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2011年 04月 09日
旧山本家住宅(旧近藤寿一朗邸)
西宮の近代建築その34

阪急夙川駅の北方、静かな住宅街の一角に和洋折衷様式の2階建て住宅が建っています。昭和13年、鉄山や化学工業の経営者だった近藤寿一朗の邸宅として建てられました。設計は武田五一の弟子・岡田孝男です。
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塀で仕切られた400坪の敷地に中庭を囲んで部屋が繋がり、南の日本庭園には茶室が置かれています。
洋間が続く玄関から南東側の外壁は柱を壁面に露出させたハーフティンバー式となっており、正面側が洋風、裏側は和風を主とした意匠で纏められています。
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切石を積んだ門柱に重厚な木の扉が取り付けられています。
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門を潜って玄関へ進みます。
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玄関上部はこのようなハーフティンバーで仕上げられています。
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玄関の脇を抜けて前庭へ。
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玄関へ戻って館内に入ります。
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昭和13年に建てられたこの邸宅はその後何代か所有者が変わり、最後は飲料会社を営む山本清氏の邸宅となりました。現在は山本清財団が受け継いで美術品の展示や文化教室の場として使われています。
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上の写真に見えるステンドグラスの裏側の部屋です。各窓も美しいステンドグラスが嵌められています。
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裏側に和室が続きます。
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2階へ登る階段。手摺には手の込んだ細工が施されています。
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2階の各部屋です。
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洗面所には竣工当時からの湯沸かし器が残されていました。
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この建物が建てられた昭和初期、夙川は阪神間モダニズムを代表する高級住宅地として開発されていきました。当時の高級住宅の佇まいが良好に保たれているこの建物は、昭和初期の都市近郊住宅の貴重な現存例として登録有形文化財に指定されています。
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by sunshine-works | 2011-04-09 23:52 | 近代建築 兵庫県 | Trackback | Comments(0)
2011年 03月 08日
濱甲子園倶楽部会館
西宮の近代建築その32

阪神甲子園駅の南側、甲子園浜にかけての一帯に昭和初期に阪神電鉄が開発した郊外住宅地が広がっています。
現在も戦前の名残を留める古い住戸が点在するこの一角に、当時の販売事務所兼モデルルームだった建物が残されています。昭和7年に建てられたこのモダンな洋風住宅はその後地域の自治会館に転用され、今日も現用施設として使われています。
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阪急資本が山の手に多くの住宅地を開発していった大正後期から昭和初期、武庫川の支流跡地の払い下げを受けた阪神電鉄はこの地を都市近郊のリゾート地とすると共に、その周辺に住宅地を造成していきます。山の手に対して海の手と呼ばれたこの一帯も阪急沿線と並んで阪神間モダニズムの時代を代表する近代住宅地として開発されていきました。
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一見すると周囲の家屋と見分けのつかない現代風の建物ですが、当時最先端のモダニズム住宅の要素が各部に盛り込まれています。80年を経た今も全く古さを感じさせません。
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正面入口部分は大幅に改修されています。
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切妻屋根の印象は純和風の色合いが強いのですが、洋風意匠を随所に取り込んだ近代和風とも言うべき垢抜けた仕様となっています。
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この建物の特徴として、野趣に富んだ表現が各部に盛り込まれている事があげられます。それらの多くは内装に見て取れますが、2階の手摺や窓枠からも同種の趣が感じられます。
★室内の様子はこちらのサイトに詳しい紹介があります。
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昭和初期にこれ程の先進的な住宅が建てられていた事に驚かされます。現在の戸建て住宅の原型として極めて貴重で資料価値の高い建物と思います。
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by sunshine-works | 2011-03-08 23:47 | 近代建築 兵庫県 | Trackback | Comments(2)
2010年 08月 04日
旧平賀邸
川西の近代建築その1

阪急電鉄川西能勢口駅から能勢電鉄で北へ向かいます。郊外の景色の中を約20分、山下駅を降りた北側に、かつてこの地に栄えた多田鉱山の精錬所跡が郷土資料館として公開されています。
この敷地の一角に、市内から移築された一棟の洋風住宅が公開されています。この建物は、日本最初の工学博士で、創成期の繊維産業の発展に数々の功績を残した平賀義美(ひらがよしみ)博士の邸宅として建てられたものです。大正7年築。設計は大林組の松本禹象(まつもとうぞう)。
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元々はこの場所から6キロ程南方、大阪寄りの猪名川の畔に建てられていました。敷地内にはこの建物の他に蔵や日本家屋も建っていたのですが、そちらは移築の時点ですでに撤去されており、洋館、研究室棟、庭に設けられた東屋が移築されています。
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この建物は英国の田園住宅をモデルに設計されたものと言われています。平賀博士は幾度も海外に赴任していますが、留学先のイギリスで親しんだこの建築スタイルを好んで日本の自邸に採り入れた様です。この建物の由来や意匠的特徴についてはこちらを御覧下さい。素晴らしい解説記事があります。
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外壁は小さな石を塗りこんだ洗い出しと呼ばれる独特の仕上げです。
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建物の裏手に並ぶ研究室棟。洋館とは階段で連絡されています。
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木造2階建てのこの建物ですが、非常に奥行きの小さい(薄い)形状をしています。
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細部には手の込んだ装飾が見られます。
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階段を介して洋館と繋がります。
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当時のままに再現された館内。木材の質感が落ち着いた雰囲気を醸します。
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窓の外に見えるのは平賀博士の胸像です。
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1階には大きなサンルームが設けられています。
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1階の奥から階段を上って研究室棟へ。
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兵庫県内で明治以降戦前までの間に建てられた洋風住宅の多くはコロニアル様式やスパニッシュ様式が主流で、後期にセッセションの影響を受けた建築スタイルが一部に見られましたが、この英国田園住宅の様式は一般化しなかったようです。派手な装飾や重厚な佇まいはありませんが、素朴で温かみのある意匠は実用性にも優れ、郊外住宅として理想的とも思えるのですが、当時の好みには合わなかったと言うことでしょうか。
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by sunshine-works | 2010-08-04 23:28 | 近代建築 | Trackback | Comments(7)
2010年 07月 23日
旧ワサ・ダウン邸
香川県高松市の近代建築その4

琴電屋島駅の北方、屋島の山裾に四国の古い民家を移築公開している施設、四国村があります。
この一角に、かつて神戸北野に建っていた1棟の洋館が喫茶店として利用されています。この建物は英国人ウイリアム・ダウン氏の夫人で日本人女性ワサの居宅として明治38年に建てられました。
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明治後期に建てられた北野の異人館に共通するベランダコロニアル様式です。
下見板貼り、寄棟屋根、この様式の特徴でもあるベイウインドウや鎧戸を備え、1階を解放式のバルコニー、2階はガラス窓で塞いでいます。
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当初北野に建てられていたこの建物は、同じ敷地に東西2棟が並んで建てられていました。この建物と対になる西棟にあたる建物が以前当ブログで紹介した旧ヘイガー邸です。
両方の建物を比べると、全体の雰囲気や細部の仕上げは共通していますが、全く同じ造りでは無く、サイズもこちらの建物がやや小ぶりな様に見えます。
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裏側には煉瓦煙突が見えます。
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1階正面側。中央の玄関の両側は開放式のバルコニーとなっています。
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四国村見学コースの最後に現れるこの明治期の洋館は、園内の見事な伝統家屋に引けを取らない存在感を示しています。かつて北野の高台に建てられた異人館の幾つかは、移設されこのように観光施設として活用されていますが、遠く離れた四国の地に移されたこの異人館もその持ち味が上手に活かされています。
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by sunshine-works | 2010-07-23 23:50 | 近代建築 | Trackback | Comments(1)
2010年 07月 07日
旧諏訪邸(高崎記念館)
宝塚の近代建築その9

前回に引き続き、雲雀丘に残る大正期の洋館をもう一つ紹介します。
大正12年に建てられたこの建物は、雲雀丘に数棟建てられていたW.M.ヴォーリズ設計の洋館のうち現存する唯一の物です。
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雲雀丘地区の邸宅は規模が大きな物ばかりですが、この旧諏訪邸も非常に大きな建物です。坂道に面した大きな妻面が遠方からもよく目に付きます。
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ヴォーリズが開いた近江療養院の医師、諏訪蛍一氏の邸宅としてヴォーリズ自ら設計を手がけたこの建物は、木造3階・地下1階建、大きな腰折れ屋根や開放的なテラスが特徴的なコロニアルスタイルの洋館です。
設計に際しては、「洋風住宅」と「郊外生活」が日本人の健康向上に不可欠との考えを持っていた諏訪医師の理念が各所に取り入れられているそうです。
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この建物も南に大阪平野の素晴らしい眺望が広がります。前庭に面して設けられたテラスの大きな窓からは、たっぷりと日差しが差し込みます。
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テラスから室内を窺います
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前庭から小さな階段が南側の入口に通じています。
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諏訪医師の邸宅として使われたのは大正12年から昭和4年までの僅かな期間でした。その後この建物は東洋製罐創設者の高崎達之助の邸宅として使用され、現在は同社の関連機関である東洋食品研究所によって管理されています。
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西側に設けられた正面玄関。昭和13年に増築されたものです。
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ヴォーリズ作品にお馴染みの煉瓦煙突
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日本の高級住宅街の先駆けとなったこの雲雀丘には、この他にも築80年を超える建物が10数棟現存していますが、これらはどれも比較的狭い範囲の中に集まっており、緑豊かな町並みの中で素晴らしい景観を織り成しています。阪神間モダニズムと呼ばれた山手文化華やかなりし時代、駅から続く丘陵一面に当時最新の洋館が建ち並んでいた様は、さぞかし壮麗な眺めであった事と思います。
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by sunshine-works | 2010-07-07 00:34 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2010年 07月 03日
旧徳田邸
宝塚の近代建築その8

宝塚市の東部、阪急電鉄雲雀丘花屋敷駅の北側に大正期から昭和の初めにかけて開発された住宅街が広がっています。
この雲雀丘住宅地の一角、大阪平野を見晴らす斜面の中腹に1棟の洋館が建っています。
この建物は開発初期に建てられ現存する10数棟のうちの一つで、古塚正治の設計により大正中期に建てられました
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箕面有馬電気軌道が沿線の池田や箕面、豊中等で宅地開発を行っていた同時期、長閑な農村地帯だったこの地を高級住宅街として開発したのは、灘・住吉村や芦屋の宅地開発を手掛けた阿部元太郎でした。階段状に緑豊かな邸宅が並ぶ街路には電線や下水道が地中埋設され、街灯が灯された道に乗合自動車(バス)が運行される、当時最も先進的な郊外住宅地として造成されていきました。
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設計者の古塚正治は阪神間に多種多様な作品を残していますが、この建物の設計には当時流行のセセッションスタイルを用いています。
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よく手入れされた生垣で仕切られた敷地北側。どの邸宅も豊かな植栽で飾られています。
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大阪平野を一望する素晴らしい眺め。雲雀丘の各戸には眺望と景観の保全に関する細かな規則が定められていました。この建物を含めて古い建物の屋根が赤く塗られているのも当時の取決めに由来しています。
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前庭に出て建物正面を眺めます。
この地区の洋館は何処も非公開で普段は敷地内に立ち入る事が出来ませんが、この旧徳田邸(現在は元宝塚市長正司氏の邸宅)は春に実施されるオープンガーデンフェスタの期間に公開されます。
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東京に比べて都心部が狭い大阪では早くから郊外住宅地の開発が進められ、船場地区の富裕層も阪神間や北摂地区に居を移す事となります。この様な中で関西屈指の高級住宅地として開発された雲雀丘の手法は、雛型としてその後各地で同種の宅地開発に採り入れられていく事となります。
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by sunshine-works | 2010-07-03 16:58 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2010年 03月 03日
旧土井内蔵邸(旧松本邸)
宝塚の近代建築その2

宝塚市西部、西宮市と接する静かな住宅街の一角、木立に囲まれた中に1棟の洋館が建っています。神戸の貿易商、土井内蔵氏の邸宅として昭和11年に建てられました。設計:川崎 忍
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宝塚駅の北西へ徒歩約15分、住宅街の外れにひっそりと建つ木造2階建の建物です。
池を背後に控えた広い敷地には多くの木々が植えられ、周囲と隔たれた中に、程よく年期の入った建物が景色に溶け込んでいます。装飾性に富んだ豪奢な建物ではありませんが、この時代の洋風住宅らしく、質実な中に機能美と洗練を感じさせる意匠です。
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東京の本郷中央教会や立教女学院学生会館等の設計者として知られる川崎忍は、この建物の当主土井内蔵と甥・叔父の関係にあります。カリフォルニア大学で建築を学んだ川崎忍の関西地区に残る唯一の作品と思われます。
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土井内蔵氏の邸宅として建てられたこの建物は、その後女婿の松本安弘氏の居宅を経て宝塚市に寄贈されました。現在は市立図書館分室として非公開施設となっていますが、秋の公開日に限り一般見学が可能です。
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建物に比べると小ぶりな玄関。庇両脇の持ち送りに特徴があります。
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1階リビングルームです。
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台所と浴室
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階段を上がって2階の書斎へ
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建物裏手に建つ石造の付属建物(倉庫?)
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半地下式の元防空壕らしき物
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この建物が建てられた昭和10年頃ともなると、個人住宅の意匠から「洋館」然とした仰々しさが薄れ、使い勝手に優れた洋風住宅が主流となっていきます。この旧土井邸はこの経過を示す好例として資料的価値の高い建物であり、近郊住宅地として感性豊かな文化を発展させていた、当時の宝塚の先進性を感じさせる建物でもあります。
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by sunshine-works | 2010-03-03 23:43 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2010年 01月 12日
九鬼家住宅
三田の近代建築その2

三田藩の城下の面影を残す三田の市街地に、日本家屋に洋風意匠を施した建物が建っています。
この建物は、明治初期に鉄道技師として活躍した九鬼隆範の自邸として建てられました。九鬼隆範自らの設計により、明治8年頃に建てられました。
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純然たる和風家屋の1階にテラスを備えた洋風意匠の2階部分が重なります。
洋風を模した、あるいは和洋が入り交ざった様式というのが偽洋風建築の定義ですが、この建物は、和洋折衷様式と呼んだ方が適切な表現かもしれません。
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2階の3方にバルコニーを設け、木製の手摺をぐるっと巡らせています。
下から見上げた際に良く目立つこの手摺は、建物を印象付ける重要なアクセントになっています。
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公開されている1階部分。典型的な町屋の造りです。
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明治初期に建てられた洋風住宅の中で、設計者が明らかで竣工時の図面や資料が残っている数少ない建物です。大阪や神戸でも洋式住宅が珍しかったこの時代に、これだけの建物を建てた三田の先取の気概を現わす象徴的な存在となっています。
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by sunshine-works | 2010-01-12 22:50 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2010年 01月 07日
奥野家住宅(秋景楼)
三田の近代建築その1

兵庫県の中東部、三田市から猪名川町に至る4市1町と県境を跨いだ大阪府北西部は、旧国名に因んで北摂地域と称されます。この地域は大阪や神戸の近代化の影響を受けて早くから先進文化が取り入れられ、近郊住宅地、リゾート地、文教地区として発展していきました。
尼崎から神戸を経て播磨を巡ってきた近代建築Watch 、今回よりこの兵庫北摂地区の探訪です。初回は長閑な田園の中に建つ洋館を紹介します。
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三田市の中心街から遠く離れた山間いの集落にテラスを備えた木造の洋館が建っています。この建物は地元の大庄屋だった奥野家の離れとして明治18年に建てられました。
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いわゆる偽洋風住宅なのですが、まだ誰も洋館を見たこともない明治初期の小さな農村の一角に、これだけ見事な建物が建てられた事に驚かされます。神戸新聞の紹介記事によると神戸の大工が大阪の洋館を手本に建てたとの事です。
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正面は洋風そのものですが、側面は和洋折衷のスタイル、後ろに繋がる建物は完全な和風建築となっています。
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この様な偽洋風住宅は、都市部よりも地方都市や農村に建てられる例が結構多かったようです。
先取の気鋭に富んだ地場の名士達が、旺盛に近代文化を取り込んで行った、当時の様子を今に伝える貴重な遺構となっています。
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by sunshine-works | 2010-01-07 01:59 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2009年 08月 09日
旧永井歯科医院(永井家住宅)
岡山県和気町の近代建築その1

備前市の西に位置する和気町は古代から続く歴史のある町です。近世には吉井川の高瀬舟水運の船着場として発達し、水陸の物流拠点となりました。この和気町の中心部、山陽本線和気駅から旧市街にかけての道沿いに、一際目を惹く1軒の洋館が建っています。この建物は大正5年に歯科医院兼住宅として建てられました。
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岡山では数少ない現存する洋館建ての住宅です。県東部で2番めに古い歴史を持つ歯科医院として平成10年まで開業していました。
*建物の概要については和気町の公式サイトが参考になります。
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1階が住宅、2階に診療所が儲けられていました。
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この近辺には結構古い建物が残っていて新旧の建物が隣り合って建っているのですが、それでも角を曲がってこの建物が突然現れる光景は非常にインパクトがあります。木造洋館としては中規模の部類ですが、大きさ以上に存在感のある建物です。
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道路に面し、医院として多くの人が出入りした建物ですが、傷みはあまり見られません。各部ともほぼ建築当初の状態が保たれています。
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正面の入口はこの1ヶ所のみ。医院と住居の玄関を兼ねていたと思われます。
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岡山で明治・大正期に建てられた洋風住宅はそれほど多くはありません。和気の町は当時も地方の小さな町でしたが、この洋館は早期に都市化の進んだ岡山市や倉敷市でもあまり見る事のなかった本格的な洋館でした。
築後90年を経た今もこの美しい建物は町のランドマークとして存在感を示しています。
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by sunshine-works | 2009-08-09 01:54 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)