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2010年 09月 29日
旧御殿浄水場管理事務所・ポンプ室
香川県高松市の近代建築その11

高松の中心市街から南西の方角、広い河川敷に沿って続く道を程なく進むと、小高い丘の麓に高松市の水道資料館が見えてきます。ここには高松市の近代水道開設時に建てられた2棟の建物が保存公開されています。
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多くの樹木が植えられた緑豊かな敷地に広場を挟んで2棟の木造建物が建っています。1棟は事務所兼宿直室として使われていた建物、もう1棟はポンプ室として使われていました。
2棟共に花崗岩に煉瓦を重ねた基礎、羽目板貼りの外壁、和瓦葺き屋根の仕様で統一され、木枠で飾られた大きな縦長窓が並びます。


敷地の北側に建つ旧管理事務所。大正6年に建てられました。
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コーナーに設けられた入口。張り出した庇の上部に円形の破風を飾る凝った造りです。
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明治20年の横浜に始まる日本の近代水道の歴史は、その後東京や大阪を初めとする大都市や条約によって開港した都市で整備が進み、大正期に入ると地方の中心都市に波及していきます。
水事情の悪さから幾度も伝染病の流行を招き、明治中頃より水道開設の気運が高まっていた高松市も大正3年にようやく開設認可を得、着工後7年を経た大正10年に完工します。この時に市内各所に設置された一連の水道施設の中で中核となる取水・浄水施設として設けられたのがこの御殿浄水場でした。
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旧管理事務所と向かいあって建つ旧ポンプ室。大正7年の築です。
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ポンプ室だけに管理棟よりは簡素な入口周りとなっています。
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内部には当時のままの設備が展示されています。
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建物南面を配水池越しに眺めます
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この水道の供用が始まった大正10年当時、高松市の人口は四国4県の県庁所在地の中で最も少ない6万人程度の規模でした。しかし、近代化の進展に於いては遥かに他市を凌ぎ、四国の表玄関に相応しい概要を備えていました。四国初となった近代水道の歴史を伝えるこの2棟の建物からも、当時の高松の先進性を窺うことが出来ます。
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by sunshine-works | 2010-09-29 23:50 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2010年 09月 25日
百十四銀行高松支店(百十四銀行旧本店)
香川県高松市の近代建築その10

JR高松駅から徒歩で10分程、高松の中心市街は碁盤の目状に区割りされた町並みが広がり、2本のアーケードに多くの店舗が連なります。
高松の中心街は人口40万人の都市としては規模が大きく、四国の玄関口に相応しい賑わいを呈しています。
この中心街の一角に大正15年築の壮麗な鉄筋コンクリート建物が建っています。現在百十四銀行高松支店が置かれているこの建物は高松百十四銀行本店として建てられました。
設計・施工:清水組
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鉄筋コンクリート3階建て(3階部分は戦後の増床)、外壁全体を化粧タイルで覆い、、腰周りには花崗岩の切石が積まれています。正面の2本のオーダー柱や随所に張られたテラコッタ飾りが銀行本店らしい風格を醸しています。
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この面の中央部には大黒天の顔のテラコッタが飾られています。
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昭和27年に3階部分を増床していますが、意匠表現や素材を共通の物にして違和感無く仕上げています。
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入口や窓が配されたスパンは柱型に段を付けた凝った意匠になっています。
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正面の入口は近年に大きく改修されていますが、側面の出入口は往時の雰囲気が保たれています。
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空襲によって高松の中心地区の殆どの建物は消失し、焼け残った幾つかの建物もその後の再開発によって建換えられていきました。高松の発展の基礎を築いたこの百十四銀行旧本店の建物が唯一この地区の戦前建物として美しい姿を今に残しています。
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by sunshine-works | 2010-09-25 23:26 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2010年 09月 21日
旧高松港港務所
香川県高松市の近代建築その9

四国の海の玄関として多くの船舶が行き交う高松港。瀬戸内海の各地とフェリー航路が結ばれ、全国有数の船客乗降数を誇ります。この高松港の離島航路の桟橋の傍に古い鉄筋コンクリート造の建物が残されています。昭和2年に建てられたこの建物は、現在のフェリーターミナルが完成する平成13年まで乗降場を兼ねた港務所として使われていました。
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護岸に沿って建てられた横長の鉄筋コンクリート3階建て建物です。1階部分は発券所や待合所、2階、3階は貴賓室やホール、事務所に充てられていました。
古典様式を基調としていますが、モダニズム的な表現を取り入れた折衷様式となっています。
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背景に見えるのは再開発事業によって建てられた「高松シンボルタワー」。新旧の港のランドマークが並びます。
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正面中央のエントランス。4本の角柱が支える庇には不思議な模様が刻まれています。
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閉鎖されて9年を経過、殆ど手入れされていないのでしょうか、各部に劣化が目立ちます。
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連絡船が廃止され、高松駅を中心とする一帯が再開発によって大きく変貌を遂げる中、このエリアの古い建物の殆どが失われていきました。この旧高松港港務所は近代の高松の発展を支えた港の歴史を伝える唯一の建物として貴重な存在と言えます。
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by sunshine-works | 2010-09-21 23:48 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2010年 09月 17日
中国電力平作原発電所
岡山県鏡野町の近代建築その3

岡山県の最北部、鳥取との境に広がる恩原高原の頂部に建てられた平作原発電所。吉井川水系に設置された一連の水力発電所群の中で、最も上流側に築かれました。昭和3年築。
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179号線から分岐して若桜方面へ抜ける482号線を進んで程なく、左に見えてくるのがこの平作原発電所の建物です。この発電所も、同時期に建てられた他の発電所と同じ様な小規模で簡素な建物です。
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陸屋根・方形の左側部分に、切妻屋根を持つ右側部分とが組み合わされて一つの建物を構成しています。入発電所や上斎原発電所に比較すると規模が大きく、飾り気は少ないながらも見栄えのする建物です。
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右側から眺めると大分印象が変わります。
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裏側から再び左側面へ
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急勾配を下りてくる水圧鉄管。水源の恩原貯水池から導かれています。
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道路を隔てた場所に沈砂池が続きます。
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初期投資に大きな費用を必要とするものの、水力発電は自然エネルギーを元とすることが最大の特徴です。省資源や温暖化対策が大きなテーマとなった今日、環境への負荷も少ないこのような少規模発電所の存在価値は高まっていくものと思われます。
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by sunshine-works | 2010-09-17 23:46 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2010年 09月 13日
中国電力上斎原発電所
岡山県鏡野町の近代建築その2

人形峠を経て鳥取へ通じる国道179号線を北へ、幾つかのトンネルを抜けながら登り勾配の道を進んでいきます。奥津温泉を越えて恩原高原に差し掛かる手前に昭和5年築となる上斎原発電所が建てられています。
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道路面から斜面を下った場所に古びたコンクリート造の四角い建造物が現れます。前回紹介した入発電所と同様、この建物も飾り気の無いあっさりした意匠ですが、作業小屋か倉庫のような外観の入発電所に比べると幾分発電所らしさが感じられます。
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斜面を下りてきた水圧鉄管は道路の下をくぐって建物裏側に引き込まれていきます。
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延々と繋がる水圧鉄管を辿っていきます。
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下流側には沈砂池や会流池が続いています。これらも昭和5年の竣工当時の物です。
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この吉井川水系をはじめ、中国山地の各河川の上流域には、大正期から昭和初期に多くの水路式発電所が配置されていきました。これらは規模としてどれも小さな発電所ですが、水系全体では大きな単位として近代化を支える原動力になりました。
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by sunshine-works | 2010-09-13 23:48 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2010年 09月 09日
中国電力入発電所
岡山県鏡野町の近代建築その1

前回の掲載で真庭市の勝山第二発電所を紹介しましたが、中国地方の背梁にあたる岡山県北部の山間部は多くの水力発電所が築かれた地域でした。
真庭市の東、鳥取県と接する鏡野町には、大正期から昭和初期に建てられた古い水力発電所の幾つかが現役施設として稼動しています。吉井川に沿って点在するこれらの発電所の中で最も古い発電所が今回紹介する入発電所です。大正10年築。
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当時、中国山地に開かれた水力発電所は、どれも規模が小さく、建物も簡素なものが殆どです。
人口が少なく、大規模な工場もないこの地域では、得られる水量に見合った小規模な発電所を幾つも建てて、周辺地区に配電する方法で充分用が足りたのでしょう。
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建物を取り巻く電力装置や導水管が無ければ、どこにでもある普通の建物にしか見えません。倉庫程の大きさで、軒高も高くないこの建物のどこに大きな発電水車が収まっているのか不思議な気がします。(どうやらそれらの機器は半地下式に設置されていると思われます。)
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すぐ裏の小山から太い鉄管がいきなり繋がっています。非常にコンパクトで簡潔な構造です。
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斜面を登って、水路の上部を伺います
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小さな発電所を数多く作るよりも巨大な発電所を作って集約した方が効率的に優れている為に、戦後はダム式の大規模水力発電所が主流となり、小さな発電所の多くは廃止されていきますが、それでも中国山地ではこのような古い小さな発電所が今も活躍しています。
とりわけこの入発電所は、90年を経た小規模発電所が当時の姿を留めたまま使われている、全国的にも希少な近代産業遺産となっています。
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by sunshine-works | 2010-09-09 23:35 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2010年 09月 05日
中国電力勝山第二発電所
岡山県真庭市の近代建築その8

鳥取に至る国道313号線は、勝山の市街を抜けて程なく進むと山地に差し掛かかります。山の麓、道路に面して中国電力の勝山第二発電所の建物が見えてきます。昭和19年に送電を開始したこの発電所は、県内に現存する戦前築の水力発電所建物としては最も大きな建物です。
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急峻な山は少ないものの、冬季の降雪によって安定した水量が得られる中国山地には明治後期から多くの水力発電所が築かれていきました。戦前に設置された中国地方の水力発電所は水路式が中心で、殆どが小規模なものでしたが、昭和中期に建てられたこの勝山第二発電所は発電量9000kワットと、当時の水路式発電所としては比較的大きなものとなりました。
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薄茶色の地味な色合いの飾り気の無い直方体のコンクリート建物が大きな壁のように聳えています。年月を経た風合いから古い建物である事は感じられますが、見た目には現代の同種の建造物と変わらないデザインとなっています。
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背後の山から発電所に向かって伸びる水路鉄管が見えます。
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山頂部から鉄管を流れてきた水は、この場所で中継されて再び落下していきます。
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発電所下部の排水口から吐き出された水は、道路をくぐって堰に導かれ、川に注がれます。
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大規模な建造物の新築が規制されていた戦時中でも、電力施設は規制を免れ、軍需生産を支える要として資材の乏しい中築かれていきました。
戦前築の水力発電施設が点在する中国山地の中でも、この建物は戦中に建てられた数少ない近代土木遺産として貴重な存在となっています。
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by sunshine-works | 2010-09-05 22:28 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2010年 09月 01日
三ツ矢記念館(御料品製造所)
川西の近代建築その3

能勢電鉄平野駅の北側、線路際の台地に三ツ矢サイダーの商標を描いた塔が建っています。三ツ矢サイダー創業の地であるこの場所には、皇室へ納めるサイダーの製造所として明治45年に建てられた小さな建物が残っています。
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日本オリジナルの清涼飲料「サイダー」を代表するブランド、三ツ矢サイダーは、平野周辺に湧出していた炭酸泉を商品化した平野水に始まります。
良質な炭酸泉に恵まれていた兵庫県は有馬や宝塚でもサイダーが製造され、日本の炭酸飲料の先進地域となっていましたが、とりわけ三菱や系列のビール会社の資本と結びついた平野の三ツ矢サイダーは日本のトップブランドへと成長していきます。
現在は御料品製造所と復元された三ツ矢塔(炭酸採取装置)だけが残されていますが、この周囲一帯には明治17年の創業から昭和29年まで、天然鉱泉を原料としていた時代の同社の主力工場が置かれていました。
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コンクリート造、平屋建、長辺5メートル程の小さな建物です。アーチ窓と入口の庇に装飾表現が見られる他は、飾り気の少ないあっさりした意匠です。
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復元された三ツ矢塔。炭酸鉱泉から炭酸ガスを採取する為の施設です。
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工場が移転した後、残されたこの建物は三ツ矢記念館として公開されていましたが、その後休館状態となっています。将来は再び公開される予定との事なので内部の様子はその時のお楽しみ、と言う事に。
詳しくはこちらをご覧下さい、
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by sunshine-works | 2010-09-01 23:28 | 近代建築 | Trackback | Comments(4)