タグ:京都府丹後・丹波地区 ( 41 ) タグの人気記事

2015年 04月 01日
カトリック宮津教会
京都府宮津市の近代建築その1

宮津市の中心部の一角に、日本で2番目に古いと言われる教会建物があります。
このカトリック宮津教会は明治29年に建てられました。
f0116479_1557142.jpg
ロマネスク様式を基調とした和洋折衷建築、木造下見板貼り、正面はモルタル仕上げ。
建物についてはこちらに詳しい解説があります。
f0116479_15582946.jpg
f0116479_1624436.jpg
f0116479_1624295.jpg
アーチ窓と薔薇窓が並ぶ正面ファサード。切妻の頂部に十字架を掲げ、両袖に尖塔を配します。
f0116479_16245751.jpg
f0116479_1625820.jpg
f0116479_16252082.jpg
アーチに囲まれた3つの入口。それぞれ付柱が添えられます。
f0116479_16255117.jpg
f0116479_16261045.jpg
f0116479_11014348.jpg
f0116479_16264284.jpg
f0116479_1627138.jpg
側面と裏側は下見板仕上げ。アーチ窓を飾ります。
f0116479_16314289.jpg
f0116479_16322317.jpg
f0116479_16324034.jpg
f0116479_16325053.jpg
f0116479_1633039.jpg
八角型の張り出しを設けた裏面。正面側とは印象が大きく異なります。
f0116479_16303685.jpg
f0116479_16294745.jpg
f0116479_1630946.jpg
f0116479_1630475.jpg
f0116479_16331395.jpg


by sunshine-works | 2015-04-01 23:56 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2015年 03月 16日
伊藤医院
京都府与謝野町の近代建築その4

加悦町の中心部を東西に貫く、通称「ちりめん街道」。この街道沿いに大正期の医院建築が残されています。
今も現役で使われているこの建物は大正6年に建てられました。
f0116479_23532767.jpg
江戸後期から明治大正期に建てられた古い建物が並ぶ中心街の一角に建つ下見板貼りの洋風建築。
丹後の医院建築の現存例として最も古い建物です。
建物の詳細については建物に添えられた下記の案内板を参照して下さい。
f0116479_00062841.jpg
古い町並みに洋風建築が違和感無く並びます。
f0116479_23552969.jpg
f0116479_23564200.jpg
f0116479_23572046.jpg
f0116479_23581994.jpg
f0116479_00035597.jpg
f0116479_23541012.jpg
f0116479_00001438.jpg
f0116479_00055135.jpg
f0116479_00004706.jpg
f0116479_00012911.jpg
f0116479_00045380.jpg
f0116479_00051363.jpg
建物南面の玄関周り。先程の案内看板に記載のあった漆喰仕上げのレリーフが見事です。
f0116479_11112047.jpg
f0116479_11032501.jpg
f0116479_11055765.jpg
f0116479_11064361.jpg
f0116479_11084280.jpg
f0116479_11090670.jpg
f0116479_11071012.jpg



by sunshine-works | 2015-03-16 23:57 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2015年 03月 08日
旧加悦町役場
京都府与謝野町の近代建築その3

加悦町の中心部の東に平成14年まで使われた旧加悦町役場が現存します。現在は与謝野町観光案内所として利用されているこの建物は昭和4年に建てられました。
f0116479_19493488.jpg
木造2階寄棟造り、外壁はコンクリート仕上げ。
北丹後大地震後に建てられた丹後地区の他の公共建築と同様に、耐震性を重視した堅固な構造が採り入れらました。
f0116479_19500585.jpg
f0116479_19511821.jpg
f0116479_19515503.jpg
赤い洋瓦を葺いた大きな寄棟屋根、1階窓を囲むドーム形、屋根上のドーマ窓の意匠、基礎を飾る煉瓦のアクセント、荒く仕上げた外壁。
当時流行ったスパニッシュ建築の要素を採り入れています。
f0116479_19523387.jpg
f0116479_19525227.jpg
f0116479_19531031.jpg
f0116479_20072862.jpg
f0116479_19535137.jpg
f0116479_19541326.jpg
f0116479_22383889.jpg
玄関周りの詳細
f0116479_19552391.jpg
f0116479_19560623.jpg
f0116479_19545251.jpg
f0116479_19572176.jpg
f0116479_19574127.jpg
f0116479_20034459.jpg
f0116479_19580285.jpg
f0116479_20065395.jpg
f0116479_20052590.jpg
f0116479_20054762.jpg
f0116479_20061511.jpg
観光案内所として使われている館内。後年に改装されていると思われますが、概ね当時の面影を留めています。
f0116479_22273604.jpg
f0116479_22281738.jpg
f0116479_22283297.jpg
f0116479_22284567.jpg
壁面の要所を飾るレリーフ
f0116479_20044352.jpg
側面の出入口も凝った造りです。
f0116479_19585711.jpg
f0116479_19591057.jpg
f0116479_19592264.jpg
f0116479_19593443.jpg


by sunshine-works | 2015-03-08 22:04 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2015年 02月 26日
旧加悦鉄道加悦駅舎
京都府与謝野町の近代建築その2

加悦町の中心部の一角に、この地で昭和60年まで営業を続けた地方鉄道の旧駅舎が保存されています。
加悦鉄道の資料館として利用されているこの建物は大正15年に建てられました。
f0116479_12353346.jpg
加悦鉄道の開通は大正15年。地場の主要産業丹後ちりめんの輸送と住民の生活路線として加悦町と丹後大宮間5.7キロに途中駅5駅が設置されました。
戦時には大江鉱山のニッケル輸送の為に支線が伸ばされ、60年の長きに渡り地域の基盤としての役割を担いました。
昭和60年に廃止された後は殆どの施設が取り壊されましたが、開業時に建てられたこの駅舎が加悦鉄道駅唯一の現存建物として残されています。
f0116479_12362988.jpg
f0116479_12443133.jpg
木造2階建て、寄棟造り。下見板貼りの儀洋風建築。規模は小さいものの、都市部の駅舎に引けをとらないモダンな意匠です。
f0116479_12461014.jpg
f0116479_12453438.jpg
f0116479_12483221.jpg
左側に設けられた入口。切妻の庇を張り出します。
f0116479_12450848.jpg
f0116479_12471462.jpg
f0116479_12474623.jpg
f0116479_13060996.jpg
f0116479_12520290.jpg
f0116479_13040168.jpg
f0116479_12513157.jpg
側面、裏側です。
f0116479_12491210.jpg
f0116479_12493128.jpg
駅舎内部は加悦鉄道の資料が展示されています。
f0116479_12501801.jpg
f0116479_12521845.jpg
f0116479_12523254.jpg
f0116479_12524506.jpg
f0116479_12532042.jpg
f0116479_12534668.jpg



by sunshine-works | 2015-02-26 21:37 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2015年 02月 18日
旧大啓産業工場建物(丹後ちりめん歴史館)
京都府与謝野町の近代建築その1

丹後大宮から県道を南へ。加悦町の中心部の手前に、昭和初期に建てられた工場建物が現存しています。
地場産業の丹後ちりめん資料館として再生されたこの建物は、絹織物工場として昭和10年に建てられました。
f0116479_01114553.jpg
昭和2年の震災によって丹後の縮緬生産は一時期大きな打撃を受けましたが、程なく大規模工場での近代産業として再興を果たします。
現存するこの建物も、丹後縮緬大手製造元だった大啓産業の工場として震災後に建てられ、平成11年までの長きに渡って使い続けられました。
f0116479_01121960.jpg
東面奥手に並ぶ木造建屋。当時の工場施設に多く使われた鋸屋根を連ねます。
他の箇所には後年に改修された部分もありますが、この部分は概ね工場として使われていた当時の面影を留めています。
f0116479_01154338.jpg
f0116479_01162785.jpg
f0116479_01165582.jpg
f0116479_01172214.jpg
f0116479_01174723.jpg
f0116479_01181213.jpg
f0116479_01183883.jpg
f0116479_01205020.jpg
北側に並ぶ寄棟の大きな建物。事務所あるいは管理棟でしょうか。
f0116479_01193702.jpg
f0116479_01223801.jpg
f0116479_01231761.jpg
f0116479_01242438.jpg
f0116479_01243851.jpg
玄関入口が設けられた西面。
f0116479_01141413.jpg
f0116479_01254346.jpg
f0116479_01255704.jpg
f0116479_01282651.jpg
玄関を囲む棟の中で、この建物にはスクラッチタイルが貼られています。
f0116479_01272059.jpg
f0116479_01261067.jpg
f0116479_01262541.jpg
館内は往時の姿を残しながら展示と物販のスペースが設けられています。
f0116479_01301310.jpg
f0116479_01312834.jpg
f0116479_01302807.jpg
f0116479_01304590.jpg
f0116479_01305800.jpg
f0116479_01311072.jpg
f0116479_01314420.jpg
現在の入り口が設けられている南面。
f0116479_01322537.jpg
f0116479_01321397.jpg
f0116479_01323680.jpg


by sunshine-works | 2015-02-18 21:33 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2015年 02月 10日
旧口大野小学校雨天体操場
京都府京丹後市の近代建築その6

前回紹介した旧口大野村役場の裏手には、かつてこの地にあった旧小学校の建物の一部が残されています。この建物は旧口大野小学校雨天体操場として昭和3年に建てられました。
f0116479_23124406.jpg
現存するのは下見板貼りの階高の高い木造平屋建物。切妻屋根に和瓦を葺きます。
途中で絶ち切られた現在の姿は小さな倉庫の様ですが、元々は体育館(当時の呼称で雨天体操場)として使われた建物でした。
f0116479_23140297.jpg
f0116479_23164685.jpg
f0116479_23151416.jpg
f0116479_23173979.jpg
小さな入口を設けた裏面。改変の痕跡がある表側に比べ、この面は往時の姿のままと思われます。
f0116479_23181134.jpg
f0116479_23194089.jpg
f0116479_23202983.jpg
f0116479_23220692.jpg
f0116479_23212851.jpg
かつての校庭側から眺めた正面。校舎跡地には公民館が建てられています。
f0116479_23234103.jpg
f0116479_23242828.jpg
f0116479_23255549.jpg
f0116479_23250346.jpg


by sunshine-works | 2015-02-10 01:41 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2015年 01月 31日
旧口大野村役場
京都府京丹後市の近代建築その5

旧大宮町の中心街の北に木造の古い役場建物が残されています。昭和4年、旧口大野村役場として建てられました。
f0116479_0462593.jpg
戦後に5村が合併して誕生した旧大宮町の中心に位置するこの建物は、元々は口大野村役場として建てられました。大宮町発足後は同町の役場として使われ、役場移転後は公民館、銀行支店、商工会館等に使われましたが、その後は長く空家となっているようです。
f0116479_0484660.jpg
f0116479_0474477.jpg
角地に建てられた木造2階建て。羽目板貼りの外壁、屋根に和瓦を葺いた儀洋風建物。
コーナーに設けた玄関、その上部に付け柱を飾り、屋根に三角破風を立ち上げます。
長く張り出した庇、交互に塗り分けらた外壁羽目板、大きな窓が並ぶ壁面等々、昭和初期のモダンな木造庁舎の姿を伝えます。
f0116479_047460.jpg
f0116479_0515311.jpg
f0116479_0584695.jpg
f0116479_059315.jpg
f0116479_053227.jpg
背面はドイツ下見板貼り仕上げ。2階の窓は省かれています。手前に見える門柱は隣接して建てられていた旧小学校の遺構です。
f0116479_055347.jpg
コーナーに設けられた玄関。シャッタに置き換えられてしまっているのが残念です。
f0116479_058116.jpg
f0116479_0572184.jpg
f0116479_0593555.jpg
f0116479_0594769.jpg
f0116479_102289.jpg
f0116479_103822.jpg
玄関上部の破風には旧大宮町の徽章を飾ります。
f0116479_113780.jpg



by sunshine-works | 2015-01-31 22:02 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2015年 01月 24日
峰山小学校
京都府京丹後市の近代建築その4

前回は峰山町の北丹後震災記念館 を紹介しましたが、同町内には同じ設計者が手掛けた学校建築が現存します。昭和4年築。設計:一井九平
f0116479_09194119.jpg

峰山町中心部から県道を北へ。緩やかな坂の途中にアーチ窓を巡らせた鉄筋コンクリートの大きな建物が見えてきます。
京丹後市立峰山小学校の玄関を構えるこの校舎は、昭和4年に建てられました。
f0116479_09210630.jpg
f0116479_09213587.jpg

昭和2年に発生した北丹後地震によって峰山町中心部にあった峰山小学校は校舎が倒壊、200名を越える死者を出しました。
町の復興と共に再建された小学校校舎は耐震性に優れた最新の鉄筋コンクリート造のモダンな外観、北丹後震災記念館と共通する意匠で建てられました。
f0116479_09251615.jpg
各面に巡らせた縦長窓、上部に連なる半円アーチ。
中央に三方にアーチを組んだ車寄せを配し、張り出した庇の下にはロンバルジア帯を飾ります。
大正期から昭和初期にかけて京都市内にはこのような意匠の鉄筋コンクリート造の学校建築が数多く建てられますが、京都市から遠く離れた府下の地方都市の校舎としては希少なものとなります。
f0116479_09265128.jpg
f0116479_09494860.jpg
f0116479_09311584.jpg
f0116479_10224275.jpg
玄関周り。車寄せのアーチ形状が異なるものの、震災記念館とそっくりです。
f0116479_09433922.jpg
f0116479_09531326.jpg
f0116479_09520563.jpg
f0116479_09444063.jpg
f0116479_10082874.jpg
f0116479_10091182.jpg
f0116479_09505983.jpg
f0116479_09371264.jpg
f0116479_09414327.jpg
f0116479_09422099.jpg
f0116479_09455017.jpg
f0116479_09424568.jpg
f0116479_09481780.jpg
f0116479_10001118.jpg
f0116479_09484534.jpg
校舎裏側です。
f0116479_10061725.jpg
f0116479_10063338.jpg
f0116479_10064901.jpg


by sunshine-works | 2015-01-24 23:57 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2015年 01月 10日
丹後震災記念館
京都府京丹後市の近代建築その3

峰山町の中心街の北方、小高い丘の上に鉄筋コンクリート造の古い建物が残されています。
この建物は昭和4年に丹後震災記念館として建てられました。設計は京都府技師の一井九平。
f0116479_11400688.jpg
丹後半島沖を震源として昭和2年3月7日に発生した北丹後地震は、およそ3,000人と言われる死者・行方不明者を出した大災害でした。特に大きな被害を受けたのが峰山町で、中心部の殆どの建物が失われ、死者は1,000名あまりに及びました。
震災による犠牲者の慰霊と記録資料の保存、地震に関する学術研究を目的に建てられたのがこの丹後震災記念館で、町を見下ろす台地の上に耐震性に優れた当時最新の鉄筋コンクリート造で建てられました。
f0116479_11411132.jpg
f0116479_13444315.jpg
f0116479_11425991.jpg
鉄筋コンクリート2階建て、東西の附室に事務所や倉庫を置いていますが、中央に設けた吹き抜けの大きな講堂を主体とした構造です。
半円アーチの多用や軒や玄関庇に巡らせたロンバルジア帯等、ロマネスク建築の要素を採り入れた当時主流の意匠を盛り込んでいます。
f0116479_11434782.jpg
f0116479_11450056.jpg
f0116479_11454964.jpg
f0116479_11463313.jpg
f0116479_11465481.jpg
f0116479_11471854.jpg
f0116479_11475897.jpg
f0116479_11482613.jpg
f0116479_11490753.jpg
f0116479_13491565.jpg
f0116479_13540304.jpg
f0116479_17202989.jpg
各面に並ぶ縦長窓。頂部に半円アーチが配されます。
f0116479_11492461.jpg
f0116479_13522197.jpg
f0116479_13502503.jpg
f0116479_11494899.jpg
f0116479_13554355.jpg
東面に設けられた玄関。三方にアーチを巡らせた車寄せを張り出します。
f0116479_14040622.jpg
f0116479_14042655.jpg
f0116479_14080391.jpg
f0116479_14060806.jpg
f0116479_14070429.jpg
f0116479_17260967.jpg
f0116479_14094347.jpg
f0116479_17274671.jpg
f0116479_14100819.jpg
f0116479_14085228.jpg
f0116479_14152436.jpg
明治以降、各地に発生した自然災害の慰霊や記録を目的とする施設が数多く建てられました。
この丹後震災記念館は西日本に建てられたこの種の建物としては最も規模が大きく、建築意匠的にも優れた遺産として往時の姿を今に伝えています。
f0116479_14154162.jpg


by sunshine-works | 2015-01-10 17:30 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 25日
旧久美浜県庁舎玄関棟/旧久見谷町役場
京都府京丹後市の近代建築その2

京都府の北西部、兵庫県との境に位置する久美浜一帯は日本海航路の要衝として栄え、天領となった江戸時代には代官屋敷を中心とした町並みが築かれていました。
その後、久美浜代官所の管轄区域は幕末に設置された久美浜県に移行され、京都・兵庫の中北部から生る大きな県域を治めましたが、程なく明治4年に廃止され、生野、豊岡両県に分割されます。
行政の中心としての役割を失ったものの、久美浜はその後も地域の拠点としてその地位を保ち、明治期から昭和初期に幾つもの近代建築が建てられました。
京丹後市探訪の2回目は、久美浜町中心部に残る旧久美浜県庁舎の旧玄関棟と昭和7年築の旧久美谷町役場を紹介します。
f0116479_14315295.jpg

旧久美浜県役場は明治元年に久美浜代官所敷地内に初代庁舎が置かれましたが、明治3年に近接地に新築されます。この庁舎も翌4年には久美浜県が廃された事により新設された豊岡県庁舎として移築されますが、大正後年に玄関部分が再び久美浜に戻され、神社の社務所として使用されました。
f0116479_14322883.jpg

現存するのは玄関棟として建てられた木造平屋、漆喰壁、瓦葺きの和風建物。
中央玄関部分に切妻の破風を張り出す、寺社や武家屋敷風の意匠です。
f0116479_14371739.jpg
f0116479_14375199.jpg
f0116479_14421209.jpg

明治期の庁舎の多くは儀洋風と呼ばれる和洋折衷様式で建てられましたが、幕末から明治初年に設置されたこれら初期の役所建物には洋風の意匠は用いられず、江戸時代の代官屋敷や武家屋敷に倣った造りでした。
f0116479_14383280.jpg
f0116479_14384768.jpg
f0116479_14390706.jpg
f0116479_14401877.jpg

明治初期の庁舎建物は各地に残されていますが、廃藩置県以前の三冶制と呼ばれる行政制度に於いて設置された庁舎の現存例は極僅かです。
この旧久美浜県庁舎は当時の姿を伝える資料として貴重な建物となります。
f0116479_14393375.jpg




久美浜駅から駅前通りを進んで程なく、通りに面して木造2階建ての洋風建築が見えてきます。
この建物は、昭和7年に久美谷町役場として建てられ、戦後に周辺合併で誕生した久美浜町の庁舎として使われました。
f0116479_01430177.jpg
f0116479_01431978.jpg

木造2階建て、和瓦を葺いた寄棟屋根、外壁は下見板貼り、軒下を漆喰壁で仕上げます。
各部はその後に張替えられ、窓もサッシに代えられた為に古さを感じませんが、地方役場に多用された儀洋風意匠の姿を良く伝えています。
f0116479_10585757.jpg
f0116479_01440441.jpg
f0116479_11004011.jpg

正面入口に張り出した切妻屋根の玄関庇。儀洋風の役場建物や校舎に用いられた様式ですが、上掲の旧久美浜県庁舎に見られる武家屋敷の意匠を引き継いだものと思えます。
f0116479_10571399.jpg
f0116479_11011698.jpg
f0116479_01443855.jpg
f0116479_11013744.jpg


by sunshine-works | 2014-12-25 19:31 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(2)