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2012年 10月 29日
旧日本産業貯蓄銀行倉吉支店
鳥取県倉吉市の近代建築その2

狭い道路の両側に古い町屋が連なる倉吉の旧市街の中程に、現在は物販店として使われている旧銀行店舗が建っています。
この建物は、日本産業貯蓄銀行倉吉支店として昭和6年に建てられました。
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鉄筋コンクリート2階建て、間口2間程の建物です。倉吉最初の本格的な西洋建築として建てられましたが、当時流行のセセションスタイルを取り入れ、小規模な建物に拘わらず多彩な装飾表現が各部に見出せます。
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敷地の関係で車寄せや大きな玄関庇はありませんが、軒全体を張り出して玄関庇とし、両脇をフルーティング風の溝を刻んだ角柱で支えます。
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玄関両脇の柱形はそのまま2階へ伸びて窓間を飾り、破風、パラペットに繋がります。
破風中央には行章と思われる紋、その両脇にもオーナメントを添え、さらに頂部に棟飾りを載せる等、当時の建築意匠がふんだんに盛り込まれています。
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風情ある古い町並みに洋風建築が融け込む美しい景観です。
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築後約80年となるこの旧銀行店舗は、増築や大きな改修も無く、竣工時の姿を良好に留めます。
現存する地方の小規模銀行店舗の良例として貴重な建物と言えます。
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by sunshine-works | 2012-10-29 20:59 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(0)
2012年 10月 25日
旧第三国立銀行倉吉支店
鳥取県倉吉市の近代建築その1

古い町並みが残る倉吉の旧市街地の東に、土蔵造りの和洋折衷建物が建っています。
この建物は、旧第三国立銀行倉吉支店として明治41年に建てられました。
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白塗りの蔵が並ぶ観光スポットからはやや距離を置いた場所に建てられていますが、周囲の古い商家と良く馴染む白壁2階建ての土蔵造り。コーナーの玄関部分に洋風意匠を用いる以外は純和風の意匠です。
反面、内部は吹抜けを設けた当時の一般的な銀行の仕様で、洋風を基調としたものとなっています。
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この銀行支店が土蔵造りとされた経緯については、明治38年にこの一帯で発生した大火を教訓としたものとされています。
明治期の地方銀行の店舗にはこのような土蔵造りの建物が多く、本格的な鉄筋コンクリート建築が普及するまでは、優れた耐火建築としてこの構造が使われていました。
同じく現存する第三国立銀行の松江支店も土蔵造りの店舗となっています。
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側面に採光用の窓が設けられている以外は普通の土蔵建物。2階窓の分厚い扉も蔵そのものです。
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シンプルな玄関周り。腰回りと共通の石を貼ってアクセントとします。
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店内は改修されて喫茶店に使われています。
2階へ上る階段や犬走りが当時のまま残され、レトロな雰囲気がこの用途に良く合います。
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飲食店としての用途は観光地ならではの的を得た活用事例でしょう。古い町並みに調和して優れた景観を為しています。
築100年を過ぎた今尚良好な状態が保たれているこの建物は、明治の一時期に流行った土蔵造りの偽洋風建築の現存例として、極めて貴重な資料です。
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by sunshine-works | 2012-10-25 21:35 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(0)
2012年 10月 21日
百十四銀行旧坂出支店
香川県坂出市の近代建築その9

坂出駅の北側に広がる商業地域の一角に古い銀行建物が残されています。
現在はATMコーナーのみが使われているこの建物は、昭和5年に百十四銀行坂出支店として建てられました。
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長いアーケードが東西に繋がる商店街のほぼ中央にあたる場所に建つ、化粧タイル貼りの鉄筋コンクリート2階建て陸屋根造の建物です。
南面中央にがっしりとした玄関張出を据え、左右に窓を1枚ずつ配する小さな間口としていますが、奥行きを長く取って面積を確保します。
上部がアーケードで遮られている事と、左右の窓がパネルで覆われている事で、狭い正面側は玄関部分の存在感が強調されています。
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直線を主とした平面的な意匠。華美な装飾は持たず、表面タイルの質感と化粧石によるアクセントで意匠を表現します。
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一見するとスクラッチタイルに見えますが、縦横に目が刻まれた、布生地を思わせるタイルが貼られています。
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2階の窓間を飾る付柱。
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現存する百十四銀行の店舗として、戦前最後の築年の建物です。
商都として栄えた坂出の賑わいを偲ぶ歴史遺構として貴重な存在となっています。 
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by sunshine-works | 2012-10-21 23:07 | 近代建築 香川県 | Trackback | Comments(0)
2012年 10月 17日
中国銀行倉敷支店本町出張所(旧第一合同銀行倉敷支店)
岡山県倉敷市の近代建築その7

倉敷の観光名所美観地区の中央部、大原美術館から鶴形山へ抜ける道の途中に、大正期に建てられた銀行が建っています。
旧第一合同銀行倉敷支店として建てられ、現在は中国銀行倉敷支店本町出張所として使われているこの建物は、岡山県内の現役銀行店舗として最古のものです。
設計:薬師寺主計、施工:藤木工務店。
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現在の中国銀行の前身となる第一合同銀行は、大正8年に岡山地域6行の合併によって誕生、母体となった倉敷銀行頭取の大原孫三郎が頭取を務めます。この倉敷支店は同行の中核店舗として大正11年に旧倉敷銀行本店から建て換えられました。
全体の意匠としては当時の銀行建築に多用されたルネッサンス様式が基調。
ドーマー屋根を乗せた大きな寄棟屋根は当初はスレート葺き、その後に銅板葺きに替えられています。
北面と西面を飾るドーリア式のオーダー柱、1階のアーチ窓、御影石を組んだ玄関ポーチ等、定番とも言える構成ですが、それまでの銀行建築に比べると重厚感や荘厳さが薄まり、広く大衆に向けられた銀行を指向した意匠とも取れます。
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全体の構造は鉄筋コンクリート、石造、煉瓦造、木造が組み合わさった混構造と呼ばれる形式。部位によってこれらを使い分けています。
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基礎は笠岡諸島産の御影石。岩肌そのままで仕上げたルスティカ積みと呼ばれる手法を用いています。
その上の外壁表面は切石積みに見えますが、これは塗布したモルタルに筋を引いて石組みを表現したものです。
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正面側となる北面。2階の軒まで延ばされた6本のジャイアントオーダーを等間隔に並べ、中央にやや小ぶりな玄関を設けます。
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アーチのファンライトを飾る美しいステンドグラス。
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南隣に大原家住宅、その奥手に大原美術館を望む西側面。
この西面にもほぼ同規格の玄関が設けられています。
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第一合同銀行倉敷支店の建設にあたっては、前年に建てられた日銀岡山支店が大きな刺激となりました。
大原家の建築顧問を務めていた薬師寺主計は、日銀岡山支店を施工した藤木工務店の技術を高く評価、この第一合同銀行倉敷支店の施工を任せます。以降この3者は深い繋がりを持ち、多くの大原家関連施設を手掛ける事となります。
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倉敷の中心部には大原孫三郎と薬師寺主計・藤木工務店の手になる優れた近代建築が数多く残されています。これらは古い町並みに良く融け込み、優れた観光資源として貴重な役割を果たしています。
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by sunshine-works | 2012-10-17 20:24 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(0)
2012年 10月 13日
倉敷中央病院
岡山県倉敷市の近代建築その6

倉敷教会の東方へ約300メートル、赤い屋根が印象的な総合病院の建物群が見えます。この倉敷中央病院には、前身となった倉紡中央病院時代に建てられた病院施設が現存します。これらの建物は大正12年の開業時に建てられました。
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倉敷紡績の企業城下町として発展した倉敷には、社員の厚生施設として様々な組織、施設が建てられます。倉敷紡績も、この時代の大くの大会社の例に漏れず地域一番の規模となるこの近代的な総合病院を設立します。
設計は倉敷紡績社長大原孫三郎との繋がりで倉敷に多くの作品を残した薬師寺主計、施工も大原孫三郎や薬師寺主計と所縁の深い藤木工務店が担当しています。
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現存する倉紡中央病院時代の建物は全部で3棟。
南から順に旧看護婦養成所、旧事務棟、旧外来棟が敷地の西側の道路に面して並びます。
現在の主要な病院施設は背後に建てられた鉄筋コンクリート造の近代病棟が担っていますが、これらの建物も用途を変えて現役施設として使われています。
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敷地の南端に建つ3階建ての建物。かつて看護婦養成所として建てられ、現在は倉敷中央看護専門学校として使われています。
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鉄筋コンクリート3階建て。
直線と平面を基調とした外観、装飾意匠を最小限に止め、均等に並ぶ縦長窓の配置で垂直・水平方向のラインを強調します。
反面、1階の腰周りには煉瓦タイルを飾り、玄関ポーチにはアーチが組まれる等、古典様式からモダニズム様式へ移行する過渡期の建築様式が見て取れます。
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旧事務棟として使われていた建物。現在はリハビリ施設となっています。竣工時は、この建物の入口が病院の主玄関になっていました。
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旧外来棟。事務棟と意匠を合わせた造りです。現在は幼稚園として使われています。
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旧事務棟と旧外来棟の意匠はゼセッションやアールヌーボの様式を取り入れた薬師寺主計が得意とするスタイル。当時の病院建築にはこの様式が数多く使われています。
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83床、医師24名の規模で開業した倉紡中央病院は、翌年には200床を超える大きな総合病院に発展、京都大学から多くの医師を招き、海外の最新医療機材を導入する等、県内では岡山医科大学と並ぶ先端の医療機関となりました。
また、この倉紡中央病院は、東洋一の病院を目指した大原孫三郎の理念が様々に体現され、斬新な施設や制度が導入されていました。*詳細はこちらをご覧ください。
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この病院が建てられた当時の倉敷の人口は1万5千人程。人口規模と比較すると相当に大きく立派な病院だった様です。
広く市民にも開放されていたこの倉紡病院は、従業員や地域に対する利益還元や社会貢献を重視した大原孫三郎の哲学を示す象徴の一つとなっています。
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by sunshine-works | 2012-10-13 14:12 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(0)
2012年 10月 09日
倉敷教会
岡山県倉敷市の近代建築その5

倉敷駅を東へ程なく、住宅やマンションが並ぶ一角に、3階建ての目を惹く教会建物が見えてきます。
西村伊作の設計となるこの日本基督教団倉敷教会は大正12年に建てられました。
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木造3階建て、1階部分と塔屋の外壁を石組みとし、礼拝堂、塔屋、各面の張出部それぞれに切妻屋根を葺きます。
左右非対称の建物配置、あえて2階に設けた玄関、複雑に組み合う屋根、石材と木造の取り合わせ等々。当時の教会建築の流れと一線を画した斬新な意匠です。
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設計者の西村伊作は文化学園の創設者としても知られますが、多岐に亘る活動の中の建築設計に於いては、従来の常識に捉われない実用本位の建築様式を提案し、自ら多くの住宅を手掛けます。
厳格な様式性を旨としていた当時の教会建築の枠を超えて強い個性を放つこの教会も、同様な発想に基づいて設計されたものと思われます。
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三角形の妻面を意匠表現に用いる手法や石組みの外壁。西村伊作の手掛けた多くの住宅に見られる特徴です。
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スロープの側壁が敷地前面に立ちあがります。
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斜面を上って2階の玄関へ。
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スロープの下部には小さなアーチを構えます。
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西村伊作と倉敷は、この教会の設立者の一人、倉敷紡績社長の大原孫三郎を介して深い繋がりを持ちます。
互いの思想に共鳴した両者は、若竹の園保育所や倉敷北部に開発した近郊住宅を手掛け、優れた建築遺産を倉敷に残します。
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築後90年を迎える事となる建物ですが、程良く管理され状態は極めて良好と思えます。
信仰の拠所となったと共に倉敷の文化発展を支えた存在としても重要なこの建物は、中心街の景観に資する貴重な役割も担っています。
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by sunshine-works | 2012-10-09 21:26 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(2)
2012年 10月 05日
旧浅田養蔵邸
朝来の近代建築その3

生野の中心街の外れ、市川河畔に生野の旧邸を展示する口銀谷ミュージアムセンターが置かれています。
2つの旧邸が並ぶこの施設の片側、昭和7年に建てられた旧浅田邸には応接間兼書斎に使われた洋館が残されています。
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代々生野銀山の地役人を務めてきた浅田家は、明治前期の浅田貞次郎の代に銀山の近代化や産業振興に貢献し、生野の発展を導きます。
この建物は貞次郎の三男で生野町議を務めた浅田養蔵氏の自邸離れとして昭和7年に建てられたものです。
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敷地の北側に建つ洋館。主屋から渡り廊下を介して繋がります。
銅板を葺いた急勾配の切妻屋根にドーマー屋根を飾り、スクラッチタイル貼りの外に縦長窓を並べます。
この時代の日本家屋に併設された洋館の多くがこの様な小規模なものでした。
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洋館の四面。腰周りに石を廻らせ、上部にスクラッチタイルを貼ります。
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建物内部も当時の状態が良く保たれています。
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多くの西洋建築が建てられた生野ですが、当時建てられた洋風住宅の現存例は僅かです。
この洋館は往時の銀山町の繁栄ぶりを偲ぶ数少ない遺構となっています。
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by sunshine-works | 2012-10-05 23:48 | 近代建築 兵庫県 | Trackback | Comments(0)
2012年 10月 01日
旧海崎医院
朝来の近代建築その2

生野の中心口銀谷(くちがなや)地区の東、静かな町並みに並ぶ民家の敷地に、小さな木造洋館が建っています。
この建物はかつてこの地で開業していた医院の待合室として使われていました。
築年は明治20年頃、地元の大工によって施工された儀洋風建築です。
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木造平屋、羽目板貼り、和瓦を葺いた寄棟造り。重厚な軒蛇腹や鎧戸、小さな庇を張出す玄関ポーチを備え、小規模ながら当時の洋風建築の技法を随所に盛り込んでいます。
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この建物は、生野の漢方医だった海崎一貫が生野鉱山のお抱えフランス人医師に西洋医学を学び、自宅の一角で医院を開業した際に建てられました。海崎医院はその後、生野で最も古い医院として親しまれますが、大正15年に2代目が夭折した後は後継が絶え、この待合室は使われる事のないまま今日まで残されています。
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この建物で特筆すべきは、格天井の一葉毎に描かれた豪華な天井画にあります。
花鳥風月をモチーフとした日本画が描かれた30センチ四方の格子板81枚が天井いっぱいに並べられ、見る者を魅了します。
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鎧戸を備えた両開きの窓。
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素晴らしい天井絵を持つこの医院建物は、早くから西洋文化を採り入れた生野の先進性と豊かな文化的素養を示します。
生野に数多く建てられた洋風建築の中でも明治20年まで遡る建物の現存例は旧生野警察署に次いで古く、初期の儀洋風建築の姿を伝える資料として貴重です。
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by sunshine-works | 2012-10-01 23:33 | 近代建築 兵庫県 | Trackback | Comments(0)