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2016年 03月 11日
旧海軍機関学校大講堂
京都府舞鶴市の近代建築その15

自衛隊桟橋と道を隔てた向い側に海上自衛隊舞鶴地方総監部の広い敷地が広がります。
ここはかつて旧海軍機関学校が置かれていた場所で、当時の建物施設の多くが今も残されています。
今回はこれらの建物の中で唯一公開されている旧大講堂を紹介します。
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横須賀に設立された海軍機関学校は関東大震災で消失し江田島に仮設されていましたが、移転先として舞鶴が選ばれます。
空地となっていた旧海兵団の敷地を利用して昭和3年から校舎や講堂の建設が始まり、昭和8年にこの大講堂が竣工します。
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鉄骨造平屋建、壁面はスクラッチタイル貼り。基礎や石段、玄関廻りには御影石が使われています。
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玄関ポーチからの眺め。奥に並ぶ旧機関学校の建物を伺います。
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玄関には舞鶴鎮守府の初代長官だった東郷平八郎の胸像が飾られています。
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現在は海軍記念館として公開され、展示室の資料や講堂内部を参観する事が出来ます。
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by sunshine-works | 2016-03-11 13:27 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2016年 03月 04日
北吸隧道
京都府舞鶴市の近代建築その14

舞鶴赤レンガパークから東舞鶴駅へ向けて敷石の遊歩道が通じています。この遊歩道が途中でくぐる煉瓦トンネルは、かつて東舞鶴駅から軍港の間に敷かれていた引込線の鉄道トンネルとして明治37年に設置されたものです。
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舞鶴軍港の造営と平行して進められた福知山~新舞鶴(現在の東舞鶴)間の鉄道開通は明治37年。同時に終点の新舞鶴から軍港の間に軍事輸送の為の引込線が敷かれました。
この路線は軍港が廃止された戦後も中舞鶴線として運用されますが、昭和47年に廃線となった後は長らく放置された状態でした。
平成に入って遊歩道として旧路線跡が整備されるのに併せて隧道も修復され、現在は舞鶴の観光スポットの一つとなっています。
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抗門部は福知山~新舞鶴に敷かれた舞鶴線の隧道に共通する意匠。総煉瓦で装飾豊かな造りは重要な軍事路線としての格を示すものとも思えます。
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トンネル内部。竣工時には壁面すべてに煉瓦が張られていました。
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東舞鶴駅側の抗門部。
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by sunshine-works | 2016-03-04 21:17 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2016年 02月 26日
舞鶴旧鎮守府倉庫施設4
京都府舞鶴市の近代建築その13

前回に引き続き舞鶴赤レンガパークの倉庫群を紹介します。
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敷地の南側、道路に面して建てられた大正7年築の5号館。創建時は兵器廠の倉庫として、その後は水雷庫として使われました。
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他の倉庫に比べて高さと幅が一回り以上大きな建物です。
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大正7年の築ですが、舞鶴の他の大正期の倉庫と異なり意匠の簡略が無く、明治期の倉庫とほぼ同じ外観です。
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こちらは裏側。
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こちらが表側。どちらの妻面も同じ意匠になっています。
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イベントホールとして利用されている内部。狭い間隔で煉瓦柱が並びます。
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2号館の正面側景色。戦後は長く市役所の分庁舎として使われましたが、その後市制資料館に改装されました。観光施設として再生された舞鶴赤レンガパークの元となった建物です。
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隣接する市役所を挟んで北側に位置する1号館。
平成5年に煉瓦博物館として再生されたこの建物は兵器廠の水雷庫として明治36年に建てられました。
現存する12棟の中で唯一鉄骨煉瓦構造の倉庫です。
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側面から裏側の様子。
鉄骨造の煉瓦建物は築例が少なく、現存例としてはこの建物が最古級とされています。
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by sunshine-works | 2016-02-26 05:12 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2016年 02月 19日
舞鶴旧鎮守府倉庫施設3
京都府舞鶴市の近代建築その12

前回紹介した4棟の倉庫群の東隣には観光施設として整備された4棟の倉庫が並びます。
ここには明治35年に3棟、大正7年に1棟が建てられました。
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ここに並ぶ4棟と市役所の北隣に建つ1棟は旧軍時代に兵器庫として使われていました。
戦後は民間倉庫として使われる一方で市役所分館や赤レンガ博物館に転用が進められ、現在はすべての倉庫が舞鶴赤れんがパークとして展示施設や飲食物販店、イベントスペースに利用されています。
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最初に建てられた明治35年築の3棟。右手に見えるのが大正7年築の1棟。
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奥には前回紹介した旧需品庫の妻面が覘きます。
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平行に並ぶ明治35年築の倉庫。右が西端の4号館、左が中央の3号館。奥手は大正7年築の5号館です。
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同じ面を南から。
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こちらは3号館と2号館です。
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by sunshine-works | 2016-02-19 11:36 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2016年 02月 12日
舞鶴旧鎮守府倉庫施設2
京都府舞鶴市の近代建築その11

前回紹介した3棟の煉瓦倉庫群の東隣、文庫山の麓には4棟の倉庫が並びます。
ここには明治35年に3棟、大正8年に1棟の煉瓦倉庫が建てられました。
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敷地内の北側に明治期の倉庫が3棟、向かい合う位置に大正期の倉庫が1棟建てられています。これら4棟はどれも竣工時に需品庫の用途に充てられていました。
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倉庫に沿って遊歩道が敷かれています。これは当時東舞鶴駅付近から軍港間を結んでいた軍需鉄道の引込線跡を整備したものです。
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倉庫の先に艦艇が舫われた埠頭を望みます。
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正面側詳細。外観には手を加えられた跡が殆どありません。前面に並ぶ木製の電信柱や古びた表示板もそのまま残され、往時の趣が良く保たれています。
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大正8年築の倉庫。現在は海上自衛隊が使用しています。
前回紹介した中の一棟と同様に意匠が簡略化されています。
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こちらは明治35年築の倉庫の妻面。
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殆どの煉瓦は創建当時のまま。扉もそのまま残されています。
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by sunshine-works | 2016-02-12 15:05 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2016年 02月 05日
舞鶴旧鎮守府倉庫施設1

京都府舞鶴市の近代建築その10

明治34年に鎮守府が置かれ、昭和20年まで海軍の拠点として栄えた東舞鶴には各地に旧軍由来の施設、建物が数多く残されていますが、現在海上自衛隊が使用している旧軍港周辺には当時兵器や軍需品の収蔵に使われた12棟の煉瓦倉庫が現存しています。
今回より数回に亘って明治期から大正にかけて建てられたこれら煉瓦倉庫を紹介します。
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今回取り上げるのは自衛隊桟橋寄りに建つ3棟の倉庫。現在は海上自衛隊の倉庫として使われています。
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この場所には舞鶴最初の煉瓦倉庫となる2棟の被服倉庫が明治34年に建てられ、大正10年に1棟が建て増しされました。
3棟は煉瓦造切妻屋根の構造は共通ですが築年の違いで意匠が異なっており、西端に位置する大正期の倉庫は明治期のものに比べて凹凸が少なく全体に簡略さています。
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左が大正期、右が明治期の倉庫。
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中央と東側に建つ明治34年築の2棟。同時期に建てられた他の舞鶴の煉瓦倉庫や各地の軍需倉庫と共通した意匠です。
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3棟の倉庫は埠頭と道路の間に建てられており、接岸した艦艇を遮蔽する役割を果たします。
防備、防諜の上からもこの場所が選ばれたと思われます
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by sunshine-works | 2016-02-05 13:56 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 28日
旧北吸浄水場配水池
京都府舞鶴市の近代建築その9

舞鶴湾の自衛隊桟橋を見下ろす高台に2棟の煉瓦建物が建っています。
ここはかつて旧海軍によって設置された軍事水道の浄水場があった場所で、現在その跡地には配水池と上屋が当時の姿で残されています。
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舞鶴の軍事水道は軍港設営と平行して進められ、明治34年に完成します。
北吸浄水場は与保呂川の水源地から導いた源水を浄化し配水する施設として設置されたもので、高台の高度差を利用して海軍施設と艦艇に給水を行いました。
この浄水場は戦後舞鶴市に移管されて昭和39年まで使用されましたが、その後浄水施設は取り払われ、配水池とその上屋が残されました。
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配水池は開設時の明治34年に設置された第一配水池と大正10年に増設された第二配水池からなり、それぞれの配水池は大正15年に建てられた煉瓦造、鉄骨小屋組の上屋で覆われています。
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アーチが組まれた入口上部。壁面上部は板張なのでアーチ構造にする必要はないのですが、意匠的な拘りでこのような形になったと思われます。
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日本の近代水道の歴史は明治20年の横浜市に始まり、各地の主要都市に広まっていきますが、舞鶴の軍事水道が完成した明治34年当時近代水道を保有していたのは全国で9都市のみで、舞鶴の水道は大正1年に完成した京都市よりも11年早く設置された事になります。
舞鶴のみならず鎮守府が置かれた他の3軍港も明治中期に水道を設置しており、多くの将兵や艦艇に大量の安全な水を供給する事がいかに重要だったかが計られます。
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普段は内部に立入る事はできませんが、定期的に行われるイベント開催時に配水池内部が公開されます。以下は27年10月のイベント時に撮影したものです。
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池の内部は幾層もの煉瓦壁が迷路のように連なります。
浄水が澱まない為の構造との事です。
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by sunshine-works | 2016-01-28 14:09 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 22日
舞鶴要塞 葦谷砲台
京都府舞鶴市の近代建築その8

前3回にて舞鶴湾西岸に配置された3つの砲台を取り上げましたが、今回は湾の東側に設置された砲台の一つ、葦谷砲台を紹介します。
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葦谷砲台は舞鶴湾の湾口部、国見山の頂上近くに明治32年に設置されました。
最も北に配置されたこの砲台は舞鶴湾に接近する敵艦隊に対して最初に砲門を開き、湾口の狭い水路に侵入した敵艦には対岸の砲台群と共同して挟撃する重要な役割を担います。備砲は舞鶴の各砲台の中で最大口径の28cm榴弾砲6門が据えられました。
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この砲台も他の砲台と同様に2砲一組で砲座が組まれ、それぞれに煉瓦の砲測庫や弾薬庫を備えます。
これらは山腹の手前から奥へ、さらに横手へと通路に沿って複雑に連なっています。
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奥に進んで隣の掩蔽へ。
舞鶴の各砲台はほぼ同時期に着工、完成していますが、構造物は必ずしも統一した規格とも言えず、各砲台毎に微妙に異なります。この葦谷砲台は他の砲台に見られる礎石の使用比率が少なく煉瓦が多用され、角にアールが付けられているのも他に無い特徴です。
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日露戦争の際に危惧されたロシア艦隊の日本本土来襲はありませんでしたが、日本船舶がロシア軍艦に襲撃される事件は実際に起こっており、日本海沿岸は緊迫した状況に置かれていました。
この脅威は日本海軍によるロシア太平洋艦隊の制圧とその後の日本海海戦の大勝により一掃されますが、逆の結果となっていた場合にはこの舞鶴湾が真っ先に攻撃目標とされていた筈で、効果の程はともかく備えとしては妥当なものだったと思えます。
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by sunshine-works | 2016-01-22 13:09 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 14日
舞鶴要塞 建部山砲台
京都府舞鶴市の近代建築その7

舞鶴湾西岸に設置された3つの砲台の中で最も湾の奥部に位置する建部山砲台。12cmカノン砲4門を備えるこの砲台は明治34年に完成しました。
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市街地の外れから山道を登って小一時間、標高313メートルの建部山山頂に到達します。周辺の木立の中に煉瓦造の弾薬庫が、その背後にコンクリート造の砲側庫と砲座跡が残されています。
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弾薬庫の入口周り詳細。
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各庫内は荒らされた様子も無く、良好な状態。壁の白色は煉瓦に漆喰を塗ったものです。
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弾薬庫の脇には砲座へ繋がる石段が積まれています。
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分厚くコンクリートで補強された弾薬庫。
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砲座跡。4門の備砲は2門を一組として2基の砲座に据えられていました。
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建部山砲台に配備されたカノン砲の最大射程は約7km。この位置からは舞鶴湾の外側には弾丸は届かず、砲口は上陸部隊の予想進路である由良川方向へ向けられていました。
この砲台は、舞鶴軍港に向けて進行する敵軍を迎え撃つ、正に最後の砦となるべきものでした。
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確かに、高所に据えられた大型砲が大きな脅威となる事は旅順攻防戦でも実証されましたが、この建部山砲台が砲門を開く場面は湾口の各砲台が壊滅し、日本艦隊も撃破されて制海権を失った状況であり、大挙押寄せる敵軍に対して僅か4門の砲は殆ど無力に思えます。一時の足止めを図るのが精一杯だったのではないでしょうか。
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by sunshine-works | 2016-01-14 11:30 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 07日
舞鶴要塞 金岬砲台
京都府舞鶴市の近代建築その6

舞鶴湾西岸に配置された3つの砲台の一つ、舞鶴要塞金岬砲台は前回紹介した槙山砲台の北方、金ヶ岬を見下ろす山中に明治33年に設置されました。
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崩れかけた獣道を草木を掻き分けひたすら進んだ先に一群の煉瓦構造物が見えてきます。舞鶴湾の入口を守るこの要塞には21cmと15cmのカノン砲各4門が備えられました。
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明治30年代初頭に相次いで設置された舞鶴湾岸の砲台の中で、この金岬砲台のみが昭和9年に廃止され、代わって沿岸沿いに2基の砲台が設置されます。
この金岬砲台に限らず舞鶴湾周辺に配備されていたのはどれも19世紀に開発された旧式砲で、砲力と防御力が格段に進化した大型艦艇と撃合うには全くの力不足でした。
どの道、圧倒的な火力と航空支援の元で行われる要地攻撃や上陸作戦に対して沿岸要塞が有効な戦力となる時代は終焉しており、もっと早い時期に見切りを付けるべきものでした。
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この金岬砲台も他の要塞と同様に分散して砲が据えられ、砲座毎に煉瓦とコンクリートの砲側庫を構えます。
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さらに奥へ進むと現れる半地下式の区画。弾薬庫と思われます。
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それぞれの掩蔽部の背後には砲座や指令所跡が、また周辺部には井戸や貯水槽らしき施設が残されています。
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by sunshine-works | 2016-01-07 11:07 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)