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2013年 01月 30日
土讃線白川橋梁
徳島の鉄道遺産その6

吉野川に沿って南へ下る土讃線は、第一吉野川橋梁と第二吉野川橋梁の間で支流を渡ります。
この地点に架けられた白川橋梁も同区間が開通した昭和10年に設置されました。
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小歩危駅から2本のトンネルを抜けて国道を跨ぐ手前に架かります。
開けた谷間を渡るこの白川橋梁も他の土讃線橋梁と同様に高い地点に桁が渡されています。
上路式ワーレントラスの使用やコンクリート橋脚の上にトレッスルを組上げる構造は四国の鉄道橋梁には珍しく、他の土讃線橋梁には見られない特色を持ちます。
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中央部の上路式ワーレントラスは桁長約47メートル。
桁と水面との距離が大きく空いているこのような地点では特段下路式とする必要は無く、上路式とする事で橋脚を短くできる利点があります。
四国では少例となりますが、全国的には主に山間部の橋梁の多くでこの形式の桁が使われます。
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トラス桁の前後には鉄骨で組まれたトレッスル橋脚が据えられています。
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白川橋梁を渡った土讃線は、この先さらに険しい山岳地帯を抜けていきます。
山間部を渡るこの橋梁は、様々な橋梁が架けられた土讃線の中でも個性的な橋の一つとして現存します。
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by sunshine-works | 2013-01-30 21:17 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)
2013年 01月 26日
土讃線第二吉野川橋梁
徳島の鉄道遺産その5

吉野川西岸に沿って南へ進んできた土讃線下り列車は、観光名所として知られる小歩危~大歩危間で再び吉野川を渡ります。
美しい渓谷を眼下遥かに跨ぐこの第二吉野川橋梁は、第一吉野川橋梁と同年の昭和10年に架けられました。
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9基の鋼プレートガーダーと1連の曲弦トラスで構成される総長250メートルに及ぶ橋を10本のコンクリート橋脚で支えます。
川面からの距離は第一吉野川橋梁よりもさらに高く、中央の橋脚はおよそ30メートルの長さになります。
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上流域に近づくにつれ、吉野川はその幅を徐々に狭めながら流速を増していきます。
土讃線第二吉野川橋梁は、この流れが刻んだ広い谷間を上る吉野川を斜めに横切るように渡っていきます。
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小さな脇道を下りて谷底を流れる吉野川の川原へ。
頭上高く渡された橋桁を見上げます。
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橋の北詰からの眺めです。
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築後約80年を経た今も現用施設として使われる第一吉野川橋梁とこの第二吉野川橋梁は、難工事を乗り越えて開通した山岳路線土讃線を象徴する鉄道遺産として当時の技術を今に伝えます。
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by sunshine-works | 2013-01-26 20:01 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)
2013年 01月 22日
土讃線第一吉野川橋梁
徳島の鉄道遺産その4

箸蔵~佃間で吉野川を渡った土讃線は、この先の区間を吉野川に沿って南へ進んでいきます。
吉野川が刻んだ深い渓谷の渕に張り付くように敷かれた線路は途中幾つかのトンネルを抜けながら川の東岸を並走し、三縄の先で西岸に位置を変えます。この地点を渡る第一吉野川橋梁は昭和10年に架けられました。
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香川県側から延伸した土讃線が三縄まで開通した昭和6年、同時に進められた高知県側の工区も北に延伸を重ね、未開通区間は四国山地の険しい山岳地帯を抜ける約50キロを残すのみとなります。
難工事の連続となった最終工区には多くのトンネルや橋が架けられますが、橋梁工事で最大の規模となったのがこの第一吉野川橋梁と次の第二吉野川橋梁でした。
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78メートルの曲弦トラスの前後にプレートガーダーを繋げた橋長は170メートル。長い橋脚で高く支えられた橋桁が深い谷間を渡ります。
この先で再び吉野川を渡る第二吉野川橋梁とは設置環境が良く似ており、プレートガーダー桁の本数が異なる以外は殆ど同規格。中央部に使われた川崎造船製造の曲弦トラスは長さも重さも同一のものです。
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トンネルを抜けた土讃線は、川沿いに開けた集落の際を抜けて再び対岸のトンネルへと向かいます。
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橋を渡った土讃線が向かう氷見山トンネルの抗口。
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橋の西詰からの俯瞰です。
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吉野川を渡った列車は再び深い山の中へと進んでいきます。
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by sunshine-works | 2013-01-22 19:52 | 近代建築 徳島県 | Trackback(1) | Comments(0)
2013年 01月 18日
土讃線吉野川橋梁
徳島の鉄道遺産その3

箸蔵駅を出た土讃線下り列車は、大きくカーブしながら南へ方向を変え、吉野川の広い河原へ進んで行きます。この地点を渡る土讃線吉野川橋梁は昭和4年の同区間開業時に架けられました。
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川面を渡る4連の曲弦トラスとその前後に繋がる16基のプレートガーダーで構成されるこの橋は、橋長570メートルを超える当時としては最大級の鉄道橋となりました。
現在に至るまで土讃線で最長、徳島県内の鉄道橋梁としても高徳線の吉野川橋梁に次ぐ長さとなります。
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丘陵から平地に下りて畑の中の築堤上を進んできた土讃線は、プレートガーダ部分で再び高さを上げながら川面のトラス桁へと向って行きます。
小高い丘陵となっている川の南詰の高さに合わせる為に、太いコンクリート橋脚で高い位置に橋桁を持ち上げて行きます。
山と山の間を縫うように流れる河川を渡る土讃線橋梁の多くは、水面からの高さを確保する為に長い橋脚を特徴とします。
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中央部分の4連の曲弦トラス。径間長は異なりますが、同時期この先の土讃線に架けられた橋梁に共通する規格のものです。
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四国山地を北上してきた吉野川は阿波池田の手前で川幅が広くなり、緩やかな流れとなって東に向きを変えて行きます。
箸蔵~佃間で吉野川を渡るこの地点、背後に山並みを望む開けた河原の景色の中、川中に据えられた太いコンクリート橋脚が高い位置でトラスを支えます。
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4連のトラスや巨大なコンクリート橋脚が連なるこの吉野川橋梁は、土讃線の構造物中で最も規模の大きなものとなりました。
当時の土木技術の粋を集めたこの吉野川橋梁は四国の鉄道敷設の歴史を今に伝えています。
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by sunshine-works | 2013-01-18 20:09 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)
2013年 01月 14日
土讃線州津川橋梁/汐入川橋梁
徳島の鉄道遺産その2

県境の猪之鼻トンネルを抜けた土讃線は、次のトンネルの手前で小さな川を渡って坪尻駅へと進んでいきます。
この地点に架けられた州津川橋梁には福知山線の旧線区間で使われていた明治期の橋桁が転用されています。
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秘境駅として知られる坪尻駅から山伝いに川原へ抜けて進むこと数十分、トンネルとトンネルの間の狭い谷間に錆の浮いた一連のプラットトラスが見えてきます。
吉野川水系の州津川を渡るこの橋は土讃線の徳島県内区間最初の橋梁となります。
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このトラスは、元々は福知山線の前身にあたる民営の阪鶴鉄道が明治32年に有馬口~三田間延伸に合わせて設置した輸入桁の一つで、第四武庫川橋梁として架けられました。
同線で昭和27年まで使われた後の昭和29年に当地へ移築され、2代目の州津川橋梁の桁として再利用されます。
移設に際して長さを合わせる為に中央部を短縮していますが、それ以外は明治31年の製造当初のままで使われており、徳島県内の鉄道橋桁としては最古のものと思われます。
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他線区に比べて開業が後年となった四国の鉄道路線には、この州津川橋梁と同様に他から移築された橋桁が多数存在します。運行本数や列車加重が他線区ほど多くない四国では、古い規格の橋桁でも運用が可能だったと思われます。
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坪尻駅から4本のトンネルを抜けて次の箸蔵駅へ。土讃線はこの先で大きくUターンして西へ方向を変えていきます。この屈曲部の頂点で渡る汐入川には昭和4年の土讃線延伸時に架けられた橋梁が現在も使われています。
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小高い丘陵を進んできた線路が汐入川の谷間を越えて隣の丘陵へと渡る地点に架けられています。
丘の高さに合わせるために大小の橋脚が斜面や谷底から立ち上がり、頭上高くプレートガーダーを支えます。
橋脚のタイプは同時期に架けられた橋梁に一般的な円柱断面のコンクリート製。徳島県内の土讃線はすべてコンクリート橋脚が使われます。
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この区間が開通した昭和4年以後土讃線は順次延伸を重ね、昭和10年に県南部の工区が開通して高知側からの延伸区間と繋がります。
この汐入川橋梁は難工事が連続するこの先の土讃線橋梁施工の雛形として、重要な存在となりました。
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by sunshine-works | 2013-01-14 13:58 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)
2013年 01月 10日
土讃線坪尻駅
徳島の鉄道遺産その1

香川県多度津から高知県窪川間の約200キロを結ぶ土讃線は、途中の約40キロを徳島県内の険しい山合いを抜けて行きます。
讃岐財田を過ぎ、県境の猪之鼻隧道を抜けた下り列車は、多くのトンネルや橋梁が連なる単線・非電化のこの区間を吉野川と並走し、幾度も交わりながら高知県境へ進んで行きます。
徳島の近代建築巡りのスタートは、県境の秘境駅土讃線坪尻駅を紹介します。
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土讃線の徳島県内区間への延伸は昭和4年の讃岐財田 ― 佃信号場間の開通に始まります。この延伸時に設置された駅は箸蔵駅のみでしたが、途中の坪尻に信号場が設けられました。この坪尻信号場が昭和25年に坪尻駅に昇格し現在に至ります。現存する駅舎は後年に一部改修されていますが、昭和4年の竣工時の姿を留めています。
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深い谷底に位置し、周囲に人家はありません。
県道から駅まで狭い山道を20分程歩いてようやく辿り着く、全国有数の秘境駅として知られています。
この駅も、かつては険しい道程にも関わらず地域の人々に利用されていましたが、現在近隣居住者で利用する人は殆ど無く、限られたマニアが訪れるだけの駅となっています。
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元々が信号場として建てられただけに、小さく簡素な駅舎です。裏側の入口も小さな庇を設けた以外に意匠らしきものはありません。
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ホーム側も極めて簡易な造り。上屋の屋根がそのまま延びてホームの庇となります。
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土讃線の徳島側最初の駅となる坪尻駅ですが、当然ながら優等列車は止まりません。更に各駅停車の何本かも通過していきます。
定期利用客が殆どいないこの駅は、単線区間で上下線がすれ違う際に避退する事が主たる存在理由となっています。
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四国の鉄道路線の中でも、土讃線の徳島県内区間は厳しい地形故に大規模な工事が連続する難関となりました。
次回からは、この坪尻から高知県境までの区間に架けられた鉄道橋梁を採り上げていきます。
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by sunshine-works | 2013-01-10 20:28 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)
2013年 01月 06日
徳島の近代建築
徳島の近代建築

前回で香川の近代建築巡りを一先ず終了しましたが、今回より四国の近代建築探訪の第二段として徳島編をお送りします。
四国東部に位置する徳島は面積・人口共に四国で3番目、規模としては全国的にも小さな県の一つですが、徳島の魅力として挙げられるのが四国山地の険しい山々や吉野川や那珂川が織り成すダイナミックな自然地形です。
この険しい地形を制するかのように築かれた土木遺産、川に寄り添う町村の発展を支えた近代建築、山や川を縫って連なる鉄道施設。
豊かな自然と一体になった美しい景観は、香川とはまた違った魅力を放ちます。


徳島の近代建築として最も有名な洋館、旧三河家住宅。
本年にも一般公開される予定です。
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吉野川市の旧山瀬郵便局。
県内各地に趣のある古い郵便局舎が数多く残されています。
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吉野川沿いの町々に残る各種の近代建築。
貞光劇場は昭和7年の築となります。
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学校建築の現存例は他県に比べれば少数となりますが、優れた学校建築として残るのがこの建物です。
板野東小学校講堂
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他県の例に漏れず、徳島の各地にも古い医院建築が数多く残されています。
旧北室医院
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鉄道遺産の数は四国随一かもしれません。
徳島線蔵元駅
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鉄道橋、道路橋、人道橋。橋を抜きには徳島の土木遺産を語れません。
那珂川橋
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大川橋
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川田川橋梁
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徳島は四国の中で最も山地面積の多い県でもあります。
山々の中に優れた土木遺産の数々が点在します。
猪之鼻隋道
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若宮谷ダム堰堤
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旧三縄水力発電所
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by sunshine-works | 2013-01-06 16:47 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)