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2011年 02月 04日
阪神間の各線駅舎1
大阪と神戸に挟まれた「阪神間」と呼ばれる地域は明治38年の阪神電鉄開通と大正9年の阪急神戸線の開通以降、先発の旧国鉄を交えた3社による激しい競争を繰り広げてきました。関西の大動脈とも言うべきこの区間にはまた戦前の名残りを留める多くの駅舎が点在しています。今回から3回に亘ってこれら線区に残る古い駅舎を紹介していきます。

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阪急伊丹線新伊丹駅

阪急神戸本線の支線の一つ伊丹線の新伊丹駅。阪急電鉄は沿線に多くの支線を延ばして宅地開発を行いましたが、大阪から至近のこの伊丹も高級住宅地として発展しました。昭和10年築。
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外観だけでなく構内も昔の姿のままで残っています。
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阪急伊丹線稲野駅

同じく伊丹線の猪名野駅。前面に庇が新設されていますが駅舎本屋は竣工当時のままです。大正10年築。
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阪急神戸線武庫之荘駅

尼崎市の北部に阪急資本によって開発された武庫之荘住宅地。武庫之荘駅は整然と区割りされた町並みが広がる分譲地の入口に昭和12年に開設されました。
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阪神電鉄本線武庫川駅

尼崎市と西宮市の境を流れる武庫川を跨ぐ橋上駅として設置されている武庫川駅。明治38年に始まる歴史を持ちますが現在の駅舎はその後数度に亘って改修されました。ホーム上屋の一部と橋桁部分に昭和初期の名残りが伺えます。
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*次回は西宮~芦屋の駅舎を巡ります。

by sunshine-works | 2011-02-04 22:56 | 近代建築 兵庫県 | Trackback | Comments(4)
2010年 11月 05日
国鉄福知山線 生瀬~武田尾間の旧鉄道施設その2
宝塚の近代建築その10

福知山線生瀬~武田尾間の旧鉄道施設の探訪、後半は武庫川を跨ぐトラス橋から北側を紹介します。
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横溝尾トンネルを抜けてすぐ、対岸のトンネル入口までの谷間を、急流を眼下に渡って行きます。
同区間に現存する唯一のトラス橋、武庫川第二橋梁は同線開通時から使われていた旧橋を昭和29年に架けかえたものです。
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戦後の架橋とは言え、今日一般的な溶接橋は当時まだ少数で、このような鋲接合による旧来の鉄橋が併存していました。近代橋のスマートな外観とは無縁の武骨で重厚な趣きは、塗装が剥げ落ち錆の浮いた風合いと相まって、強烈な存在感を誇示しています。
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側道を渡って川を越えるとすぐに長尾山第一トンネルに至ります。
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ここまで川の右岸を並行してきた路線跡ですが、後半は武庫川の左岸へとコースを代えます。
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枕木が残る路線跡。木立を通して柔らかな日差しが注ぎます。
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長尾山第二トンネル。竣工当時の煉瓦壁が状態良く残されています。
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6番目の長尾山第三トンネル。このトンネルを抜けて、ようやく終着の武田尾温泉にたどり着きます。
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生瀬から約7キロを踏破するこのコースは武田尾温泉入り口で終了しますが、福知山線の廃線跡はまだその先も続いています。武田尾駅を越えた先の路線は山に埋もれていて辿る事は叶いませんが、公道として利用されている入口のトンネル部分に辛うじて往時の姿を偲ぶ事が出来ます。
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by sunshine-works | 2010-11-05 21:34 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2010年 10月 08日
兵庫県北摂地区の近代建築 補遺
兵庫県北摂地区の近代建築 補遺

三田から伊丹まで、北摂地区に残る近代建築を巡ってきましたが、最後に未紹介の幾つかの建物を採り上げます。

まずは三田の市街地に残る医院建築。江戸時代に北摂の中心都市だった三田は明治以降に多くの医院が開かれていきました。
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旧市街地に並ぶ二棟の医院。規模も意匠も良く似た建物です。
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右側の医院。こちらは閉院している様子でした。
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神戸電鉄三田本町駅の近くに残る旧医院。閉院して長い年月が経っていると思われます。
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三田の北西部、旧村落の中心部だった場所に残る2つの郵便局。役目を終えて他の用途に使われています。

旧相野郵便局。駅前通りに建てられたこの郵便局は喫茶店に転用されています。
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良く見ると前面だけ残して後半を建て換えているように見えます。
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旧木器郵便局。田園地帯の中に洋風建造物がポツンと建っています。
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尼崎から西へ進んで西播磨へ至り、東へ帰して北播磨を経て北摂まで。兵庫県の南半分の近代建築を巡ってきました。それでも面積から言えばまだ半分に過ぎません。
残すは県の北半分を占める丹波・但馬地区。ここにも魅力溢れる近代建築が数多く残されています。まだまだ続く兵庫の近代建築探訪、今しばらくお付き合い願います。

 

by sunshine-works | 2010-10-08 23:51 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2010年 10月 04日
東リ旧本館事務所
伊丹の近代建築

伊丹市の南部、尼崎市と接する一角に東リ株式会社の伊丹工場が置かれています。ここには同社の創業時に本館事務所として建てられた事務所棟が残されています。大正9年築。設計:渡辺節
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工場正門から奥手に見える2階建ての大きな木造建物が創業時に建てられた旧本館です。90年の歳月の中で若干手が加えられていますが、概ね竣工時の姿を留めています。
木造下見板貼り、ハーフチンバー式に柱を露出させ、庇の持ち送りにアールデコ表現が用いられています。*詳しくはこちらを参照してください。
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現在の社名は東リ株式会社と言いますが、1991年に社名変更するまでは東洋リノリューム株式会社が正式名称でした。
大正8年に創業された同社は、学校や病院などの公共機関や工場・オフィス、軍艦や船舶の床材として広く使われる事となるリノリウムを日本で初めて製造し、国内シェアをほぼ独占する専業メーカーへと成長していきます。塩化ビニール系の床材が普及した今日、リノリウム自体の製造は終了していますが、総合内装材メーカーに発展した同社の基礎を築いたのが当時の武庫郡伊丹村に開設されたこの工場でした。
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関西で活躍した渡辺節の代表作としては大阪商船ビルや綿業会館が有名ですが、住宅からこのような工場施設や倉庫に至るまで、幅広いジャンルの設計を手掛けていました。
因みに、この建物の設計者については近年まで不詳とされていましたが、改修工事の際に棟札が発見され、渡辺節の設計であると確認されたそうです。
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上げ下げ式の窓が当時のまま残っています。
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妻面に設けられた玄関。長く突き出た庇を大きな持ち送りで支えます。
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床材としてのリノリウムはその役目を終えてしまいましたが、日本の建築史の中で同社が果たした役割は非常に重要な物でした。
リノリウム製造ラインだった古い建物の殆どは取り壊され、近代的な工場施設に建換えられてしまいましたが、資料館として残されたこの建物が同社の90年に及ぶ長い歴史を伝えています。
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by sunshine-works | 2010-10-04 23:29 | 近代建築 | Trackback | Comments(4)
2010年 09月 01日
三ツ矢記念館(御料品製造所)
川西の近代建築その3

能勢電鉄平野駅の北側、線路際の台地に三ツ矢サイダーの商標を描いた塔が建っています。三ツ矢サイダー創業の地であるこの場所には、皇室へ納めるサイダーの製造所として明治45年に建てられた小さな建物が残っています。
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日本オリジナルの清涼飲料「サイダー」を代表するブランド、三ツ矢サイダーは、平野周辺に湧出していた炭酸泉を商品化した平野水に始まります。
良質な炭酸泉に恵まれていた兵庫県は有馬や宝塚でもサイダーが製造され、日本の炭酸飲料の先進地域となっていましたが、とりわけ三菱や系列のビール会社の資本と結びついた平野の三ツ矢サイダーは日本のトップブランドへと成長していきます。
現在は御料品製造所と復元された三ツ矢塔(炭酸採取装置)だけが残されていますが、この周囲一帯には明治17年の創業から昭和29年まで、天然鉱泉を原料としていた時代の同社の主力工場が置かれていました。
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コンクリート造、平屋建、長辺5メートル程の小さな建物です。アーチ窓と入口の庇に装飾表現が見られる他は、飾り気の少ないあっさりした意匠です。
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復元された三ツ矢塔。炭酸鉱泉から炭酸ガスを採取する為の施設です。
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工場が移転した後、残されたこの建物は三ツ矢記念館として公開されていましたが、その後休館状態となっています。将来は再び公開される予定との事なので内部の様子はその時のお楽しみ、と言う事に。
詳しくはこちらをご覧下さい、
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by sunshine-works | 2010-09-01 23:28 | 近代建築 | Trackback | Comments(4)
2010年 08月 08日
旧黒川小学校校舎
川西の近代建築その2

能勢電鉄を更に北へ進み、終点妙見口駅で下車します。大阪から高々1時間足らずの場所ですが、周囲はすっかり山里の風景に変わっています。駅から歩く事数十分、田畑が広がる長閑な一角に古びた木造校舎が残されています。現在は公民館として使われているこの建物は、黒川尋常小学校の校舎として明治37年に建てられました。
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日蓮宗の古刹・能勢妙見山にも近いこの一帯は、現在も豊かな自然の中で農業中心の暮らしが営まれています。周囲を田畑に囲まれた小高い台地に建てられたこの黒川小学校は、かつて全国どこにでも見られた地方の小学校校舎の姿を今に留めています。
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緩やかな斜面に南北2棟の校舎が並んでいます。明治37年に建てられた北側の建物が元々の校舎でしたが、戦後の生徒数増加に対応する為、昭和22年に南側校舎が増築されています。
*詳細はこちらをご覧ください。
こちらが北側校舎。寺院を思わせる和風意匠の建物です。
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極めて和風の玄関周り
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こちらは裏側。
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一段低い南側に建てられた増築棟。明治築の北側校舎ほどの貫禄はありませんが、戦後の木造校舎の典型的なスタイルです。
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現在公民館として使われているこの校舎は校内見学が可能です。(南側校舎のみ)
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過疎化と少子化が同時に進む農村部には、学校の統廃合によって使われなくなった校舎が数多く残っています。都市部のように跡地が再開発される事もなく、放置され荒れるに任せたままの所も少なくありません。
地域の公民館に再生されたこの黒川小学校のように、もっと積極的な活用が図られても良いのではないでしょうか。
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by sunshine-works | 2010-08-08 12:41 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2010年 08月 04日
旧平賀邸
川西の近代建築その1

阪急電鉄川西能勢口駅から能勢電鉄で北へ向かいます。郊外の景色の中を約20分、山下駅を降りた北側に、かつてこの地に栄えた多田鉱山の精錬所跡が郷土資料館として公開されています。
この敷地の一角に、市内から移築された一棟の洋風住宅が公開されています。この建物は、日本最初の工学博士で、創成期の繊維産業の発展に数々の功績を残した平賀義美(ひらがよしみ)博士の邸宅として建てられたものです。大正7年築。設計は大林組の松本禹象(まつもとうぞう)。
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元々はこの場所から6キロ程南方、大阪寄りの猪名川の畔に建てられていました。敷地内にはこの建物の他に蔵や日本家屋も建っていたのですが、そちらは移築の時点ですでに撤去されており、洋館、研究室棟、庭に設けられた東屋が移築されています。
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この建物は英国の田園住宅をモデルに設計されたものと言われています。平賀博士は幾度も海外に赴任していますが、留学先のイギリスで親しんだこの建築スタイルを好んで日本の自邸に採り入れた様です。この建物の由来や意匠的特徴についてはこちらを御覧下さい。素晴らしい解説記事があります。
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外壁は小さな石を塗りこんだ洗い出しと呼ばれる独特の仕上げです。
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建物の裏手に並ぶ研究室棟。洋館とは階段で連絡されています。
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木造2階建てのこの建物ですが、非常に奥行きの小さい(薄い)形状をしています。
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細部には手の込んだ装飾が見られます。
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階段を介して洋館と繋がります。
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当時のままに再現された館内。木材の質感が落ち着いた雰囲気を醸します。
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窓の外に見えるのは平賀博士の胸像です。
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1階には大きなサンルームが設けられています。
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1階の奥から階段を上って研究室棟へ。
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兵庫県内で明治以降戦前までの間に建てられた洋風住宅の多くはコロニアル様式やスパニッシュ様式が主流で、後期にセッセションの影響を受けた建築スタイルが一部に見られましたが、この英国田園住宅の様式は一般化しなかったようです。派手な装飾や重厚な佇まいはありませんが、素朴で温かみのある意匠は実用性にも優れ、郊外住宅として理想的とも思えるのですが、当時の好みには合わなかったと言うことでしょうか。
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by sunshine-works | 2010-08-04 23:28 | 近代建築 | Trackback | Comments(7)
2010年 07月 07日
旧諏訪邸(高崎記念館)
宝塚の近代建築その9

前回に引き続き、雲雀丘に残る大正期の洋館をもう一つ紹介します。
大正12年に建てられたこの建物は、雲雀丘に数棟建てられていたW.M.ヴォーリズ設計の洋館のうち現存する唯一の物です。
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雲雀丘地区の邸宅は規模が大きな物ばかりですが、この旧諏訪邸も非常に大きな建物です。坂道に面した大きな妻面が遠方からもよく目に付きます。
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ヴォーリズが開いた近江療養院の医師、諏訪蛍一氏の邸宅としてヴォーリズ自ら設計を手がけたこの建物は、木造3階・地下1階建、大きな腰折れ屋根や開放的なテラスが特徴的なコロニアルスタイルの洋館です。
設計に際しては、「洋風住宅」と「郊外生活」が日本人の健康向上に不可欠との考えを持っていた諏訪医師の理念が各所に取り入れられているそうです。
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この建物も南に大阪平野の素晴らしい眺望が広がります。前庭に面して設けられたテラスの大きな窓からは、たっぷりと日差しが差し込みます。
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テラスから室内を窺います
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前庭から小さな階段が南側の入口に通じています。
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諏訪医師の邸宅として使われたのは大正12年から昭和4年までの僅かな期間でした。その後この建物は東洋製罐創設者の高崎達之助の邸宅として使用され、現在は同社の関連機関である東洋食品研究所によって管理されています。
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西側に設けられた正面玄関。昭和13年に増築されたものです。
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ヴォーリズ作品にお馴染みの煉瓦煙突
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日本の高級住宅街の先駆けとなったこの雲雀丘には、この他にも築80年を超える建物が10数棟現存していますが、これらはどれも比較的狭い範囲の中に集まっており、緑豊かな町並みの中で素晴らしい景観を織り成しています。阪神間モダニズムと呼ばれた山手文化華やかなりし時代、駅から続く丘陵一面に当時最新の洋館が建ち並んでいた様は、さぞかし壮麗な眺めであった事と思います。
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by sunshine-works | 2010-07-07 00:34 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2010年 07月 03日
旧徳田邸
宝塚の近代建築その8

宝塚市の東部、阪急電鉄雲雀丘花屋敷駅の北側に大正期から昭和の初めにかけて開発された住宅街が広がっています。
この雲雀丘住宅地の一角、大阪平野を見晴らす斜面の中腹に1棟の洋館が建っています。
この建物は開発初期に建てられ現存する10数棟のうちの一つで、古塚正治の設計により大正中期に建てられました
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箕面有馬電気軌道が沿線の池田や箕面、豊中等で宅地開発を行っていた同時期、長閑な農村地帯だったこの地を高級住宅街として開発したのは、灘・住吉村や芦屋の宅地開発を手掛けた阿部元太郎でした。階段状に緑豊かな邸宅が並ぶ街路には電線や下水道が地中埋設され、街灯が灯された道に乗合自動車(バス)が運行される、当時最も先進的な郊外住宅地として造成されていきました。
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設計者の古塚正治は阪神間に多種多様な作品を残していますが、この建物の設計には当時流行のセセッションスタイルを用いています。
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よく手入れされた生垣で仕切られた敷地北側。どの邸宅も豊かな植栽で飾られています。
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大阪平野を一望する素晴らしい眺め。雲雀丘の各戸には眺望と景観の保全に関する細かな規則が定められていました。この建物を含めて古い建物の屋根が赤く塗られているのも当時の取決めに由来しています。
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前庭に出て建物正面を眺めます。
この地区の洋館は何処も非公開で普段は敷地内に立ち入る事が出来ませんが、この旧徳田邸(現在は元宝塚市長正司氏の邸宅)は春に実施されるオープンガーデンフェスタの期間に公開されます。
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東京に比べて都心部が狭い大阪では早くから郊外住宅地の開発が進められ、船場地区の富裕層も阪神間や北摂地区に居を移す事となります。この様な中で関西屈指の高級住宅地として開発された雲雀丘の手法は、雛型としてその後各地で同種の宅地開発に採り入れられていく事となります。
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by sunshine-works | 2010-07-03 16:58 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2010年 06月 05日
旧神戸銀行山本支店
宝塚の近代建築その7

阪急電鉄山本駅は同線開設時に設置された駅の一つですが、付近一帯は古くから造園業が盛んな地域として知られ、その歴史は千年以上に及んでいます。この山本駅から線路沿いの道を西へ進んで行くと、踏切脇に一軒の木造洋館が見えてきます。現在、陶芸工房やギャラリーとして使われているこの建物は、大正年間に銀行支店として建てられたものです。
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この建物については、神戸銀行ないしは西宮銀行の旧店舗、大正中頃の築、と紹介されています。昭和11年、統合によって神戸銀行が誕生する前は西宮貯蓄銀行~武庫銀行~西宮銀行の順に推移していますので、いずれかの銀行の代に開設され、その後引き継がれて神戸銀行の支店になったと思われます。
(尚、支店名称が「山本支店」であったかについては確認できませんでしたが、とりあえず地名から山本支店としました。)
神戸銀行に改称して程なく、この支店は廃止されていますので、銀行としての用途は二十数年と短い期間に終わっています。以後は長く住居として使われ、近年に現在のギャラリーに改装されています。
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木造モルタル仕上げ、銀行店舗としては小規模な建物です。外観は住宅風ですが、内部は吹抜けを設けた、この時代の銀行店舗に共通する構造となっています。
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モルタルを搔き落としたドイツ壁仕上げの外壁。当時の洋風住宅に流行った工法です。
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入口は建物の右端に1か所。銀行にしては簡素で小さめですが、それなりに意匠が凝らされています。
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住宅街の中に旧銀行店舗がこのように残されているのは珍しい事例でしょう。閑静な町並みの中のギャラリーとしての用途は、建物の雰囲気を活かした良い使い方だと思います。
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by sunshine-works | 2010-06-05 16:43 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)