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2012年 12月 26日
香川の近代建築補遺3
香川の近代建築補遺

香川の近代建築補遺、最終回の今回は公共施設その他を紹介します。
前回は地方の拠点都市に残る近代建築として医院建築や店舗建築を紹介しましたが、小さな町や村に残る近代建築の代表例として上げられるのが今回紹介する郵便局舎や役場建物です。
現存するこれらはどれも当初の用途の役目を終えていますが、地域に於ける洋風建築の先駆として長く親しまれたものばかりです。

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旧五名郵便局


県南東部の山あいにある小さな集落の旧郵便局です。現在は地域振興の飲食施設として使われています。
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旧三本松郵便局


三本松に残る郵便局舎。小さな建物ですが、コーナーに設けた入口やパラペットの装飾、壁面のレリーフ、入口上部の時計等々。細部に拘った造りです。
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旧白鳥郵便局


これも良く似た意匠です。
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旧役場?


こちらも讃岐白鳥の建物。古い役場かとも思われますが、詳細は不明です。
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旧造田村役場


木造下見板の洋風意匠。玄関のペディメントをドイツ壁風に仕上げたモダンな村役場です。
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旧丸亀町図書館


西讃の中心都市丸亀に相応しい立派な造りです。
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満濃池樋門


起源を遡れば大宝年間に始まる日本最大の溜池です。明治初期に改築された石組の樋門が現役で使われています。
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ひとまず香川の近代建築は今回で終了です。未探訪物件についてはまたの機会に紹介したいと思います。

by sunshine-works | 2012-12-26 23:57 | 近代建築 香川県 | Trackback | Comments(0)
2012年 12月 22日
香川の近代建築補遺2
香川の近代建築

香川の近代建築補遺、2回目の今回は医院建築と商業建築です。
県都高松は戦時中の空襲被害によって市域の多くが焼かれ、町中に残る近代建築はごく僅かなものとなりますが、県内各地の拠点都市には戦前築の店舗や個人医院が往時の姿で残されています。
近年の都市環境の変化で、これら周辺都市の中心街は往時の賑わいが薄らいでしまいましたが、残された建物はかつての繁栄ぶりを今に伝えています。

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吉田医院

善通寺駅の東、伊予街道沿いに建つ現役の医院。昭和初期の築と思われるモダン建築です。
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安治川歯科医院

琴平の中心部の手前角に建つ歯科医院。こちらも現役のようです。
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旧松本歯科医院

讃岐白鳥の住宅地にひっそりと残る木造の医院建築。こちらは廃院となっていると思われます。
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川畑美髪院

戦前からの古い建物が数多く残る東かがわ市讃岐白鳥の中心街に建つ理容室。看板建築にも見えますが、木造モルタル2階建ての偽洋風建築です。間口に対して奥行きの薄い扁平な建物です。

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カフェ三本松

讃岐白鳥の隣町三本松駅前の喫茶店。本格的な洋風意匠ですが、後ろ側で和風建物と繋がっている様子からは看板建築と呼ぶべきでしょうか。
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春駒

丸亀駅北側の古くからの家並みに残る建物。かつて花街だったこの辺りには同様な建物が数多く有りましたが、近年は数えるほどとなっています。

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高須商会

坂出のアーケード街に残る店舗建築。スクラッチタイル張りの洋風意匠ですが、両側にうだつを持つ個性的な建物です。
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水尾メリヤス店

こちらも坂出のアーケード街に残るモダン建築。
一見すると単なる古い佇まいの店舗建物ですが、仔細に見ると各所に施された本格的な洋風意匠が際立つ建物です。
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*次回に続きます。

by sunshine-works | 2012-12-22 18:00 | 近代建築 香川県 | Trackback | Comments(0)
2012年 12月 18日
香川の近代建築補遺1
香川の近代建築

約2年半、60余回に亘って香川の近代建築を探訪してきましたが、とりあえず県内の一巡りを終えました。
次なる探訪先については改めて紹介したいと思いますが、その前にこれまでに紹介しきれなかった幾つかの物件について採り上げたいと思います。
香川の近代建築補遺その1、初回は香川の鉄道遺産です。

高松駅の手前、香西~高松間で香東川を渡る予讃線香東川橋梁。この区間の開業は明治30年ですが、現存するこの橋梁は昭和初期に架け直された2代目のものです。
香川県内の予讃線は後年に路線の付け替えが多く、また高速化・高規格化が優先して進められた為に古い年代の施設の現存例は多くありません。
この香東川橋梁は、予讃線の香川県内区間に現存する戦前築の橋梁としては最古のものとなります。
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橋脚はこの時代に多く用いられた楕円形断面のコンクリート橋脚。橋桁も当時の一般的な形式のものです。
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高徳線三本松~讃岐白鳥間に架けられた湊川橋梁。高徳線の香川県内区間は大正末期に着工され、昭和3年の讃岐津田 ~ 引田間延伸開業時にこの橋が架けられます。
橋脚は楕円形断面の定番とも言えるものですが、その上を渡るプレートガーダには明治期に作られたポーナル桁が使われています。
この橋が架けられた昭和初期には既に新しい規格の橋桁が制定されていますので、他所で架け替えられた桁を転用したものと推測されます。
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高徳線三本松駅舎。昭和3年の同区間延伸時に設置されました。開設時の木造駅舎が今も使われています。
中央入口上部に三角破風を立ち上げ、赤瓦を葺いた寄棟屋根に二つのドーマ屋根を乗せたモダンな駅舎。東讃の中心として栄えた往時の賑わいを伝えます。
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昭和38年に廃止された琴平参宮鉄道の終点、善通寺赤門前駅跡。同鉄道の駅舎としては唯一の現存例と思われます。
近年まで飲食店として使われていましたが、現在は空家となっています。
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※次回へ続きます。

by sunshine-works | 2012-12-18 23:57 | 近代建築 香川県 | Trackback | Comments(0)
2012年 12月 14日
倉敷紡績旧本社工場(倉敷アイビースクエア)その2
岡山県倉敷市の近代建築その10

前回に引き続き、倉敷アイビースクエアとして再利用された倉敷紡績旧本社工場の建物を紹介します。
広大な敷地内には前回紹介した主要な施設の他にも、様々な用途に使われた付属建物が現存します。
これらの建物も、工場施設として使われていた当時の姿を極力残したまま展示施設や商業施設、美術館等に改修されており、全体の雰囲気に良く調和して優れた景観の一部を為しています。
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西側の入口傍に二つの展示施設が並びます。西側には美術品を展示するギャラリー、その東隣には倉敷紡績の歴史を伝える倉紡記念館が置かれています。これらは工場時代に倉庫として使われていた建物を利用しています。
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右側に大原美術館オリエント室、左側に地元出身の画家児島虎次郎の記念館が置かれている建物です。
明治29年に増築された煉瓦造の倉庫を利用しています。
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倉紡記念館として使われている建物。木造土蔵造りの伝統建築で建てられた倉庫です。明治22年の創業時に建てられました。
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工場事務所として使われていた木造2階建ての建物。現在はオルゴールミュージアムとして使われています。
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周辺部には、木造や漆喰塗りの純和風建築で建てられた建物が現存しています。
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旧受電室として使われた木造の建物。
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敷地の周りは往時のままの煉瓦の外壁で仕切られています。
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倉敷紡績発祥の地となるこの工場は、倉敷が工業都市として発展する礎となった貴重な遺構です。
創業時の建物として良好に往時の姿を留めるこの旧工場施設は、優れた産業遺産として往時の姿を伝えます。
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by sunshine-works | 2012-12-14 21:53 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(0)
2012年 12月 10日
倉敷紡績旧本社工場(倉敷アイビースクエア)その1
岡山県倉敷市の近代建築その9

日本を代表する紡績会社の一つ、倉敷紡績は明治22年に旧倉敷代官所の跡地で操業を開始します。
その後倉敷紡績は全国に工場を展開、また各地の紡績会社を吸収しながら発展を続け、多くの関連会社を伴う企業グループを構築していきます。
倉敷の近代建築探訪の続きは、岡山随一の工業都市へと発展する倉敷の礎を築いた倉敷紡績の旧本社工場を紹介します。
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倉敷川に沿って白壁の蔵屋敷が並ぶ美観地区の東側、2万平米を越える広大な敷地に旧倉敷紡績本社工場時代に建てられた各種施設が現存します。
工場としての操業は、戦時中に軍需工場へ転換されたのを最後に戦後は再開されず、長く倉庫として使われていました。
その後は昭和49年に再開発を行い、ホテル、レストラン、ミュージアム、ホール、美術館、物販店等が並ぶ観光施設「倉敷アイビースクエア」に再生されて現在に至ります。
これらの建物は明治22年の工場創設時から昭和に至る各時代に亘って増改築されたものですが、その多くは操業時から明治期の姿を今に留めています。
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東側の正門から敷地内へ。駐車場を挟んで煉瓦壁の建物が両側に並びます。
この建物の更に西側と北側に繋がる一連の煉瓦壁の建物がホテルとして使用されています。
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この一角は、かつてはぎっしりと紡績機が並び、多くの工員達が働いていた工場の中核を為す建物でした。
工場建物特有の鋸屋根を取り払って屋根を新設、平屋建てから2階建てに改修され、内部の間仕切りも変更されています。
改修に際して撤去された部材は極力再利用されており、往時の雰囲気を損なわずにリノベーションされています。
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ホテルとして使われている区画の西側に中庭が設けられています。飲食店や物販店が並び、中央部分はイベントスペースとして使われています。
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展示スペースとして使われている旧混綿室。工場時代の雰囲気を良好に留めています。
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西側の外壁です。この施設の名称に使われているツタ(アイビー)が一面を覆います。
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古い工場建物を観光施設として再生する事例の先駆けとなったのが、この倉敷紡績の旧工場施設でした。
その後は倉敷アイビースクエアの成功に習って全国で同様の試みが為され、多くの貴重な建造物が観光資源として命脈をつなぐ事となります。
明治期の工場建築の姿を偲ぶ遺構として残るこれらの建物はまた、歴史的建造物再利用の優れた先例ともなっています。
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*次回へ続きます。

by sunshine-works | 2012-12-10 23:57 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(0)
2012年 12月 06日
神子畑選鉱場跡
朝来の近代建築その8

前回は生野から移築され、神子畑選鉱場の施設として使われた旧ムーセ邸を紹介しましたが、この神子畑の地にはかつて中世に遡る歴史を持つ鉱山が開かれていました。
この神子畑鉱山は明治初期に近代鉱山として再開発されますが、同じ鉱脈で繋がる明延や生野に比してその鉱床の規模は少さく、大正後期には鉱脈の枯渇によって閉山となってしまいます。
以降この地には約5キロ北西に位置する明延鉱山の選鉱場が置かれる事となり、60年以上に亘って稼働を続ける中で山肌一面に巨大な選鉱施設が築かれていきます。
朝来の近代建築巡りの続きは、前回に引き続き鉱業遺産の一つとして残る神子畑選鉱場跡を紹介します。
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選鉱場の事務所施設として使われた旧ムーセ邸の背後、加盛山の南斜面を巨大なコンクリートの構造物が覆います。
昭和62年の明延鉱山の閉山から20年余、この敷地内には長らく閉山当時のままの建屋が廃墟と化した状態で放置されていました。
これらの殆どは、ようやく最近になって取り除かれ、現在はコンクリートや石で築かれた建物の基礎部分、幾つかの構造物、そして鉱石や資材を運ぶ為に使われた運搬軌道の跡が僅かに残されています。
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山の斜面に沿って建屋の基礎部分が階段状に積み上がります。22段に及ぶこの基礎の上に木造や鉄骨で建てられた様々な施設の建屋が立ち並んでいました。
幅110メートル、高低差75メートルの斜面一面は選鉱や鉱石の粉砕を行う主要施設の他に、電力施設、水道設備、鉄工所、木工所、インクラインの管制施設、鉱石の積み下ろし場、事務所、従業員の福利施設他、種々様々な施設で埋め尽くされ、その景観は山間に忽然と現れた人工都市を思わせるものがありました。
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敷地の最下段、地平に据えられたコンクリート製の巨大な構造物。
これは選鉱作業の最終段階に使われたシックナーと呼ばれる施設で、水に混ざった微細な鉱石を沈殿作用によって取り出すためのものです。
殆どの構造物が取り除かれた神子畑選鉱場に於いて当時のまま原型を保つ数少ない遺構となります。
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高低差のある施設内へ物資を搬送する為、斜面にはインクライン(鋼索軌道)が設置されていました。現在は急斜面を登る錆付いたレールのみが残されています。
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明延鉱山との物資輸送には、専用のトロッコ列車、明延鉱山鉄道(明神電車)が敷かれていました。1円電車と呼ばれて沿線住民の足としても使われたこの軌道も閉山と共に廃止されます。
敷地内には当時使われていたトロッコ列車が復元展示されています。
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明治期以降の日本各地の主要な鉱山には、この神子畑選鉱場と同様に山肌を覆い尽くす規模の鉱山施設が続々と建てられて行きました。
これらの鉱山の殆どは昭和末期から平成初期に閉山を余儀なくされ、その多くは今も往時の姿を留めた状態で残されています。
この神子畑選鉱場施設は、隆盛を極めた往時の日本の鉱業技術を偲ぶ産業遺産として貴重な資料として残ります。
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by sunshine-works | 2012-12-06 21:05 | 近代建築 兵庫県 | Trackback(1) | Comments(0)
2012年 12月 02日
旧生野鉱山外国人技師住宅2番館(旧ムーセ邸)
朝来の近代建築その7

現在は操業を終えてしまいましたが、養父市から朝来市にかけての但馬南部には、生野鉱山と同じ鉱脈を持つ明延と神子畑の両鉱山が存在していました。
三つの鉱山は専用の運搬道路で繋がれて物資や人が頻繁に往来し、それぞれが密接に結びついていました。
この道の名残を留める県道を生野から西へ約15キロ、山裾に巨大な旧選鉱場の跡地が残されています。
東洋一の選鉱場と言われたこの旧神子畑選鉱場に隣接して、一軒の白塗りの洋館が置かれています。
この建物は明治初期にフランスから招いた鉱山技師の住居として生野に建てられ、その後当地に移築されて神子畑選鉱場の事務所として使われました。
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木造下見板貼、平屋建。周囲にベランダを巡らせるコロニアル様式です。
明治初期に各地の工場や鉱山に招かれた外国人技師の住宅の殆どがこの様式で建てられました。
技師達は亜熱帯地域の気候に適合する住宅として発達したこの形式をそのまま日本に持ち込みましたが、降雪地の生野では冬場の不便の方が大きかったかも知れません。
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明治初年に招かれたフランス人技師団はおよそ30名。鉱山技師や抗夫の他に、煉瓦職人、鍛冶、土木技師、医師等多岐に亘り、一部の技師は家族を伴って赴任しました。
これら技師団の官舎として生野鉱山の西方に5棟の外国人住宅が建てられます。1番館の技師長コアニエ邸と2番館、3番館が妻帯者用住居、4番館と5番館が独身者用の居住施設として建てられました。
これらの中で唯一現存するこの旧2番館は、技師ムーセとその家族の住居に充てられました。
この建物は、ムーセが任を解かれて帰国した後の明治20年に当地に移築され、その後は神子畑鉱山の事務所施設として、閉山まで使われていました。
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玄関が設けられた東面を眺めます。
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各面に開放式のベランダを巡らせます。
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明延鉱山の選鉱場の付属施設として長く使われたこの建物は、鉱山の閉山に伴い放置された状態が長く続きましたが、平成16年に解体修理が施され観光施設として現在に至ります。
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敷地の外からの景色です。
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生野鉱山の近代化に伴って設置され、その後は関連する明延、神子畑鉱山の盛衰を今に伝える遺構としてこの建物が残ります。
近代国家の根幹を支えた鉱山施設として、貴重な現存資料の一つとなっています。
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by sunshine-works | 2012-12-02 23:57 | 近代建築 兵庫県 | Trackback | Comments(0)