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2016年 02月 05日
舞鶴旧鎮守府倉庫施設1

京都府舞鶴市の近代建築その10

明治34年に鎮守府が置かれ、昭和20年まで海軍の拠点として栄えた東舞鶴には各地に旧軍由来の施設、建物が数多く残されていますが、現在海上自衛隊が使用している旧軍港周辺には当時兵器や軍需品の収蔵に使われた12棟の煉瓦倉庫が現存しています。
今回より数回に亘って明治期から大正にかけて建てられたこれら煉瓦倉庫を紹介します。
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今回取り上げるのは自衛隊桟橋寄りに建つ3棟の倉庫。現在は海上自衛隊の倉庫として使われています。
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この場所には舞鶴最初の煉瓦倉庫となる2棟の被服倉庫が明治34年に建てられ、大正10年に1棟が建て増しされました。
3棟は煉瓦造切妻屋根の構造は共通ですが築年の違いで意匠が異なっており、西端に位置する大正期の倉庫は明治期のものに比べて凹凸が少なく全体に簡略さています。
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左が大正期、右が明治期の倉庫。
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中央と東側に建つ明治34年築の2棟。同時期に建てられた他の舞鶴の煉瓦倉庫や各地の軍需倉庫と共通した意匠です。
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3棟の倉庫は埠頭と道路の間に建てられており、接岸した艦艇を遮蔽する役割を果たします。
防備、防諜の上からもこの場所が選ばれたと思われます
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by sunshine-works | 2016-02-05 13:56 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 28日
旧北吸浄水場配水池
京都府舞鶴市の近代建築その9

舞鶴湾の自衛隊桟橋を見下ろす高台に2棟の煉瓦建物が建っています。
ここはかつて旧海軍によって設置された軍事水道の浄水場があった場所で、現在その跡地には配水池と上屋が当時の姿で残されています。
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舞鶴の軍事水道は軍港設営と平行して進められ、明治34年に完成します。
北吸浄水場は与保呂川の水源地から導いた源水を浄化し配水する施設として設置されたもので、高台の高度差を利用して海軍施設と艦艇に給水を行いました。
この浄水場は戦後舞鶴市に移管されて昭和39年まで使用されましたが、その後浄水施設は取り払われ、配水池とその上屋が残されました。
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配水池は開設時の明治34年に設置された第一配水池と大正10年に増設された第二配水池からなり、それぞれの配水池は大正15年に建てられた煉瓦造、鉄骨小屋組の上屋で覆われています。
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アーチが組まれた入口上部。壁面上部は板張なのでアーチ構造にする必要はないのですが、意匠的な拘りでこのような形になったと思われます。
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日本の近代水道の歴史は明治20年の横浜市に始まり、各地の主要都市に広まっていきますが、舞鶴の軍事水道が完成した明治34年当時近代水道を保有していたのは全国で9都市のみで、舞鶴の水道は大正1年に完成した京都市よりも11年早く設置された事になります。
舞鶴のみならず鎮守府が置かれた他の3軍港も明治中期に水道を設置しており、多くの将兵や艦艇に大量の安全な水を供給する事がいかに重要だったかが計られます。
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普段は内部に立入る事はできませんが、定期的に行われるイベント開催時に配水池内部が公開されます。以下は27年10月のイベント時に撮影したものです。
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池の内部は幾層もの煉瓦壁が迷路のように連なります。
浄水が澱まない為の構造との事です。
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by sunshine-works | 2016-01-28 14:09 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 22日
舞鶴要塞 葦谷砲台
京都府舞鶴市の近代建築その8

前3回にて舞鶴湾西岸に配置された3つの砲台を取り上げましたが、今回は湾の東側に設置された砲台の一つ、葦谷砲台を紹介します。
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葦谷砲台は舞鶴湾の湾口部、国見山の頂上近くに明治32年に設置されました。
最も北に配置されたこの砲台は舞鶴湾に接近する敵艦隊に対して最初に砲門を開き、湾口の狭い水路に侵入した敵艦には対岸の砲台群と共同して挟撃する重要な役割を担います。備砲は舞鶴の各砲台の中で最大口径の28cm榴弾砲6門が据えられました。
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この砲台も他の砲台と同様に2砲一組で砲座が組まれ、それぞれに煉瓦の砲測庫や弾薬庫を備えます。
これらは山腹の手前から奥へ、さらに横手へと通路に沿って複雑に連なっています。
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奥に進んで隣の掩蔽へ。
舞鶴の各砲台はほぼ同時期に着工、完成していますが、構造物は必ずしも統一した規格とも言えず、各砲台毎に微妙に異なります。この葦谷砲台は他の砲台に見られる礎石の使用比率が少なく煉瓦が多用され、角にアールが付けられているのも他に無い特徴です。
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日露戦争の際に危惧されたロシア艦隊の日本本土来襲はありませんでしたが、日本船舶がロシア軍艦に襲撃される事件は実際に起こっており、日本海沿岸は緊迫した状況に置かれていました。
この脅威は日本海軍によるロシア太平洋艦隊の制圧とその後の日本海海戦の大勝により一掃されますが、逆の結果となっていた場合にはこの舞鶴湾が真っ先に攻撃目標とされていた筈で、効果の程はともかく備えとしては妥当なものだったと思えます。
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by sunshine-works | 2016-01-22 13:09 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 14日
舞鶴要塞 建部山砲台
京都府舞鶴市の近代建築その7

舞鶴湾西岸に設置された3つの砲台の中で最も湾の奥部に位置する建部山砲台。12cmカノン砲4門を備えるこの砲台は明治34年に完成しました。
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市街地の外れから山道を登って小一時間、標高313メートルの建部山山頂に到達します。周辺の木立の中に煉瓦造の弾薬庫が、その背後にコンクリート造の砲側庫と砲座跡が残されています。
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弾薬庫の入口周り詳細。
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各庫内は荒らされた様子も無く、良好な状態。壁の白色は煉瓦に漆喰を塗ったものです。
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弾薬庫の脇には砲座へ繋がる石段が積まれています。
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分厚くコンクリートで補強された弾薬庫。
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砲座跡。4門の備砲は2門を一組として2基の砲座に据えられていました。
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建部山砲台に配備されたカノン砲の最大射程は約7km。この位置からは舞鶴湾の外側には弾丸は届かず、砲口は上陸部隊の予想進路である由良川方向へ向けられていました。
この砲台は、舞鶴軍港に向けて進行する敵軍を迎え撃つ、正に最後の砦となるべきものでした。
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確かに、高所に据えられた大型砲が大きな脅威となる事は旅順攻防戦でも実証されましたが、この建部山砲台が砲門を開く場面は湾口の各砲台が壊滅し、日本艦隊も撃破されて制海権を失った状況であり、大挙押寄せる敵軍に対して僅か4門の砲は殆ど無力に思えます。一時の足止めを図るのが精一杯だったのではないでしょうか。
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by sunshine-works | 2016-01-14 11:30 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 07日
舞鶴要塞 金岬砲台
京都府舞鶴市の近代建築その6

舞鶴湾西岸に配置された3つの砲台の一つ、舞鶴要塞金岬砲台は前回紹介した槙山砲台の北方、金ヶ岬を見下ろす山中に明治33年に設置されました。
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崩れかけた獣道を草木を掻き分けひたすら進んだ先に一群の煉瓦構造物が見えてきます。舞鶴湾の入口を守るこの要塞には21cmと15cmのカノン砲各4門が備えられました。
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明治30年代初頭に相次いで設置された舞鶴湾岸の砲台の中で、この金岬砲台のみが昭和9年に廃止され、代わって沿岸沿いに2基の砲台が設置されます。
この金岬砲台に限らず舞鶴湾周辺に配備されていたのはどれも19世紀に開発された旧式砲で、砲力と防御力が格段に進化した大型艦艇と撃合うには全くの力不足でした。
どの道、圧倒的な火力と航空支援の元で行われる要地攻撃や上陸作戦に対して沿岸要塞が有効な戦力となる時代は終焉しており、もっと早い時期に見切りを付けるべきものでした。
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この金岬砲台も他の要塞と同様に分散して砲が据えられ、砲座毎に煉瓦とコンクリートの砲側庫を構えます。
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さらに奥へ進むと現れる半地下式の区画。弾薬庫と思われます。
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それぞれの掩蔽部の背後には砲座や指令所跡が、また周辺部には井戸や貯水槽らしき施設が残されています。
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by sunshine-works | 2016-01-07 11:07 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 29日
舞鶴要塞 槙山砲台
京都府舞鶴市の近代建築その5

日露の軍事的緊張が高まる明治30年代初頭、舞鶴では軍港整備と平行して多くの砲台が周辺部に設置されました。
舞鶴要塞と呼ばれた一連の施設は日露戦争終結後も舞鶴鎮守府防備の要として据置かれ、昭和20年の終戦までその任にありました。
これら砲台跡の多くは取り壊されること無く残され、戦後70年を経た今日も山中に朽ちかけた姿を留めています。
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舞鶴湾の西岸に設置された3基の砲台の一つ槙山砲台は明治33年に完成。舞鶴湾の入口、狭い水路を見下ろす山の頂上近くに設置され、28cm榴弾砲6門と15cm臼砲4門を装備していました。
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なだらかな山道に沿って並ぶ砲側庫。煉瓦を積んで一部をコンクリートで補強し上部に土を盛り上げた構造は、この時代各地に築かれた要塞施設に共通したものです。
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上部へ上る石段。裏側に据えられた砲座へ繋がる通路と推測されます。
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坂道沿いに間隔を空けて同様の砲側庫が数基並びます。
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この砲台の主砲として6基の28cm榴弾砲が予定されていましたが、設置が完了したのは砲台完成後8年を過ぎた明治41年で、既に日露戦争は終結していました。
尤も、旅順攻防戦に際して他の要塞から多くの備砲が戦地に送られた経緯を察すると、当初想定されたロシア艦隊来襲の可能性は薄いと判断し、特に問題とされなかったのかもしれません。
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入口の煉瓦やコンクリートの一部が剥がれていますが、内部は程よく状態を保っています。
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by sunshine-works | 2015-12-29 14:43 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 22日
旧京都竹村丹後製窯所煉瓦窯(神崎煉瓦ホフマン式輪窯)
京都府舞鶴市の近代建築その4

由良川の河口近く、由良川橋梁を越えた先に全国で4箇所のみ現存するホフマン式輪窯の一つが残されています。明治30年に操業を開始した京都竹村丹後製窯所の煉瓦製造施設として設置され、大正末期にホフマン窯に改築されました。
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工場敷地の中ほどに建つ煉瓦を積んだ露天の窯跡。保存を図る為に鉄骨の屋根で覆われています。
各所の煉瓦が崩れ、失われた部位も多くありますがホフマン式輪窯の概要を伝える産業遺産として保存されています。
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トンネル窯を長楕円の環形に繋ぎ、内部は11の区画に仕切られます。熱源は区分けされた各窯の他に主燃焼室からも供給され、区画毎に火入れ・焼成・取出しを繰り返す事で施設全体での連続操業を可能とします。
元々は登窯式の煉瓦製造施設として明治30年に造られたものですが、大正末期に連続焼成可能なこの形式に改築されました。
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元々は舞鶴軍港の造営に使われる煉瓦の製造施設として設置され、多くの軍関連建物や構造物に用いられました。戦後もホフマン窯の操業は続けられましたが、需要の減少に伴い昭和30年代初頭に役目を終えます。
その後施設は取り壊されること無く残されましたが、御覧のとおりに劣化風化が進んでしまいました。
現在は舞鶴文化教育財団に管理が移り、保存修復に取り組んでいます。
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外構から内部を伺います。
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崩れかけた主煙突の基部。
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修復され整えられた区画の内部。奥へ進んで窯を眺めます。
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by sunshine-works | 2015-12-22 15:02 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(4)
2015年 12月 15日
旧舞鶴税務署
京都府舞鶴市の近代建築その3

西舞鶴の中心部、旧田辺城跡の近くに大正期に建てれた旧庁舎が残されています。この建物は大正11年に舞鶴税務署として建てられ、その後図書館、商工会館と用途を変えながら近年まで使われていました。
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公共施設や学校、公園が集まる一角に木造2階建タイル貼りの建物と平屋煉瓦造の倉庫が並びます。
現在2階建て建物は空家でフェンスに囲われた状態、税務署時代に文書庫に使われていた煉瓦建物は消防施設として利用されています。
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近年まで現役で使われた建物は各所に改装や補修の跡が見られます。多くの窓は塞がれ、煉瓦風のタイルの一部も剥落しています。
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2階の一角に僅かに残る当時の上げ下げ窓。
屋根は桟瓦葺きとの事ですが、付け足されたパラペットで囲まれて確認出来ません。
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舞鶴税務署として建てられたこの建物ですが、僅か5年で廃署となりその役割を終えます。
建物は地元の事業家の寄付により町立図書館に転用され、40年余に亘って使われました。その後は商工会館として更に40年近く利用された後、平成17年に用途を終えます。
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入口が設けられた西面。
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旧文書庫。
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by sunshine-works | 2015-12-15 11:25 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 07日
旧敦賀二五銀行舞鶴支店(元京都共栄銀行西舞鶴支店)
京都府舞鶴市の近代建築その2

西舞鶴の商店街に古い銀行建築が残されています。現在は民間企業の施設として使われているこの建物は昭和10年に建てられ、その後も長く銀行店舗に使われました。

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南北に長く続く商店街の一角に建つ鉄筋コンクリート2階建て。前面にオーダー柱を並べる当時の銀行建築に則った様式です。
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この建物の由来については詳しい資料がありませんが、昭和8年発行の地図には敦賀二五銀行として記されています。昭和10年と伝わる建物竣工年度が正しければ同行の新店舗として建て替えられた際のものと推測されます。
敦賀二五銀行はこの建物竣工間もない昭和11年に同じ福井の大和田銀行に吸収され、その大和田銀行も戦後すぐに破綻してしまいますが、その後もこの建物は金融機関の店舗として転用され、最後は京都共栄銀行西舞鶴支店として近年まで使われていました。
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シンプルで小振りな玄関廻り。コンクリートの分厚い庇を張り出します。
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入口両側に配した大きなガラス窓。壁面は目地を刻んでタイル風に仕上げています。
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前面に並ぶ4本のオーダー。柱頭は独特の意匠。
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by sunshine-works | 2015-12-07 11:15 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 30日
岡田橋
京都府舞鶴市の近代建築その1

舞鶴市の西部、国道と並行する由良川の支流に1基の石造橋が移築保存されています。
京都府内に現存する明治期の石造アーチ橋2例の一つとなるこの岡田橋は明治21年に架けられました。
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橋長17メートル、幅5メートル。花崗岩の切石を積み上げた単式アーチ。設計は琵琶湖疏水を手掛けた田辺朔太郎とされています。
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京都と宮津を結ぶ街道整備事業に伴い設置されました。同事業の遺構としては、亀岡市の王子橋(この橋も田辺朔太郎が設計しています)や、以前紹介した粟田トンネル(撥雲洞)が現存しています。
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橋本体と欄干の色合いが異なります。元々の欄干は途中で失われており、移築に際して新たに付け加えられたもの。形状もオリジナルと異なるようです。
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岸辺からアーチを伺います。
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橋上の眺め。
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by sunshine-works | 2015-05-30 20:36 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)