橋

赤穂の魚港近くにある小さな鉄橋。現在は人道橋として使われています。
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斜材がX字に交差するダブルワーレントラスと呼ばれる形式の橋です。小さな橋ですが、細密に張り巡らされた鉄骨は迫力十分です。
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生活に密接に結びついた存在だけに、明治以降全国各地に近代技術による多くの橋が架けられました。
建造物に比べて永く使われる事の多い橋梁ですが、さすがに今日の交通事情に対応するには大幅な改修や架け替えが必須となってしまいました。
安易に架け替えの道を選ばず、手を掛けて大事に残されたこれらの橋は、歴史ある橋ならではの存在感を示す地域のランドマークとなっています。
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by sunshine-works | 2009-11-03 15:41 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2009年 10月 09日
御坂サイフォン橋
三木の近代建築その3

三木市の東部、静かな山間の渓流(志染川)に古いアーチ橋が架けられています。谷を越えて疏水の水を渡す水路橋として明治24年に築かれました。

六甲山系の西側、現在の稲美町から加古川にかけて広がる印南野と呼ばれる一帯は水に恵まれず、稲作に不向きな土地でした。古くから特産の綿花やたばこを中心とした畑作が行われていましたが、地域の人々にとって水を引いて水田を開く事は積年の願いとなっていました。
江戸時代から幾度も疎水の計画が立てられましたが、技術的な問題から実現には至らず、明治になって近代土木技術を導入する事でようやく夢がかなう事となります。
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水源の淡河川から約30キロを引水するこの淡河川疎水は、いくつものトンネルを開削する難工事となりましたが、起工3年後の明治24年に完成します。
ルートの途中の志染川を挟んだこの谷に水路を渡す方法として採用されたのが、サイフォンの原理(正確には逆サイフォンだそうです)を利用した橋でした。サイフォン橋の歴史は古く、日本でも江戸時代にこの原理を利用したものもありましたが、近代技術を駆使した本格的なサイフォン橋としては日本初の試みとなりました。
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竣工時に架けられた石橋と戦後に架けられたコンクリート橋が並んでいます。下流側から見えるこの橋が戦後に架けられたものです。現在はこちらの橋に導水管が通されており、向こう側の旧橋は水路橋の役目を終えています。
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水路は橋に埋設されており、上部は対岸を結ぶ道路になっています。旧橋の部分は保護の為なのか、通行禁止となっています。
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水路を流れてきた用水が鋼管に導かれ、ここから一気に斜面を駆け下ります。管の上部の煙突状のものは空気圧を調整するものでしょうか。
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志染川を挟んで北から南へ、標高差50メートルの橋を経由して水を渡します。山の上からまっすぐに下りてきた鋼管は麓で地下に潜り、橋を抜けて反対側の山の上へ向かいます。現在の鋼管は国産のものですが、俊工時はイギリスから取り寄せた鉄管が使われていました。
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こちらが上流側に架けられている俊工時の石橋。礎石を組んだ上にモルタルを塗って補強しています。
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橋を渡った水道管は再び地表に現れて斜面を登って行きます。現在は地表に設置されている鋼管ですが、当初はすべて地中設置となっていました。
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斜面を登りきった先で再び水路へ注がれます。
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御坂サイフォン橋から5キロ程東にある取水口(淡河頭主口)。川の水位を調整して脇の水路へ水を導きます。
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東播磨の農業を大きく変えたこの淡河川疎水は、100年を越えた今日も印南野を潤す需要な役割を果たしています。現在も流域には竣工時の姿を留める近代化遺産が幾つも残されていますが、中でもこのサイフォン橋は当時の技術の高さを今に伝える疎水のシンボル的な存在となっています。
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by sunshine-works | 2009-10-09 02:45 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 10月 05日
旧三木実科高等女学校校舎
三木の近代建築その2

神戸電鉄三木駅の南東、市役所や文化施設が並ぶ旧三木城の跡地の一角に古い木造の校舎が残っています。現在は市役所の分庁舎として使われているこの建物は兵庫県立三木高校の前身、三木町立実科高等女学校の校舎として建てられました。
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この一帯は三木町立実科高等女学校が開校した大正12年から後身の県立三木高校時代の昭和41年までの半世紀に亘り、多くの生徒が学んだ校地でした。校舎移転に伴い跡地には市立図書館と美術館が建てられましたが、2棟の校舎は残され、市の施設として利用されています。
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かつて新館と呼ばれていた建物です。昭和17年に建てられました。
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戦時中だった時代背景もあってか、装飾要素が殆どありません。
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建物裏面です。
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もう1棟がこの旧東館。こちらの校舎は昭和7年築。妻面のハーフティンバーやマンサード風の屋根に特徴があります。
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事務所施設として使われている旧新館と異なって普段は殆ど使用されていないのか、窓は破れ、漆喰も剥がれ落ちてしまっています。
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左手前が旧東館、奥に見えるのが旧新館です。
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これらの建物は、保存が目的と言うより解体の要がないまま残った建物なのでしょう。その後に手を加えられることもなかったようで、校舎としての役目を終えてから40年を経過しているとは思えないくらいに当時の面影が保たれています。
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戦前に建てられた学校の多くは、戦後の復興期に建て替えを行って近代的な鉄筋校舎に生まれ変わっていきますが、歴史のある校舎が残される事例は極めて少数です。この旧三木高等女学校校舎の場合は、校地自体の移転だった為に解体の必要性がそれ程高く無かった事や、跡地が市の施設に利用された事が幸いしてこの2棟が残ったものと思われます。
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by sunshine-works | 2009-10-05 21:41 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 10月 01日
旧三木鉄道の駅舎
三木の近代建築その1

近代建築Watch 播磨編の最後は三木市に残る近代建築を巡ります。
平成20年に惜しまれながら廃止されてしまった三木鉄道は、大正期に播磨の内陸部と臨海部を結ぶ路線として開設されました。民営の播州鉄道として発足したこの鉄道は、国鉄三木線として長く地域に親しまれた後、第3セクターの三木鉄道に引き継がれました。
今日(平成21年10月)現在、路線や駅舎の大半は撤去されてしまいましたが、いくつかの駅舎は今後の活用に向けて保存される事となりました。三木の近代建築巡りの初回は、播州鉄道開業当時の姿を留めたまま残される旧三木鉄道の駅舎を紹介します。
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保存される駅舎は石野駅、別所駅、終点駅の三木駅の3駅です。石野駅は大正12年、別所駅は大正5年、三木駅は大正6年に建てられています。
この3駅で一番西に位置する石野駅。畑の中にぽつんと建つ、小さな駅舎です。
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駅と言うより停車場と言った方が的確かもしれません。当然キオスクも公衆電話も販売機もありません。
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石野駅から東に2駅目が別所駅。石野駅とほぼ同一の造りです。
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終着の三木駅。さすがに終着駅だけあって本格的な駅施設を備えた大きな駅です。
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撮影時には線路の撤去が始まっていました。やがて撤去した線路跡には駅舎が曳屋で移築される事になります。
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移築される前の最後のホームの景色となります。
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はたして、このレトロな構内風景は移築された後も保たれるのでしょうか。
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かつて沿線住民の生活を支えた地方鉄道は、財政難により今日その多くが廃線の危機を迎えています。
廃止されてしまった路線や駅舎が保存される例は少なく、ほとんどは取り壊されて道路に変わってしまいます。そのような中で、今回三木鉄道が試みるプランは、近代化遺産としての鉄道施設の活用事例として大いに期待できるものと思います。
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by sunshine-works | 2009-10-01 21:54 | 近代建築 | Trackback(1) | Comments(4)
2009年 09月 07日
旧小野小学校講堂(小野市立好古館)
小野の近代建築

小野市立小野小学校は明治5年に設立された東播磨地域の中でも古い歴史を持つ学校です。この小学校に隣接して市立の資料館が建てられていますが、この建物は小野小学校の旧講堂を転用したものです。昭和11年築。設計:内藤克雄
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コンクリート打ち放しの飾り気の少ない建物です。元々は縦長窓が側面を飾っていましたが、改修に伴ってパネルに置き換えられてしまっているために全体に無骨で無機質なイメージとなっています。昔の写真を見ると玄関も別の側に付けられており、現在とはかなり印象が異なる建物だったようです。
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講堂だけあって、がっしりした大きな建物です。余計な装飾を省き、ほとんど直線と平面でデザインされています。現代建築でよく見られそうな建物ですが、当時としては斬新で目新しい建物だったと思います。
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飾り気のない建物ですが、2階中央の縦長3連アーチ窓が数少ない装飾要素になっています。
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側面には出入口跡らしき部分がありますが、これは後年に付けられた物かもしれません。
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この建物の向かい側にある掲揚台。傍らの説明板には昭和15年に設置されたとあります。小学校の物とは思えない非常に立派で趣きのある掲揚台です。
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廃校となった後に校舎を資料館として再活用する例は数多くありますが、このように現役の学校の敷地内で再利用される例は小学校では珍しいケースです。歴史と伝統のある学校の由緒ある建物が大切に保存活用されている好事例だと思います。
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by sunshine-works | 2009-09-07 20:36 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 09月 03日
西脇小学校
西脇の近代建築

北播磨の中心都市西脇市は播州織で知られる綿織物業によって発展した町です。この町の中心部から少し離れた台地の上にある市立西脇小学校は昭和初期に建てられた木造校舎が現役施設として使われています。昭和9年~11年築。設計:内藤克雄
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都市部を中心に早くから鉄筋コンクリートの校舎が建てられた事もあって、兵庫県内には木造の小学校校舎は然程多くは残っていないのですが、それでも地方には素晴らしい木造校舎が残されています。中でもこの西脇小学校はその美しさ、規模の大きさ、保存状態の良好さに於いて他を大きく凌いでいます。
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産業構造の変化と輸入品に押されて西脇の織物業はかつての勢いを失ってしまいましたが、この小学校が建てられた昭和初期は西脇が急速に発展を遂げ活況を呈していた時期でした。豊かな地域経済に支えられてこのような立派で大きな小学校が建てられました。
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広い敷地の中に、同じ規模の木造2階建て校舎が3棟並んでいます。一番前面(南側)の棟に玄関が設けられ、建物中央を貫く渡り廊下で他の棟が結ばれます。
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小学校の校舎とは思えない玄関周り。旧制高校や大学の校舎と見紛う豪華な造りです。
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玄関を抜けて中央の棟へ続く渡り廊下を進みます。
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築70年を越えて尚現役で使われているだけでなく、ほぼ建築当初の状態で残されている事に驚きます。補修は行われていますが、元のイメージを損なわない配慮がなされています。
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この校舎が建てられた頃、都会では鉄筋コンクリートの校舎が次々と建てられていました。最新の建築技術による校舎は子供達の憧れでもありました。しかし、この西脇小学校の美しい木造校舎が織りなす景観はそれらモダンな都会の学校よりも贅沢で豊かなものに思えます。
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by sunshine-works | 2009-09-03 01:25 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2009年 08月 05日
旧神崎郡役所
福崎の近代建築その2

福崎の中心として栄えた辻川にはもう一つの近代建築、旧神崎郡役所が現存しています。現在は歴史民族資料館として公開されているこの建物は明治19年に神西郡・神東郡役所として建てられました。
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ポーチの上にバルコニーを設けた2層式の玄関とギリシア神殿風のオーダー柱が特徴です。現存する兵庫県内の郡役所としては他に旧七美郡役所や旧出石郡役所、旧三原郡役所等があり、この神崎郡役所が唯一2層式の玄関を持っていますが、玄関の違いを除けばこれらの建物は殆ど同じ造りに見えます。おそらくは統一の規格に従って設計されたものと推測されます。
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玄関の左右に各2本のオーダー柱が並び、三角ペディメントを配した当時の役所等に多く見られるデザインです。柱は1階部分が角柱、2階部分が丸柱になっています。
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玄関周りの詳細
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この建物は郡制が廃止される大正15年まで郡役所として使用され、その後も公共機関の施設に使われました。老朽化により解体も検討されましたが、昭和57年に地元に寄贈され、移築の後に資料館となりました。
このあたりの状況も現存する県内の他の郡役所と良く似た経緯を辿っています。
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建物側面と裏側。
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少し高い位置から側面を窺います。桟瓦の屋根は如何にも偽洋風らしい趣です。
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都市部に建てられる県庁や市役所と異なり、郡役所や町村役場は地域の近代建築の先駆として大きな役割を果たしていました。地元の大工や職人達は初めて手がけたこれら建物によって洋風建築を学び、従来の和風建築に取り入れていきました。都市部でも洋風建築物は中心街の一部に見られる程度だった明治19年に、これだけの建物を建てた地元の棟梁の技能は高く評価されるべきものです。
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by sunshine-works | 2009-08-05 21:18 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 08月 01日
旧辻川郵便局
福崎の近代建築その1

姫路の北に位置する神崎郡福崎町は但馬と結ぶ北播磨の交通の要衝として発展した町です。明治期には生野鉱山の銀を姫路へ運ぶ「銀の馬車道」の経由地となりました。この町の中心部に木造の古い旧郵便局舎が残っています。この建物は辻川郵便局(後に福崎郵便局に改称)として大正11年に建てられました。
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福崎には明治15年に最初の郵便局が開設されたとの記録があります。この局舎は特定郵便局長に任じられた大庄屋三木家が大正11年に自宅敷地に建てた新たな局舎で、以来郵便業務を昭和35年まで、電話交換業務を昭和42年まで行っていました。
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木造下見板張、2階建てのいわゆる偽洋風建物です。軒先や玄関庇に施された瓔珞(軒飾り)や玄関廻りの彫刻が意匠的な特徴です。
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築後90年を経過し、郵便局の役目を終えてからも40年以上の年月を経ていますが、殆ど当時のままの状態で残されているのは驚くべきことです。
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1階、2階ともすべての窓は上げ下げ窓になっています。木製の窓枠も当時そのままの状態です。
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現在、この建物は使われることのないまま、町の景観の一部となっています。素晴らしい建物だけに、内部を公開して有効な観光資源に活用出来そうですが、いかがなものでしょうか。
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by sunshine-works | 2009-08-01 01:49 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)