<   2010年 07月 ( 8 )   > この月の画像一覧

2010年 07月 31日
旧クダコ島灯台退息所/旧大久野島灯台
香川県高松市の近代建築その6

前回に続いて四国村に移築された瀬戸内海の灯台施設を紹介します。

*********************************************************************

旧クダコ島灯台退息所

四国村に移築された灯台退息所は全部で3棟。前回はブラントンが設計した日本の洋式灯台初期の退息所を2棟紹介しましたが、残る1棟はやや時代が下る明治36年に建てられたものです。この退息所は愛媛県松山市沖のクダコ島で100年近く使われ、灯台の無人化に伴って移築されました。
f0116479_100774.jpg

初期の退息所の多くは切石を積んだ石造建物でしたが、明治後期に建てられたこの建物は当時普及しだしたコンクリートで造られています。寄棟平屋建の内部は畳敷きの部屋に土間を備えた純和風に間取りされ、2家族が暮らせる部屋割りになっています。
f0116479_1004695.jpg

f0116479_9583260.jpg

f0116479_1033229.jpg

f0116479_10273690.jpg

アーチ式の入り口や鎧戸が並ぶ外観の内側に畳敷きの和風空間が広がります。
f0116479_1013171.jpg

f0116479_10133018.jpg

f0116479_10134667.jpg

f0116479_10142266.jpg

f0116479_10145123.jpg

f0116479_1015323.jpg

建物側面から裏側です
f0116479_10182837.jpg

f0116479_10184555.jpg
f0116479_10192774.jpg

f0116479_10202592.jpg

建物に隣接して別棟が建っています。風呂場と倉庫に使われていました。
f0116479_10233613.jpg

f0116479_1018238.jpg

f0116479_10242153.jpg

f0116479_10244544.jpg

f0116479_1025214.jpg

f0116479_10255723.jpg

f0116479_10261247.jpg


*********************************************************************

旧大久野島灯台

広島県竹原市の沖合いにある大久野島南端に明治26年に建てられた灯台です。平成4年の建替えに伴い当地に移築されました。
f0116479_10441619.jpg

f0116479_1045538.jpg

初期の灯台に多く見られる花崗岩の切石を積み重ねた造り。規模としては比較的小さな灯台です。
f0116479_10573841.jpg

f0116479_10575574.jpg

近代国家の要件として明治政府は全国各地に120基余りの灯台を設置しましたが、大半は離島や、集落から遠く離れた岬の突端に建てられました。これらの灯台は灯台守と呼ばれた職員によって常駐管理されていました。
自動化が進んだ今日、この過酷な職業は過去の物となりましたが、航行の安全を支えた職員とその家族の労苦を後世に伝える歴史遺産として、移築保存されたこれらの建物は極めて貴重な存在と言えます。
f0116479_10434211.jpg


by sunshine-works | 2010-07-31 11:58 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2010年 07月 27日
旧江崎灯台退息所/旧鍋島灯台退息所
香川県高松市の近代建築その5

四国各地から移築された民家が展示されている四国村には、日本の伝統家屋と共に瀬戸内海の各地から移された旧灯台施設が展示されています。
日本の洋式灯台の歴史を伝えるこれら建物を今回と次回に分けて紹介します。

*********************************************************************

旧江崎灯台退息所

江崎灯台は明治初期にイギリス人技師ブラントンの設計によって全国各地に建てられた灯台の一つとして、淡路島の北端に設置されされました。灯台本体は今も淡路島に残っていますが、職員の居住施設として使われた建物(退息所)が四国村に移築されました。明治4年築。
f0116479_21555224.jpg

各地に築かれた灯台施設の多くは、厳しい気象条件に耐える為、当時最も堅牢な工法だった石積みで建てられていました。大きな切石を重ね、木造の小屋組に瓦屋根を葺いています。
f0116479_21595625.jpg

f0116479_21591488.jpg

f0116479_21564467.jpg

f0116479_21572922.jpg

f0116479_21584244.jpg

中央に設けられた玄関。小さめの入口は強度を考えての事でしょうか。瓦葺きの庇を角柱で支えます。
f0116479_2302664.jpg

建物内部も当時の姿で残っています。
f0116479_22503835.jpg

f0116479_2251141.jpg

f0116479_22513742.jpg

*********************************************************************

旧鍋島灯台退息所

坂出の沖合い、鍋島に設置された灯台もブラントンが手掛けた計28基の灯台の一つです。江崎灯台と同様、灯台本体は現地に残り、役目を終えた退息所がこの地に移されています。明治6年築。
f0116479_22262154.jpg

江崎灯台退息所とよく似た造りですが、建物前面に並び、軒を支える石柱が意匠的な特徴となっています。
f0116479_22352417.jpg

f0116479_22372099.jpg

f0116479_2236711.jpg

f0116479_22373791.jpg

厚さ60cmに及ぶ石材。見るからに頑丈そうな印象を受けます。
f0116479_22433313.jpg

f0116479_22435761.jpg

側面からの眺め。脇には小さな付属建物があります。
f0116479_22454811.jpg

f0116479_2246105.jpg

f0116479_22471392.jpg

f0116479_22463396.jpg

分厚い石壁に開けられた窓。まるで出窓のように見えます。
f0116479_22555326.jpg

頑強な石造の宿舎は、一見近代的で快適な居住環境に感じますが、電気も空調設備も無かった当時、石造の建物は蒸し暑い日本の風土には馴染まなかった事と思います。
f0116479_22562136.jpg


by sunshine-works | 2010-07-27 23:50 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2010年 07月 23日
旧ワサ・ダウン邸
香川県高松市の近代建築その4

琴電屋島駅の北方、屋島の山裾に四国の古い民家を移築公開している施設、四国村があります。
この一角に、かつて神戸北野に建っていた1棟の洋館が喫茶店として利用されています。この建物は英国人ウイリアム・ダウン氏の夫人で日本人女性ワサの居宅として明治38年に建てられました。
f0116479_21411930.jpg

明治後期に建てられた北野の異人館に共通するベランダコロニアル様式です。
下見板貼り、寄棟屋根、この様式の特徴でもあるベイウインドウや鎧戸を備え、1階を解放式のバルコニー、2階はガラス窓で塞いでいます。
f0116479_2143856.jpg

f0116479_21433651.jpg

f0116479_21435458.jpg

f0116479_21443648.jpg

f0116479_214563.jpg

f0116479_21521426.jpg

当初北野に建てられていたこの建物は、同じ敷地に東西2棟が並んで建てられていました。この建物と対になる西棟にあたる建物が以前当ブログで紹介した旧ヘイガー邸です。
両方の建物を比べると、全体の雰囲気や細部の仕上げは共通していますが、全く同じ造りでは無く、サイズもこちらの建物がやや小ぶりな様に見えます。
f0116479_21413835.jpg

f0116479_22565720.jpg

f0116479_22562290.jpg

裏側には煉瓦煙突が見えます。
f0116479_21531311.jpg

f0116479_21534284.jpg

f0116479_21535935.jpg

1階正面側。中央の玄関の両側は開放式のバルコニーとなっています。
f0116479_21473817.jpg

f0116479_21484971.jpg

f0116479_21482881.jpg

f0116479_21491549.jpg

f0116479_21493043.jpg

f0116479_2150859.jpg

f0116479_21511545.jpg

f0116479_21513117.jpg

四国村見学コースの最後に現れるこの明治期の洋館は、園内の見事な伝統家屋に引けを取らない存在感を示しています。かつて北野の高台に建てられた異人館の幾つかは、移設されこのように観光施設として活用されていますが、遠く離れた四国の地に移されたこの異人館もその持ち味が上手に活かされています。
f0116479_23163068.jpg


by sunshine-works | 2010-07-23 23:50 | 近代建築 | Trackback | Comments(1)
2010年 07月 19日
旧遷喬尋常小学校校舎
岡山県真庭市の近代建築その4

久世駅から町の中心部へ向かう道の左手、グランドの奥に優美な木造建物が見えてきます。遷喬尋常小学校として明治40年に建てられたこの校舎は、この地で平成2年まで現役小学校として使われていました。設計:江川三郎八
f0116479_22204894.jpg

岡山県内各地で数多くの木造校舎を手掛けた県の技官、江川三郎八を代表する作品です。
ルネッサンス様式を基本に独特の表現を加えた江川式と呼ばれる一連の作品の中でも、とりわけ装飾性に富むこの建物は、とても小学校校舎とは思えない風格を備えています。
f0116479_1738629.jpg

二つの三角破風をマンサード屋根で繋ぎ、中央に校章を記した丸いドーマー窓を飾ります。
大きな屋根の内部、2階部分には講堂が設けられています。
(建物の特徴については、この建物を管理する財団のホームページに詳しい紹介記事があります。)
f0116479_17393750.jpg

f0116479_1740994.jpg

f0116479_17384255.jpg

f0116479_1832126.jpg

煉瓦の基礎の上に御影石を積み、縦方向の羽目板の上部に下見板が張られます。
f0116479_17452991.jpg

f0116479_17464010.jpg

f0116479_17472960.jpg

f0116479_17474410.jpg

f0116479_17483789.jpg

胴蛇腹を挟んで2階部分も縦羽目板と下見板の順に張られます。窓の上部の壁面はハーフティンバー式に筋交いを露出させています。
f0116479_17555174.jpg

f0116479_17565661.jpg

f0116479_1833337.jpg

f0116479_17572792.jpg

f0116479_17575816.jpg

中央の玄関から校舎内部へ。公開されている館内を自由に見て回ることが出来ます。
f0116479_17405637.jpg

f0116479_1814422.jpg

f0116479_1805779.jpg

f0116479_1811259.jpg

f0116479_1812954.jpg

2階に設けられた講堂。昔の木造校舎にはこの様に2階を講堂とした物が多くありました。
f0116479_1834864.jpg

f0116479_184225.jpg

f0116479_1841925.jpg

中央部が一段高くなっている折上げ天井。地元産の高級木材が用いられています。
f0116479_1865346.jpg

f0116479_1873475.jpg

f0116479_1881019.jpg

一部の窓には、板硝子が一般的となる前の古い手吹き硝子が残っています。厚さが不均一で景色が歪んで映っています。
f0116479_18124914.jpg

古くから商業が栄えた久世の町ではありましたが、これだけの校舎を建てるに際しては大変な財政負担が伴ったそうです。100年を超えて伝わるこの素晴らしい校舎からは、小さな地方の町にして県都岡山にもない豪華な小学校を建てた地域の人々の教育にかけた熱意を偲ぶことが出来ます。
f0116479_1815628.jpg


by sunshine-works | 2010-07-19 22:10 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2010年 07月 15日
姫新線久世駅
岡山県真庭市の近代建築その3

兵庫県の姫路と岡山県北西部の新見を繋ぐ姫新線。地方ローカル線としては非常に長い160キロに及ぶ距離を結びます。大正12年に遡る歴史を持つこの線区には開業時から使い続けられている鉄道施設が数多く残されています。今回紹介する久世駅も大正期に建てられた駅舎が現役施設として使われています。
f0116479_21393371.jpg

現在の姫新線の基となった作備線が開通した翌年、美作追分から久世まで延伸された時に設置された駅舎です。木造駅舎の多い岡山のローカル線区ですが、この様な木造モルタル造の素朴な駅舎も数多く残っています。
f0116479_2394322.jpg

f0116479_21402240.jpg

中央部に儲けられた切妻屋根を持つ庇が駅舎らしい風格を醸しています。
f0116479_21404591.jpg

f0116479_238521.jpg

f0116479_2382897.jpg

f0116479_2385364.jpg

改札を抜けてホームに出ます。木製の簡易なベンチがあるだけの典型的なローカル駅舎の風景です。
f0116479_23141453.jpg

f0116479_23155169.jpg

f0116479_23145479.jpg

f0116479_23152167.jpg

ホームから望む山裾の景色。
かつては近辺の山々から切り出した材木がこの駅から積み出されていきました。
f0116479_23252233.jpg

f0116479_23165094.jpg

f0116479_2324586.jpg

跨線橋を渡って反対側ホームへ。
f0116479_2328444.jpg

f0116479_23291595.jpg

f0116479_23295452.jpg

駅舎のホーム側は木造漆喰壁で仕上げられています。
f0116479_23301665.jpg

f0116479_23304340.jpg

このタイプの駅舎は、ひなびた木造駅舎に比べると注目されにくいのですが、この時代の地方駅舎に数多く採用された様式として建築史的には価値の高いものです。
ローカル線の駅舎も老朽化に伴って徐々に建替えられていきますが、当初の姿を良好に保つこの駅舎は長く残されて然るべき物と思います。
f0116479_095262.jpg


by sunshine-works | 2010-07-15 23:45 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2010年 07月 11日
落合橋
岡山県真庭市の近代建築その2

旦土大橋から旭川を上流側に更に遡ると、大きな屈曲部に差し掛かります。支流の備中川の分流点となるこの美作落合に架けられた橋も、昭和9年の室戸台風後の復旧事業で架けられました。
f0116479_23544779.jpg

上流に近づくに連れて川幅は狭くなっていきますが、広い河川敷を伴うこの地点に架けられた落合橋は下流側の旦土大橋江与味橋よりも長い橋となりました。約180メートルの距離を3連のトラス橋が渡っていきます。
f0116479_23561817.jpg

f0116479_23563288.jpg

f0116479_2357367.jpg

同時期に架けられた室戸台風の復興橋に共通するトラス構造の橋です。三角形に鋼材を組み合わせて繋いでい行くこの工法は、単純桁の橋に比べて強度に優れ、径間の長い橋を架けるのに適していました。
f0116479_23584940.jpg

f0116479_23591355.jpg

f0116479_23593954.jpg

f0116479_2359536.jpg

f0116479_001356.jpg

f0116479_003296.jpg

f0116479_01324.jpg

f0116479_01551.jpg

f0116479_012281.jpg

f0116479_032423.jpg

f0116479_02546.jpg

f0116479_022570.jpg

幅広い区間を渡るこの橋に設けられた橋脚は中間に2本のみ、両岸の橋台から橋脚の間に長いスパンの橋桁が渡されます。
f0116479_035297.jpg

f0116479_04947.jpg

f0116479_043842.jpg

f0116479_045646.jpg

f0116479_054596.jpg

f0116479_06478.jpg

この時代に架けられた橋の多くは今尚現役で使われていますが、車線幅の狭さや耐重量の制約もあって、その後に架けられた新橋にその地位を譲り、「旧道」として辛うじて命脈を繋いでいる例も多く見られます。
この落合橋もその一例ですが、用途を限れば如何様にも使い続けられるのが橋梁の利点かも知れません。
f0116479_051542.jpg


by sunshine-works | 2010-07-11 23:40 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2010年 07月 07日
旧諏訪邸(高崎記念館)
宝塚の近代建築その9

前回に引き続き、雲雀丘に残る大正期の洋館をもう一つ紹介します。
大正12年に建てられたこの建物は、雲雀丘に数棟建てられていたW.M.ヴォーリズ設計の洋館のうち現存する唯一の物です。
f0116479_22461423.jpg

雲雀丘地区の邸宅は規模が大きな物ばかりですが、この旧諏訪邸も非常に大きな建物です。坂道に面した大きな妻面が遠方からもよく目に付きます。
f0116479_2247439.jpg

ヴォーリズが開いた近江療養院の医師、諏訪蛍一氏の邸宅としてヴォーリズ自ら設計を手がけたこの建物は、木造3階・地下1階建、大きな腰折れ屋根や開放的なテラスが特徴的なコロニアルスタイルの洋館です。
設計に際しては、「洋風住宅」と「郊外生活」が日本人の健康向上に不可欠との考えを持っていた諏訪医師の理念が各所に取り入れられているそうです。
f0116479_22523280.jpg

f0116479_2248224.jpg

この建物も南に大阪平野の素晴らしい眺望が広がります。前庭に面して設けられたテラスの大きな窓からは、たっぷりと日差しが差し込みます。
f0116479_2257124.jpg

f0116479_22573338.jpg

f0116479_22582480.jpg

f0116479_2259948.jpg

f0116479_22593691.jpg

f0116479_2321965.jpg

テラスから室内を窺います
f0116479_2305191.jpg

f0116479_231717.jpg

f0116479_2311967.jpg

前庭から小さな階段が南側の入口に通じています。
f0116479_2343163.jpg

f0116479_234576.jpg

諏訪医師の邸宅として使われたのは大正12年から昭和4年までの僅かな期間でした。その後この建物は東洋製罐創設者の高崎達之助の邸宅として使用され、現在は同社の関連機関である東洋食品研究所によって管理されています。
f0116479_2312668.jpg

f0116479_23113736.jpg

f0116479_231224100.jpg

f0116479_2313361.jpg

f0116479_23133954.jpg

西側に設けられた正面玄関。昭和13年に増築されたものです。
f0116479_23163899.jpg

f0116479_23171131.jpg

f0116479_23173627.jpg

f0116479_2318962.jpg

f0116479_2318306.jpg

f0116479_2319488.jpg

f0116479_23192179.jpg

f0116479_23195199.jpg

ヴォーリズ作品にお馴染みの煉瓦煙突
f0116479_23215030.jpg

f0116479_23212698.jpg

f0116479_23221250.jpg

日本の高級住宅街の先駆けとなったこの雲雀丘には、この他にも築80年を超える建物が10数棟現存していますが、これらはどれも比較的狭い範囲の中に集まっており、緑豊かな町並みの中で素晴らしい景観を織り成しています。阪神間モダニズムと呼ばれた山手文化華やかなりし時代、駅から続く丘陵一面に当時最新の洋館が建ち並んでいた様は、さぞかし壮麗な眺めであった事と思います。
f0116479_23231492.jpg


by sunshine-works | 2010-07-07 00:34 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2010年 07月 03日
旧徳田邸
宝塚の近代建築その8

宝塚市の東部、阪急電鉄雲雀丘花屋敷駅の北側に大正期から昭和の初めにかけて開発された住宅街が広がっています。
この雲雀丘住宅地の一角、大阪平野を見晴らす斜面の中腹に1棟の洋館が建っています。
この建物は開発初期に建てられ現存する10数棟のうちの一つで、古塚正治の設計により大正中期に建てられました
f0116479_14413268.jpg

箕面有馬電気軌道が沿線の池田や箕面、豊中等で宅地開発を行っていた同時期、長閑な農村地帯だったこの地を高級住宅街として開発したのは、灘・住吉村や芦屋の宅地開発を手掛けた阿部元太郎でした。階段状に緑豊かな邸宅が並ぶ街路には電線や下水道が地中埋設され、街灯が灯された道に乗合自動車(バス)が運行される、当時最も先進的な郊外住宅地として造成されていきました。
f0116479_1442069.jpg

設計者の古塚正治は阪神間に多種多様な作品を残していますが、この建物の設計には当時流行のセセッションスタイルを用いています。
f0116479_14452052.jpg

f0116479_14465646.jpg

f0116479_14455310.jpg

f0116479_14434921.jpg

f0116479_14475731.jpg

f0116479_14443177.jpg

f0116479_14472049.jpg

f0116479_14462098.jpg

f0116479_14581153.jpg

よく手入れされた生垣で仕切られた敷地北側。どの邸宅も豊かな植栽で飾られています。
f0116479_15132250.jpg

f0116479_1513573.jpg

f0116479_15143333.jpg

大阪平野を一望する素晴らしい眺め。雲雀丘の各戸には眺望と景観の保全に関する細かな規則が定められていました。この建物を含めて古い建物の屋根が赤く塗られているのも当時の取決めに由来しています。
f0116479_14502193.jpg

f0116479_14503388.jpg

前庭に出て建物正面を眺めます。
この地区の洋館は何処も非公開で普段は敷地内に立ち入る事が出来ませんが、この旧徳田邸(現在は元宝塚市長正司氏の邸宅)は春に実施されるオープンガーデンフェスタの期間に公開されます。
f0116479_14525575.jpg

f0116479_14531579.jpg

f0116479_14533566.jpg

f0116479_14535880.jpg

f0116479_14572916.jpg

f0116479_14553758.jpg

f0116479_14563939.jpg

東京に比べて都心部が狭い大阪では早くから郊外住宅地の開発が進められ、船場地区の富裕層も阪神間や北摂地区に居を移す事となります。この様な中で関西屈指の高級住宅地として開発された雲雀丘の手法は、雛型としてその後各地で同種の宅地開発に採り入れられていく事となります。
f0116479_15183142.jpg


by sunshine-works | 2010-07-03 16:58 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)