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2009年 05月 27日
ダイセル異人館(旧日本セルロイド人造絹糸 技師住宅)2
姫路の近代建築その12

ダイセル化学網干工場敷地には前回紹介した建物の他に、もう1棟の旧外国人技師住宅が現存しています。
現在は衣掛クラブの名称で社員施設として使われているこの建物も工場設立時に建てられたものです。
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前回の建物と同様、深い軒を持つコロニアル風の洋館です。鮮やかなピンクで塗られている為に異なった印象に感じますが、基本的には共通したデザインの建物です。
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この建物も南面にピロティが設けられています。
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広々とした芝生の庭からの眺め。日本とは思えない景色です。
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こちらは裏側の景色
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前回と今回にダイセル異人館として現存する2棟の洋館を紹介しましたが、この2棟に隣接して同じようなコロニアルスタイルの建物が1棟建っています。こちらについては案内板もなく詳細は不明です。同時期に建てられた住居あるいは事務館だったのでしょうか。
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平屋建てで、屋根が和瓦で葺かれているのが他の2棟と異なりますが、南側に大きな庇を伸ばしたコロニアルスタイルは共通しています。
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裏側には別棟が繋がっています。
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明治後期に開かれたこの工場により、それまで小さな漁港だった網干は工業都市として発展していきます。のどかな海辺に現れた最新式の工場建物や洋館群は網干の景色を一変させ、周辺の海岸部にはその後多くの企業が進出する事となります。次回は網干を大きく変えるきっかけとなったこの日本セルロイド人造絹糸の工場建物本体について紹介します。
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by sunshine-works | 2009-05-27 23:46 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 05月 23日
ダイセル異人館(旧日本セルロイド人造絹糸 技師住宅)1
姫路の近代建築その11

揖保川の豊富な工業用水が得られる網干の臨海部は、明治以降工業地帯として開発されて行きました。中でも明治42年に操業を開始した日本セルロイド人造絹糸は網干地区最大の工場として地元の経済発展に大きく寄与しました。現在のダイセル化学工業網干工場(日本セルロイド人造絹糸の後身)の広大な敷地の一角には工場創設時に建てられた2棟の洋館が残されています。今回と次回の2回に亘りこの美しい建物を紹介していきます。
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明治期に創業した他の近代産業と同様、日本セルロイドは工場開設に際してヨーロッパから数人の技師を招いて技術指導にあたらせました。これら技師達の宿舎として建てられたのがこの建物です。当時数棟が建てられたと思われますが、その内の2棟が現存しています。今回は現在同社の資料館として使われているこちらの建物を紹介します。
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説明板に拠れば「・・・19世紀のイギリスのコテージに類似している建物で、コロニアルスタイルと共通点がある・・・」との事です。軒を深く取り通風に配慮した亜熱帯地域に多く見られるベランダコロニアル風の建物です。同社の工場も手掛けた設楽貞雄が設計しています。
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神戸北野の異人館も同様なコロニアルスタイルの建物が多いのですが、この建物は南側に長く伸びた庇に特徴があります。神戸の異人館の多くがピロティをガラス窓で囲っているのと異なり、本来の開放式のままなのでトロピカルな雰囲気があります。
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下見板と羽目板貼の組み合わせの外壁、スレート葺きの折屋根、窓の上と切妻のペディメント部分にそれぞれ装飾を施すなど各部も凝った意匠です。
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建物裏側です。北面の2階に小さなベランダがあります。
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緑豊かで広々とした敷地に建つこの洋館は、町中で目にする洋館とはまた違った趣があります。当時は周辺に数棟が並び、異国情緒豊かな景色が広がっていました。
遥か遠い東洋の地方都市で暮らす外国人技師達にとって、故国と変わらぬ住環境を得る事は、なによりも大事な事だったと思います。
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by sunshine-works | 2009-05-23 18:58 | 近代建築 | Trackback | Comments(1)
2009年 04月 27日
旧陸軍第10師団長官舎
姫路の近代建築その6

姫路に残る旧軍関連建物のもう一つが今回紹介する第10師団司令官舎です。旧師団司令部の隣に建てられたこの建物は現在カトリック淳心会の施設として使用されています。昭和4年築。
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第10師団の歴代司令官(通常は中将)の官舎として終戦まで使用されました。軍隊の官舎と聞けば無骨で重厚な建物を想像しますが、大きな屋根が特徴の非常にモダンな建物です。
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近郊住宅風でもあり、カントリーハウス的にも見えます。当時の先進高級住宅と言った趣の建物ですが、大きな庇を持つ正面側には公館らしさも窺えます。
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側面から東側の庭へ回ってみます。大きな屋根は別の角度から見るとまた違った印象を受けます。
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大きな屋根裏の一部は部屋として使われています。とは言え小さな窓しかないので納戸か倉庫なのでしょうか。
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全周を取り巻く基礎の石貼部分。
緩やかにテーパーを描くラインや石の貼目の模様は姫路城の石垣を思わせます。
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この屋根の折れ方も城郭を意識した物に思えてきます。
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終戦により旧第10師団の施設はその役目を終えますが、この建物は進駐軍の宿舎として接収された後、教会施設として利用される事となります。
旧軍施設が民間利用される事例は多々ありますが、このような転用例は極めて珍しいケースかもしれません。
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by sunshine-works | 2009-04-27 03:35 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 03月 22日
片岡医院
高砂の近代建築その3

高砂の中心市街の裏手に1軒の医院兼住宅が建っています。設計施工データは不詳ですが、昭和初期頃の築と思われます。
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高砂銀行から前回紹介した三菱製紙魚町倶楽部へ向かう途中の住宅街に建つ開業医院です。商店街や大通りの賑わいから少し離れたこの一角は高砂の中でも早くから開かれた街区で、閑静な町並みの中に大きな家々が並びます。戦前に建てられたと思われるこの医院は高砂では珍しいモダン建築の洗練されたデザインで、通りからもよく目立ちます。
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手前に診療施設、奥に住居が繋がる典型的な開業医院の構えです。壁面全体に張られた化粧タイル、水平を強調した軒と庇のライン、各窓と玄関扉に共通する縦長格子のレイアウト等、当時の先進住宅のエッセンスが随所に盛り込まれています。
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この建物の雰囲気を支える大きな要素がこの窓と玄関扉です。これがサッシ窓に変ってしまうと全く異なる印象となってしまいます。
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この建物も高砂市のライトアップイベントの日に公開されます。
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かつて、住居併設のいわゆる町医者と呼ばれる医療施設がどこの町にも普通に見られました。裕福で時代感覚にも敏感なこれら開業医達はそれぞれの地域で先進の建築意匠を取り込んだ医院を建てて行きます。現在も地方都市に残る近代建築には戦前に建てられた医院或いは旧医院だったこれらの建物が数多く見られます。
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by sunshine-works | 2009-03-22 18:58 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 03月 17日
三菱製紙 魚町倶楽部
高砂の近代建築その2

市内に多くの工場を抱える高砂市の中でも、三菱製紙高砂工場は今も明治期の煉瓦建物が残る歴史のある工場です。今回は、この工場の関連施設として建てられた洋館を紹介します。
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三宮にあった神戸製紙所(後の三菱製紙)は明治34年、工業用水に恵まれた高砂の地に移転します。この時代の近代産業の例に漏れず、この工場も外国人技師が招かれて技術指導にあたっていました。この建物は外国人技師の居住施設として建てられたものです。
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当時の木造洋館の標準的な造りです。神戸北野の異人館街に建てられた洋館とは年代的に同時期でデザインも共通するものがあります。薄い緑色で塗られた下見板貼りの壁面とハーフティンバー式の壁が組み合わされ、煉瓦の煙突、ガラスで囲われた2階のバルコニー、各窓に付けられた鎧戸、玄関の柱飾り、アーチ型の入口等々当時の木造洋館の装飾意匠がふんだんに駆使されています。
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当初は工場敷地内に建てられていたこの建物ですが、外国人技師宅としての用を終えると中心市街地に移設されて同社の厚生施設に転用されます。移転先の町名に因んだ魚町倶楽部の名が付けられ、高砂随一の洋館として親しまれています。
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館内は改修されていますが柱や建具に当時の雰囲気が残されています。
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創業時の本社ビルや工場施設が今も現役で使われている例はよく見られますが、このような社員施設の中にも古い歴史を持つ建物が少なからず存在します。会社資産として大切に扱われ、しっかりと維持管理されるので一般の建物より良好な状態が保たれる事や、社の記念碑的な意味を持つが故に安易に取り壊せない事がその理由なのでしょうか。欲を言えばもう少し一般公開の機会を増やしていただくと嬉しいのですが。(この建物も秋のライトアップイベント時だけ公開されているようです)
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by sunshine-works | 2009-03-17 21:25 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 03月 09日
神田家洋館
加古川の近代建築その7

日本毛織加古川工場敷地の南側に連なる古い商店街の一角に一軒の小さな洋館が建っています。
この建物は当地で瀬戸物商を営んでいた神田家の応接施設兼倉庫として建てられたものです。築年は大正期と推測されています。
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宿場町の名残を留めるこの通りは工場が活況を呈していた当時、日本毛織で働く多くの従業員で賑わう繁華街でした。現在は商業の中心が駅前に移り人通りも少なくなってしまいましたが、今でもこの周辺には当時を偲ばせる古い建物が残っています。
少し前までこの建物の場所にも戦前築の陶器店が建っていたのですが、平成15年に老朽化により取り壊される事となりました。この解体工事で取り払われた前面の建物の奥から現れたのが今回紹介する小さな洋館です。
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前面が洋館、その奥に倉庫兼作業場が繫がっています。
この建物は修復保存される際に3階より上を解体し、危険箇所の幾つかを撤去しています。
裏庭に散乱する瓦礫はこの時解体されたものと思われます。
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残念ながら内部は撮影禁止です。室内は8帖程度の広さしかなく、水周りも有りません。前面にあった店舗の離れとして接待用に使われていたと思われます。
*詳細はこちらをご覧下さい。
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2階へ上がる急傾斜の階段。2階は見学できなかったので内部はわかりません。この階段は予備的な物で、普段は前面にあった建物の2階部分と結ばれた通路から出入りしていたとの事です。
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小さな建物ながら、アーチ窓や上げ下げ式の窓を備えた洋館の造りです。建築様式として特定の様式に則ったものではなく、設計者あるいは施主の嗜好で自由にデザインされた印象を受けます。
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加古川工場の敷地を囲う煉瓦壁と路地を一本隔てて建っています。現在は崩れかけていますが、この建物の裏庭も煉瓦壁で囲われており、一体となって景観を成しています。
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小さな地下室が設けられています。倉庫として使われていたようです。現在はカフェーとして利用されています。
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小さいながらも独特の存在感で人目を強く惹き付けるこの建物は国の有形登録文化財に登録されています。有形登録文化財としては最も小さな建物かもしれません。
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by sunshine-works | 2009-03-09 20:32 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2009年 03月 04日
ニッケ社宅倶楽部
加古川の近代建築その6

加古川の近代建築探訪、今回も日本毛織関連の建物を紹介します。
日本毛織加古川工場の南側に同社の社宅が並ぶ区画が広がります。この区画の中心に建つ2棟の洋館は、その昔外国人技術者の居住施設として建てられたものです。
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加古川工場は明治32年に同社初の工場として操業を開始しましたが、当時の日本には毛織物の専門技術者は少なく、欧米から招いた技師がその指導にあたりました。これは毛織物に限らず明治期に近代産業として興された多くの工場に共通するもので、それぞれの事業所の近くには専用の外国人住宅が建てられていました。おそらく、これらの工場が進出した地方都市にとっては始めて目にする本格的な洋風住宅だった事と思います。
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2棟あるうちの1棟は工場開設と同時期に建てられたもの、その隣の1棟は明治末あるいは大正期に建てられたものです。建てられた年代は異なりますが、窓枠や屋根の仕様等共通するデザインで統一感を持たせています。
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こちらが最初に建てられた棟です。
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後に建てられた棟は前に別棟が建っているので正面側からは2階部分しか見えません。
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あまり手を加えられた形跡が無く、当時の状態が良く残されています。木製の窓枠も当初のままと思われます。
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入口のすぐ脇に2階へ上がる階段が見えます。
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建物に沿って反対側に回ってみます。
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玄関はこの面にも設けられています。こちらが本来の玄関かも知れません。
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操業が軌道に乗り、外国人技師がその役割を終えると、この建物は同社の宿舎や地区の中心施設に利用されます。現在も社宅倶楽部の名称で公民館や集会所の用途で使われているようです。
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この建物周辺は、同社の社宅街として大正期に造成されました。区割りされた街区には板塀や煉瓦塀が張り巡らされ、未舗装の路地の両脇に住居が整然と並んでいます。建坪や建物のデザインは職位に応じて異なっていると思われ、平屋の和風住宅に混ざって2階建ての大きな洋風建物も確認できます。
この社宅街のほとんどの建物は建てられた当時の状態が保たれており、戦前の町並がそのまま残る、町全体が近代化遺産と言った趣があります。
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日本毛織の工場は加古川を大きく発展させましたが、これを支えたのは工員達の生活の場であったこの町並みでした。
加古川の町は日本毛織の規模縮小によって、企業城下町の色合いがだいぶ薄れてしまいました。この建物や戦前の雰囲気を残す社宅街がやがては失われてしまうとしたら何とも残念です。
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by sunshine-works | 2009-03-04 20:48 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 02月 17日
多木浜洋館(あかがね御殿)
加古川の近代建築その2

別府川が海へ注ぐ多木浜にあかがね御殿と呼ばれる大きな洋館が建っています。この建物は前回紹介した多木製肥所の迎賓館として昭和8年に建てられました。
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木造3階建て(一部4階建)の巨大な建物です。外壁にびっしりと張られた銅板、長く突き出した各窓の庇、複雑に重なり合う屋根、洋とも和ともつかない独特の意匠等々、今まで見て来た洋館とは趣を異にする何ともユニークな外観です。
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現在壁面の銅板は緑青が噴いていますが、竣工時はその名の通りあかがね(銅)色に光輝いていました。
日本一の肥料会社の創業者として大成功を収めた多木久米次郎が、威信を掛けて築いたこの建物は、地域の人々にも来訪者にも相当にインパクトを与えた建物だった事は想像に難くありません。
周囲に大きな建物が無かった当時、別府の駅や山陽電鉄の車窓からその威容が望めただけでなく、沖を行く船舶からも日を浴びて煌く巨大な楼閣がその目に映った事でしょう。
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デザイン的には均整や洗練といった形容と無縁の、「奇想建築」と言える建物です。どこにも類を見ない独創的なその姿は異界の御殿を連想させます。
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敷地の北側には石造りの門が煉瓦壁に連なります。
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広い敷地の外から眺めた建物東面。敷地は多木化学の系列法人が運営する幼稚園として使われています。
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同じく建物南面の遠景
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建物の西隣に建つ大きな石碑。元々は多木久米次郎の銅像が建っていたのですが、戦時中に供出されてしまいました。碑文には肥料王ならぬ肥料主の文字が刻まれています。さすがに自ら王と称するのには遠慮があったのでしょうか。
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功成り名を遂げた多木久米次郎はこの建物を15年の歳月と莫大な建造費を費やして完成させます。成功を収めた実業家が巨費を投じて豪邸を構えるのは世の倣いですが、ここまで独創的な建物は例がありません。
竣工当時は特異な姿で注目されたこの建物も、築70年以上(起工からは80年以上)経た今は浜の名物としてすっかり風景に溶け込んでいます。
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by sunshine-works | 2009-02-17 21:47 | 近代建築 | Trackback(2) | Comments(9)
2009年 02月 04日
茨木酒造洋館
明石の近代建築その3

山陽電鉄魚住駅から南西方向、海に近いこの一帯は江戸時代から続く酒造地帯です。最盛期には魚住から江井ケ島にかけて多くの造り酒屋が並び、西の灘と言われる程の賑わいを呈していました。現在その数は10件ほどに減ってしまいましたが黒塀に囲まれた昔ながらの風情ある酒蔵の風景が見られます。その中の一軒、茨木酒造の入口横に一棟の洋館が建っています。現在同社の事務所として使用されているこの建物は大正後期に建てられたものです。
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新酒の出来上がりを知らせる杉玉が飾られた小さな建物です。下見板貼りのいわゆる擬洋風建築と呼ばれる建物ですが、この種の洋館に多いコロニアル様式の凝った装飾は見られず、入口のぺディメントと1階・2階の間に施されたコーニス(蛇腹)が洋館らしい特徴となっています。
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正面入口と思われますが不釣合いな鉄扉が取り付けられています。倉庫的な使い方をされていたのでしょうか。
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建物北側です。2階の大きな窓はサッシに入れ替えられていますが右上の小さな窓は昔のままのようです。屋根瓦は擬洋風建築らしく和瓦が使われています。
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畑の向こう側に続く酒蔵。この建物もかなり古いものと思われます。
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建物横の門から酒蔵がある敷地内に入ります。酒の直売所もあって自由に出入りする事ができます。
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敷地内から眺めた南面。
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灘に劣らず盛んな酒造地帯だった魚住周辺ですが、全国ブランドの灘酒には効し難く、やがて多くの銘柄が消えて行ってしまいました。
古い酒蔵とコントラストを成す白塗りのモダンな洋館は、この地で伝統を守り続ける蔵元のシンボルとして一際目を惹く存在となっています。
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by sunshine-works | 2009-02-04 20:31 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2008年 12月 05日
移情閣
神戸垂水区の近代建築その4

明石海峡を望む舞子公園に薄緑色に塗られた八角形の楼閣が建っています。この楼閣とその隣に建つ洋館は明治~大正期に活躍した中国人貿易商 呉錦堂氏の別荘でした。現在は呉錦堂氏と所縁の深い孫文の記念館として公開されています。楼閣部分は大正4年、洋館は明治20年代の築とされています。
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もともとはこの場所から200メートル程離れた場所に建っていましたが、明石海峡大橋の工事に伴って移築されています。*建物詳細はこちらに詳しく掲載されています。
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広い芝生広場から北側を望みます。二つの建物は寄り添う様に並んでいます。
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楼閣1階の出入口
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側面を回って建物南側へ
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敷地の外から南面を眺めます
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下から見上げると大きな建物である事を実感します。
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洋館南面のクローズアップ
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楼閣の各窓はこのような頑丈な鉄製の窓蓋が付いています。
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公開施設なので館内も自由に見学できます。こちらは楼閣の内部。8角形である事が良く判ります。
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洋館部分から楼閣を結ぶ階段
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海に面したガラス貼りのテラスから望む明石海峡大橋のダイナミックな景色。淡路島はすぐそこです。
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かってこの付近は多くの別荘や旅館が並ぶ海辺の景勝地でしたが、当時建てられた中で現存しているのはこの建物のみとなってしまいました。
孫文所縁のこの建物は近代の日中交流史の舞台となった貴重な文化遺産として記念館に生まれ変わりましたが、神戸発展の大きな力となった華僑の繁栄ぶりを偲ばせる貴重な建物でもあります。
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by sunshine-works | 2008-12-05 21:30 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)