<   2012年 02月 ( 7 )   > この月の画像一覧

2012年 02月 26日
山陰本線陸上橋梁
鳥取の鉄道遺産その9

明治期に遡る古い歴史を持つ山陰本線は、他の幹線に比べると近代化や高規格化の進捗が遅く、全通から100年近くになる今日も開業時に由来する鉄道施設が各地で使われています。
山陰本線が東西を貫く鳥取県にも、古い橋梁や木造駅舎が数多く現存していますが、今回はこれらの中で最も規模の大きな鉄道遺産となる、岩美郡陸上(くがみ)に残る橋梁を紹介します。
f0116479_1913140.jpg

山陰本線の鳥取県内区間は明治35年に境港~米子が開業、その後幾度も延伸を重ねて明治末年までに県内全区間が開通します。県北東部の風光明媚な丘陵を渡るこの陸上橋梁は、岩美と兵庫県西端を結ぶ工区が開通した明治44年に架けられています。
f0116479_1825441.jpg

f0116479_1826037.jpg

小高い丘の彼方から進んできた山陰本線は、谷間となるこの地点で、陸上川と両岸の平野部を頭上高く跨ぎ越して行きます。
両脇の丘の高さに合わせて高く組まれた橋脚が、総長140メートルのプレートガーダーを支えます。
f0116479_18271568.jpg

f0116479_18254638.jpg

f0116479_1828419.jpg

f0116479_18313814.jpg

f0116479_1831410.jpg

煉瓦積の橋脚は全部で5本。山陰本線でも良く使われた当時の標準的な仕様と思えます。5本の中で2本が円形断面、3本が角形断面をしています。川中に建てられた2本が水流を逃がす効果を配慮して円形に仕上げられています。
f0116479_183223100.jpg

f0116479_18334023.jpg

f0116479_18301135.jpg

f0116479_18303065.jpg

f0116479_18321316.jpg

1基の橋脚は後年にコンクリートで補強されています。
f0116479_18345750.jpg

その他の橋脚は竣工当初の煉瓦が残ります。
f0116479_18335035.jpg

f0116479_1834176.jpg

f0116479_1832266.jpg

f0116479_18351325.jpg


by sunshine-works | 2012-02-26 23:50 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(0)
2012年 02月 22日
予讃線財田川橋梁/柞田川橋梁
香川の鉄道遺産

四国の旧国鉄路線の母体となった民営の讃岐鉄道は、明治22年に丸亀~琴平間で開通、その後路線は山陽鉄道を経て国営化され、現在の予讃線に引き継がれます。
開業区間からの延伸は、明治30年に東の高松までが開通しますが、西への延伸は遅く、明治42年に起工された路線が愛媛県に達するのは大正5年の事となります。
この西への延伸区間には、竣工時の姿で現在も使われている多くの橋梁が残っています。今回はその中の主要な2橋、財田川と柞田川を渡る橋梁を紹介します。
f0116479_1434519.jpg

多度津から西へ進む予讃線は、観音寺市街の北で財田川を渡ります。この地点に架けられた財田川橋梁は大正2年の多度津~観音寺区間開通時に竣工しました。
f0116479_1044927.jpg

f0116479_21222220.jpg

f0116479_9371846.jpg

この時代の橋梁に一般的な石積の橋脚。上部に笠石を乗せます。
f0116479_9383132.jpg

f0116479_9391595.jpg

f0116479_943225.jpg

f0116479_9433513.jpg

f0116479_21232195.jpg

プレートガーダーは明治末に制定された鉄道院標準仕様のもの。竣工時の状態が良く保たれています。
f0116479_9444149.jpg

f0116479_10114587.jpg

f0116479_1094025.jpg

f0116479_21233031.jpg

f0116479_10105989.jpg

f0116479_10103377.jpg

観音寺~川之江間の開業は大正5年。この時に架けられた柞田川橋梁も竣工当時の姿を伝えます。
f0116479_10293142.jpg

長さの違いはあるものの、財田川橋梁と殆ど同じ規格で造られています。川辺の景色も良く似ており、外観はそっくりです。
f0116479_10362656.jpg

f0116479_10455665.jpg

f0116479_10365856.jpg

f0116479_1037329.jpg

切石を積んだ橋脚。柞田川橋梁は一部に砂岩の切石が使われています。
f0116479_10413931.jpg

f0116479_10421067.jpg

f0116479_10423452.jpg

f0116479_1043424.jpg

f0116479_1046553.jpg

両側の橋台や翼壁も当時そのままの状態で残ります。
f0116479_10543057.jpg

狭い間隔で並ぶ補剛材。この時代の橋桁の特徴です。
f0116479_10593511.jpg

f0116479_1131817.jpg

f0116479_1155597.jpg

広い河原を静かに気動車が渡っていきます。
f0116479_1163094.jpg


by sunshine-works | 2012-02-22 12:07 | 近代建築 香川県 | Trackback | Comments(0)
2012年 02月 18日
総門橋
岡山県高梁市の近代建築その5

岡山で最大の流域面積を持つ高梁川は、途中多くの支流を従えます。方谷橋玉川橋の中間で西に分かれる支流成羽川にも、昭和9年の室戸台風からの復興橋梁が現存しています。
成羽の市街に架けられた総門橋は、全国でも数少ない鉄筋コンクリートローゼ橋の現存例となります。
f0116479_19114924.jpg

ローゼアーチを鉄筋コンクリートによって構築したこの形式の橋は、昭和初期に長野県の技師によって開発されました。
長野県以外では、戦前から戦後しばらくの時期に数県で採用されましたが、本格的に普及するには至らず、その後の竣工例は僅かなものしかありません。
岡山ではこの形式の橋は計3橋が架橋されましたが、大原橋と旧八幡橋が昭和17年の竣工、そしてこの総門橋が昭和19年の竣工と、どれも他の復興橋梁と比べて遅い竣工年のものばかりです。
戦局が押し迫ったこの時期、橋梁に鉄材を使用する事もままならない中で、このコンクリートローゼ橋が代替として重要な役割を果たしていました。
f0116479_1923449.jpg

f0116479_19231362.jpg

f0116479_1924122.jpg

f0116479_19245723.jpg

f0116479_19251933.jpg

f0116479_19241542.jpg

f0116479_19261037.jpg

f0116479_19271014.jpg

f0116479_19272975.jpg

橋長132メートル。美しい孤を描く3連のアーチが渡ります。
f0116479_1155124.jpg

f0116479_19275442.jpg

f0116479_19355514.jpg

f0116479_19374963.jpg

f0116479_19381384.jpg

f0116479_19383311.jpg

川面と桁の間に大きな距離が取られています。
室戸台風の教訓を活かし、一連の復興橋梁は全て下路式として橋下に大きな空間を設ける事を旨としました。
f0116479_19385115.jpg

f0116479_19391432.jpg


by sunshine-works | 2012-02-18 23:10 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(0)
2012年 02月 14日
水内橋
岡山県総社市の近代建築その1


新見往来を更に南へ進み総社市へ至ります。備中広瀬と美袋の中間を過ぎて程なく、道の横手に美しいシルエットを描く橋が見えてきます。
カンチレバートラスを用いたこの水内橋は、高梁川の復興橋梁中で最大の橋長を持つ橋となりました。昭和13年架橋。
f0116479_1122633.jpg

前後の桁の間に吊桁を挟んで大きな径間長を得るこの形式は、別名ゲルバートラスとも呼ばれ、70メートルを越えるスパンを渡す事が可能です。従来のトラス桁で70メートル以上の桁を架けるには、小山のように巨大なトラスを組む事となりますが、カンチレバートラスは全体の規模を大きくする事なく長い支間が得られ、資材も節約する事が可能となります。
日本では昭和初期に実用化された新しい技術ですが、この利点を活かして各地に広まって行きました。
f0116479_1143654.jpg

f0116479_1145250.jpg

f0116479_116153.jpg

f0116479_1152858.jpg

この時代に架けられたカンチレバートラスは、このように桁接合部の上部が三角に突き出た変った形状をしています。独特のその姿は、単調な桁に程良くアクセントを加え、橋の景観を引き立てます。
f0116479_114665.jpg

f0116479_117954.jpg

橋長は約180メートル。頭上を覆う上部構造物は中央支点に横桁が渡るだけで、長大な桁にしてはすっきりした構造です。
f0116479_121274.jpg

f0116479_122043.jpg

f0116479_1221196.jpg

f0116479_1224154.jpg

f0116479_1374368.jpg

f0116479_1381864.jpg

f0116479_1385777.jpg


f0116479_1233226.jpg

f0116479_1261084.jpg

f0116479_1262455.jpg

f0116479_1264170.jpg

f0116479_1411549.jpg


f0116479_1235619.jpg

f0116479_124516.jpg

f0116479_1244270.jpg

f0116479_1245865.jpg

f0116479_1322569.jpg

f0116479_1303971.jpg

西詰の親柱。基礎だけが残されています。
f0116479_1515852.jpg

f0116479_1521477.jpg

河原から側面を見上げます。この角度から見ると桁の長さが更に実感できます。
f0116479_144018.jpg

f0116479_1453018.jpg

f0116479_146143.jpg

f0116479_145451.jpg

f0116479_1463323.jpg

f0116479_147320.jpg

この高梁川のように、昭和10年代に架けられた鋼橋が数多く現存している例は全国的に見て希少なものです。数の多さも然ることながら、様々に異なる形式の橋梁が揃っている点でも、当時の架橋技術を伝える貴重な資料と言えます。
f0116479_14901.jpg


by sunshine-works | 2012-02-14 23:33 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(0)
2012年 02月 10日
玉川橋
岡山県高梁市の近代建築その4

高梁市の南部、総社市との境界近くに朱色に塗られたトラス橋が渡されています。高梁川に現存する室戸台風復興橋梁の中で唯一の3連続トラスとなるこの玉川橋は、昭和11年に架けられました。
f0116479_1442728.jpg

高梁川の西岸を並行する新見往来(現在の国道180号線)から分かれて西へ向う街道が渡ります。県南西部の主要部、矢掛・井原方面とを結ぶ交通路の起点に架けられた橋です。
f0116479_14442069.jpg

f0116479_14443586.jpg

鳥取との県境付近を発した高梁川は、中間点を過ぎたこの辺りでは流れも太くなり、150メートルを越える川幅があります。広い川幅を最低限の橋脚数で桁を渡す必要から、曲弦ワーレントラスと呼ばれるこの形式となりました。
f0116479_1443053.jpg

広い川幅にトラス桁を複数連続して渡す、当時の橋梁の基本的なスタイルです。
3基のトラスは各々45m程の長さ。当時の技術では並行弦トラスで架けられる限界に近い長さでした。
長スパンのトラス桁の場合、強度を確保する為に桁高を増やす必要がありますが、下弦に掛かる荷重は中央が大きく両端に近づくほど小さくなるので、負荷に応じて両端部のトラスの高さを減らす事が可能となります。橋の自重を減らし、かつ資材の節約を図る目的から、大規模なトラスはこのような曲弦式とするのが一般的でした。
f0116479_1594910.jpg

f0116479_1592545.jpg

東詰から西詰へ、複雑に組み合った鉄骨の中を進んで行きます。
f0116479_14464969.jpg

f0116479_14453188.jpg

f0116479_14473218.jpg

f0116479_14475457.jpg

f0116479_14481992.jpg

f0116479_1449192.jpg

f0116479_14505296.jpg

f0116479_14511080.jpg

細部のクローズアップ。錆が浮いて塗装もひび割れた姿に、70年を越える年月を実感します。
現在この隣で新しい橋の工事が始まっており、この美しいトラス橋もあと僅かで役目を終える事となります。
f0116479_14494688.jpg
f0116479_14492924.jpg
f0116479_14493639.jpg
f0116479_14495384.jpg

西詰に残る親柱。竣工当時の親柱が現存する橋梁として、県内で希少な例となります。
f0116479_15441347.jpg

f0116479_15442991.jpg


by sunshine-works | 2012-02-10 23:38 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(0)
2012年 02月 06日
方谷橋
岡山県高梁市の近代建築その3

高梁川に沿って進む国道を更に南へ、高梁の市街地に差し掛かる地点に美しいアーチを描く橋が架かります。
この方谷橋も室戸台風の復興事業で架けられました。昭和12年架橋。
f0116479_20503611.jpg

高梁市の中心部から川の西岸へ、約100メートルの川幅を1連のアーチ桁と前後に繋がるプレートガーダーで結びます。中央のランガーアーチの主桁を張出して吊桁とする事により、56メートルの大きな桁長を確保しています。
f0116479_20534980.jpg

f0116479_20532221.jpg

f0116479_20564299.jpg

f0116479_20541662.jpg

この方谷橋に用いられたランガーアーチは、日本では昭和初期に実用化された当時の先進の橋梁です。単純トラスよりも長い径間が得られる利点から、室戸台風の復興橋梁にも多く使われました。高梁川では前掲した田井橋や架替前の旧正田橋、旭川水系でも2橋がこの形式(現存せず)で架けられました。
f0116479_2055178.jpg

f0116479_2056533.jpg

f0116479_211039100.jpg

武骨なトラス桁に比べると軽やかで流麗なイメージです。現代のアーチ橋と然程変わる所がなく、この時代の地方都市の橋梁としては非常にモダンなデザインに仕上がっています。
f0116479_20571087.jpg

f0116479_20574158.jpg

f0116479_20575020.jpg

f0116479_20582223.jpg

f0116479_2163529.jpg

f0116479_20582873.jpg

f0116479_2058356.jpg

f0116479_2059894.jpg

f0116479_2059196.jpg

f0116479_20594599.jpg

f0116479_210266.jpg

f0116479_2101146.jpg


f0116479_21131678.jpg


by sunshine-works | 2012-02-06 23:58 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(0)
2012年 02月 02日
旧鐘ヶ坂隧道
丹波の近代建築その2

丹波市から南へ向う国道176号線は、篠山市との境の鐘ヶ坂峠の下をトンネルで抜けて行きます。この鐘ヶ坂峠には平成17年に開通した現在の鐘ヶ坂トンネルの他に、昭和42年に開通した先代のトンネルと明治16年に開通した初代のトンネルがそれぞれ現存しています。
近代建築Watch 丹波編その2は、日本最古の煉瓦隧道として知られる初代鐘ヶ坂隧道を紹介します。
f0116479_18504334.jpg

現在の鐘ヶ坂トンネルの脇にある公園から斜面を上り、旧道をひたすら進んだ先にこの初代鐘ヶ坂隧道が現れます。現在の鐘ヶ坂隧道の真上に位置し、山の頂上まであと僅かを残す地点を貫いています。
この隧道は閉鎖されている為、現在は立ち入る事が適いませんが、春の桜祭りの時期に限って一般公開されています。
f0116479_1851870.jpg

旧山陰道の一部となる丹波街道は、鐘ヶ坂峠を越えて丹波から篠山を結びます。高い山が少ない丹波地方ですが、鐘ヶ坂峠を据える金山は標高540メートルを数え、地勢の険しい峠は街道の難所となっていました。
f0116479_18442232.jpg

f0116479_18523477.jpg

f0116479_1853950.jpg

全長268メートル巾3メートル、真っ暗なトンネルですが、公開に合わせて臨時照明が設けられています。とはいえ照度は低く、足元も荒れているので慎重に奥へ進んで行きます。
f0116479_185433100.jpg

f0116479_1854863.jpg

f0116479_1856673.jpg

f0116479_18584551.jpg

f0116479_18585814.jpg

使用された煉瓦は全部で28万個。その殆どが竣工当時の状態で残っています。
f0116479_192445.jpg

f0116479_1921989.jpg

f0116479_1923457.jpg

f0116479_18495835.jpg

郡界を示す石板も当時のままです。
f0116479_191064.jpg

この隧道が掘られた経緯についてはこちらのサイトに詳しい記事がありますが、開国間もない明治10年代、山中の地方道に最新の近代土木技術を用いた隧道が掘られた事に驚きます。
更に、この大事業が国や県ではなく、地元の有志を中心に進められ、地域住民から多額の寄付を集めた事も現代の感覚からは想像しがたい事に思えます。
同様の事例は、この時代には珍しくなかったようで、地域の近代化の多くは、このような民意の結集によって支えられていました。
兵庫県内では相坂隧道上久下村発電所をこのような事例として以前に紹介しましたが、全国各地で道路や橋、隧道等の土木施設や電気・水道施設、学校等々、住民達の尽力で数々の近代施設が地域に築かれていきました。
f0116479_1925446.jpg

f0116479_1931025.jpg

抗口を抜けて篠山側へ出ます。
f0116479_193288.jpg

f0116479_1961220.jpg

f0116479_1963659.jpg

f0116479_197265.jpg

丹波側に比べて篠山側の抗口は良好な状態で保たれ、扁額もはっきりと読み取れます。
f0116479_12564474.jpg

f0116479_1974116.jpg

f0116479_1993994.jpg

f0116479_1995337.jpg

傍らには、建築資金提供者を顕彰した碑文が刻まれています。
f0116479_1984192.jpg

地域の発展を導いたこの隧道は、役目を終えた後も40有余年を取り壊される事なく山中でひっそりと時を過ごして来ました。
築130年を経た今も尚、当時の姿で残るこの隧道は、明治初期の近代土木技術を伝える数少ない現存資料として貴重な存在となっています。
f0116479_19136100.jpg


by sunshine-works | 2012-02-02 19:48 | 近代建築 兵庫県 | Trackback | Comments(0)