2017年 07月 29日
別子銅山の産業遺産-東平地区2

愛媛県新居浜市の近代建築8

別子銅山東平地区に現存する産業遺産の続編は鉱石の集積、搬出に使われた施設を紹介します。
f0116479_14342395.jpg

第三通洞から引き出された坑内軌道の終点に築かれた貯鉱庫跡。積み上げた花崗岩の壁面と山肌の間に鉱石を蓄える施設で、斜面の上部と下部の2箇所に設置されました。
f0116479_16125143.jpg
f0116479_16043339.jpg
f0116479_16052092.jpg


花崗岩を積み上げた貯鉱庫の壁面。上部下部共に第三通洞開通の翌年に完成しました。
f0116479_16070271.jpg
f0116479_16085561.jpg
f0116479_16121425.jpg
f0116479_16110206.jpg
f0116479_16093230.jpg

下部貯鉱庫の頂部に残る煉瓦構造物。上部貯鉱庫から運ばれた鉱石を選分けて下部貯鉱庫へ送る選鉱場の遺構です。
f0116479_16132985.jpg
f0116479_16152954.jpg
f0116479_16154992.jpg
f0116479_16162364.jpg
f0116479_16170664.jpg
f0116479_16173133.jpg
f0116479_16175243.jpg



選鉱場で選別された鉱石はその下の下部貯鉱庫へ落とされ、出荷まで蓄えられます。

f0116479_16220854.jpg

f0116479_16193623.jpg
f0116479_16203866.jpg
f0116479_16200540.jpg
f0116479_16240731.jpg

下部貯鉱庫前には索道施設跡の煉瓦構造物が残されています。鉱石はここから索道によって端出場地区へ運ばれ、さらに鉱山鉄道に積み替えて出荷されていきました。
f0116479_16211509.jpg
f0116479_16245506.jpg
f0116479_16252038.jpg
f0116479_16224183.jpg
f0116479_16230719.jpg
f0116479_16234297.jpg
f0116479_16184433.jpg
f0116479_16190696.jpg



上部の貯鉱庫と下部貯鉱庫、索道施設の間には斜面を登るインクラインが敷かれていました。現在その跡地には階段が設置されています。
f0116479_16264245.jpg
f0116479_16270136.jpg
f0116479_16272367.jpg



# by sunshine-works | 2017-07-29 15:19 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(2)
2017年 07月 22日
別子銅山の産業遺産-東平地区1
愛媛県新居浜市の近代建築その7

マイントピア別子から県道を南へ。山道をひたすら進んだ先、別子銅山東平(とうなる)地区へ至ります。
ここにも明治中期から昭和初期に築かれた鉱山施設の数々が残されており、マイントピア別子東平ゾーンとして公開されています。
f0116479_12015044.jpg

この東平地区は前2回にて紹介した端出場地区が開発される前の拠点で、明治35年の第三通洞開削を契機に昭和初期にかけて様々な鉱山施設が建てられました。
この東平は標高750メートル、冬場には積雪のある山深い地区ですが、周囲に社宅が築かれ、学校、病院、劇場、商店等が備わる鉱山町の暮らしが閉山までの70年に亘って営まれていました。


明治27年に着工し明治35年に完成した第三通洞。鉱脈に向けて水平に1.8km掘られた運搬坑道で鉱材の搬出や配水、換気に用いられました。その後に設置された端出場水力発電所へ用水を送る役目も担いました。
f0116479_11590757.jpg
f0116479_11463415.jpg

11年後に開通した第四通洞に比べると間口が狭く、抗口も簡素な造り。美しい装飾を施した鉄扉が当時のまま残されています。
f0116479_13331619.jpg
f0116479_12034846.jpg

坑内電車に積まれた鉱石は通洞から貯鉱庫へ運ばれます。この途中の起伏を抜ける箇所にはマンブと呼ばれるトンネルが掘られました。
f0116479_12130721.jpg
f0116479_12133495.jpg
f0116479_12141044.jpg

抗口、内壁共に切石貼り。レールは外され、当時使われていた鉱山機械が展示されています。
f0116479_12143416.jpg
f0116479_12152489.jpg
f0116479_12161236.jpg

こちらは火薬庫として使われたトンネル。
f0116479_12183941.jpg

一段高い場所に建てられた煉瓦造の施設。明治37年に変電所として建てられました。
f0116479_12223380.jpg
f0116479_12234960.jpg
f0116479_12241180.jpg
f0116479_12244010.jpg
f0116479_12250645.jpg
f0116479_12254048.jpg

漆喰が塗られた内壁にアーチ窓が並びます。変電装置は撤去され、居住区画の名残りだけが残されています。
f0116479_12292490.jpg
f0116479_12293934.jpg
f0116479_12295561.jpg


# by sunshine-works | 2017-07-22 17:52 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 15日
別子銅山の産業遺産-端出場地区2
愛媛県新居浜市の近代建築その7

別子銅山端出場地区に残る産業遺産の2回目は二つの鉄橋を紹介します。
f0116479_14410382.jpg

前回紹介した第四通洞の正面にはトロッコ軌道が足谷川を渡る橋が架けられています。
単連プラットトラスのこの四通橋は大正8年に架けられました。
f0116479_14541353.jpg
f0116479_00483736.jpg

昭和4年の第四通洞開通当時に使われていた木橋に代わる近代橋梁として4年後の昭和8年に竣工しました。
f0116479_00491396.jpg
f0116479_14552398.jpg

この四通橋は、竣工から昭和48年の閉山まで別子銅山の最盛期を支える動脈として半世紀に及ぶ歴史を刻み、その後は往時の姿を留めたまま保存されています。
f0116479_00510340.jpg
f0116479_00515559.jpg
f0116479_00540970.jpg
f0116479_00480944.jpg
f0116479_09322956.jpg



四通橋の横手には明治期に架けられた別子鉱山下部鉄道の旧足谷川橋梁が現存します。
この橋は明治26年にドイツから導入されたピン結合のボーストリング橋で、同種の橋として国内最初期の現存例と推測されます。

f0116479_09433887.jpg
f0116479_09443963.jpg
f0116479_09464046.jpg

この旧足谷川橋梁は昭和52年の別子鉱山鉄道下部線廃止に伴って役割を終えますが、平成3年のマイントピア別子の開業時に観光鉄道の路線として改修され、現役施設として使われています。
f0116479_09452973.jpg
f0116479_21060155.jpg
f0116479_20195510.jpg
f0116479_20223464.jpg
f0116479_21045131.jpg
f0116479_21030033.jpg
f0116479_23270424.jpg


# by sunshine-works | 2017-07-15 23:59 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(2)
2017年 07月 08日
別子銅山の産業遺産-端出場地区1
愛媛県新居浜市の近代建築その6

旧山根精錬所から県道を南へ。山道を進んで程なく、別子銅山最後の採鉱拠点となった端出場地区に至ります。鉱山跡を利用した観光施設、マイントピア別子として公開されているこの場所には明治期から大正期に設置された多くの施設が現存しています。
f0116479_16181633.jpg

この端出場地区がその後発展する契機となった第四通洞。明治43年起工、5年後の大正4年に開通。採鉱地点から鉱石を搬出する坑道で水平方向に4.5km掘られています。
f0116479_15425220.jpg
f0116479_15481163.jpg
f0116479_15433712.jpg
f0116479_15440216.jpg

イギリス積みに煉瓦アーチを組んだ抗口。笠石や帯石、付け柱を備えた重厚な意匠。扁額の文字は住友家当主の揮毫です。
f0116479_15443659.jpg
f0116479_15483419.jpg

内部はトロッコの軌道が敷かれ、電力や通風、配水のダクトが通されました。
f0116479_15452877.jpg
f0116479_15455553.jpg
f0116479_15461333.jpg


マイントピア別子の敷地に隣接して古い煉瓦建物が残されています。この建物は端出場水力発電所として建てられました。
f0116479_15512949.jpg

鉱山機械の動力が機力から電力へ移行する明治中期、別子銅山では自前の発電所を設けていましたが、増大する電力需要を賄う為、明治45年に大規模な発電施設を竣工させます。銅山川から取水し第三通洞を経て導水した用水による水路式水力発電所で、当時日本一の出力3000kWと有効落差560mを誇りました。
f0116479_15553408.jpg
f0116479_15532697.jpg
f0116479_15525293.jpg

煉瓦造平屋建て、切妻屋根の巨大な建物。
発電施設はその後最大4800kWに増強され、周辺地域のみならず沖合い20キロメートルの四阪島精錬所まで送られました。この時に敷設された海底ケーブルは当時世界一の長さとなりました。
昭和48年まで使用された後閉鎖されましたが、内部の設備はそのまま残されています。
f0116479_15563125.jpg
f0116479_15575386.jpg
f0116479_15543797.jpg
f0116479_15570748.jpg
f0116479_15572585.jpg






# by sunshine-works | 2017-07-08 16:20 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)