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2010年 02月 28日
児島湾の干拓施設群その2
岡山県岡山市の近代建築その24

児島湾干拓地に残る干拓施設群の探訪2回目の今回は、湾の南側、明治期に起工した1区と2区の遺構を紹介します。
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2区の西側、湾の奥にあたるこの地区には大曲第1~第3樋門の3つの樋門が残されています。
いずれも、明治期の樋門に共通する、西洋式の煉瓦アーチと伝統的な和風の石積の折衷様式による樋門となっています。まずはこちら、大曲第1樋門。
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大曲第2樋門。
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大曲第3樋門。
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倉敷川対岸の1区川崎樋門。ポンプ小屋を備えた大きな施設です。
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珍しい煉瓦の2連式樋門です。
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明治32年、最初に着工された1区。3つの樋門が保存施設として残されています。
その一つ、片崎樋門。
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石柱の頂部に笠石と呼ばれる和風様式の方形の石が載せられています。
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常川樋門。

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宮川樋門。
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干拓地と湾を仕切った干拓堤防。陸地となった現在も畑の中に取り残されたまま残っています。
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かつて海と接していた名残りの貝殻がこびり付いています。
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四百年以上に亘って繰り返されてきた児島湾干拓は、藤田組の事業を引き継いだ農林省による7区の完成をもって終了します。
現存するこれらの干拓施設群は、長年の夢を実現させた近代土木技術の足跡を印す貴重な文化遺産として需要な意味を持っています。
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by sunshine-works | 2010-02-28 23:43 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2010年 02月 24日
児島湾の干拓施設群その1
岡山県岡山市の近代建築その23

広大な農地が広がる岡山市南部から玉野市に至る一帯は、かつて瀬戸の穴海と呼ばれていた浅瀬を干拓して造成されました。中世から繰り返し行われた児島湾干拓事業は、明治以降に西洋の技術を導入し、昭和中期に完成を遂げます。現在、この地域には現役・退役を含めて明治~昭和の各期に築かれた多くの干拓施設が残されています。これらの干拓施設を今回と次回に分けて紹介していきます。
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江戸後期から中断していた児島湾の干拓事業を再び手掛けたのは国や県ではなく、民間の藤田財閥でした。7つに分けられた最初の区画である1区が起工した明治32年から、全区の干拓が終了する昭和38年まで、半世紀以上に及ぶ大事業となりました。
*事業の詳細はこちらが参考になります。

岡山南空港に近い3区・5区の樋門。(樋門とは、干拓地の排水と用水路からの取水を行う水門の意味です。)
昭和10年頃に築かれたこの地区の樋門は、曲線を用いた表現主義を特徴としています。
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笹ヶ瀬川を越えた西側に六区、さらにその西に2区が続きます。
この一帯には藤田組が経営する藤田農場が開かれ、児島湾開拓地の中心となっていました。

古川樋門。明治後期の築です。この時代の樋門は煉瓦を用いた洋風意匠に特徴があります。
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妹尾川三連樋門。道路橋を兼ねています。
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六区の第四号樋門。昭和17年築のこの樋門も3区の樋門と同様、表現主義の意匠です。
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傍らに建つこの建物はポンプ施設と思われます。
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公園内に移築保存されている桜馬場樋門。通常は隠れている地中部分の構造を見る事が出来ます。
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倉敷川に接する宮島水門。明治37年築。
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丙川三連樋門。これも明治37年の築です。
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上流側から
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干拓地の北半分のエリアの主要な樋門を紹介しました。
広大な干拓地全域には小さなものを含めて無数の樋門が設けられており、縦横に張り巡らされた水路と共に、干拓地ならではの景観を織りなしています。
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*次回は南側エリアの樋門を巡ります。

by sunshine-works | 2010-02-24 23:46 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2010年 02月 20日
旧浅越商店社屋
岡山県岡山市の近代建築その22

岡山市の中心部から南へ2駅、妹尾の駅前に洋風意匠の古い事務所ビルが建っています。畳表製造業の浅越商店の本社屋として昭和2年に建てられました。
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かつて藺草の生産高で日本一を占めていた岡山では、藺草を材料とする茣蓙や畳表の製造が重要な産業でした。岡山市から倉敷市にかけての一帯に大小様々なメーカーが競う中、この浅越商店は藺草製品の製造・販売から茣蓙織機の開発まで手掛ける、業界最大手の会社でした。
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鉄筋コンクリート風の建物ですが、木造モルタルの2階建てです。裏側を除く三面をピラスターやコリント式柱頭、レリーフで飾り、本格的なビルに引けを取らない風格を備えています。
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玄関ポーチや腰周りには石を貼っています。
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現在、この建物は浅越商店の織機部門から発展した浅越機械製作所の社屋となっていますが、長らく使われていないようです。裏手に回ると各部に老朽箇所が散見されます。
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この時代の事務所ビルの典型として、良好に姿を留めているこの建物ですが、半ば放置されてしまっているのが気がかりです。地域の発展を支えた地場産業の遺構として保存活用が望まれます。
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by sunshine-works | 2010-02-20 00:43 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2010年 02月 16日
ノートルダム清心女子大学 本館・東館(旧清心高等女学校校舎)
岡山県岡山市の近代建築その21

岡山駅の北側、静かな住宅街の中にノートルダム清心女子大学のキャンパスが広がります。この大学には前身の清心高等女学校時代に建てられた2棟の鉄筋コンクリート校舎が現存しています。設計:アントニン・レーモンド
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大正末期にライトの下から独立したレーモンドは、個人住宅から商業ビル、公共建物、宗教施設等々、多様なジャンルの作品を手掛けましたが、学校建築に於いても日本の建築史に残る優れた校舎を数多く設計しました。星商業学校を手始めに、東京の聖心女学院、小林聖心女学院、代表作の東京女子大学等の校舎を次々に生み出していきます。この旧清心高等女学校校舎もこれら一連の学校建築の一つとして昭和4年に竣工します。
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岡山最初の私立女学校として明治19年に設立された岡山女学校は、その後清心高等女学校と改称、大正13年にノートルダム修道会に経営が引き継がれます。昭和4年に現在地に移転、新校舎として建てられたのがこれらの建物です。
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レーモンドが得意とする、平面と直線で構成されるディ・スティル様式のモダニズム建築です。
聖心女学院や小林聖心女学院と同様、中庭を囲む口の字型に校舎が配置されています。
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こちらが東館。建物内に礼拝堂が組み込まれているのはレーモンド設計の校舎に共通する特徴です。
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礼拝堂の正面にはステンドグラスの窓が整然と並びます。
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礼拝堂内部です。
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館内を奥へ進みます。
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本館の内部。
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廊下と教室の間の壁には奇妙な丸窓が開けられています。
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階下へ進みます。
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四角く仕切られた枠にガラス窓がびっしりと並ぶこの意匠はレーモンドの他の建築にも良く使われています。
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同じ窓を外側から
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本館の玄関から外へ
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この建物が建てられた昭和初期、時代の先端を行くモダニズム建築は東京や阪神間などの先進地域で広まりかけていましたが、地方に本格的な波が及ぶのは戦後の事となります。地方都市岡山にあって、この時代の最先端の建築様式で建てられたこの校舎は、極めて物珍しいものだったと思います。
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by sunshine-works | 2010-02-16 23:43 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2010年 02月 12日
小林聖心女子学院
宝塚の近代建築その1

宝塚市の西部、阪急小林(おばやし)駅から坂を登って程なく進むと小林聖心女子学院のキャンパスに行き着きます。この小林聖心女子学院では昭和2年に建てられた鉄筋コンクリートのモダンな校舎が現在も使われています。設計:アントニン・レーモンド
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カトリック聖心会の教育機関として大正12年に現在の神戸市東灘区で設立された住吉聖心女子学院がこの学院の起源となります。大正15年に現在地へ移転し校名を改称、昭和2年にアントニン・レーモンド設計の本館が竣工します。因みに、同じ聖心会の学校である東京の聖心女子学院(現在の聖心女子大)もアントニン・レーモンドが手掛けています(大正15年築)。
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帝国ホテルの設計の為にF.L.ライトの助手として来日し、その後も日本を拠点に活躍したレーモンドがライトの下を離れ独立間もない頃の作品です。水平・垂直に伸びやかに連なる柱や梁、平面の組み合わせで構成されるモダニズム建築ですが、所々に局面を用いて変化を付けています。
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最近の学校建築と見紛う程のモダニズムに徹した建物です。今日の感覚では一般的な学校建築に見えますが、昭和初期の段階でここまで従来の概念を排した校舎は大阪や神戸にも無かったと思います。
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この部分のコーナーには局面が用いられています。瓦屋根が葺かれている下の張出部分は後年の増設なのでしょうか。
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校庭側の窓の一部は弧を描く庇が掛けられています。
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ここもコーナーにアールが付けられています。
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普段は立入出来ませんが、学園祭のこの日は館内を自由に見学する事が出来ました。
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建具や手摺、窓枠等、殆どが当時のままです。
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再度外に出て外周の景色です。
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戦前・戦後の両時期に、関東・東日本を中心に活躍し、日本のモダニズム建築の先駆者だったレーモンドの数少ない関西での作品です。
大正から昭和初期にかけては、阪神間にモダニズム文化が花開いた頃でした。この校舎は当時の阪神間の先進性を象徴するような建物だったと思います。
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by sunshine-works | 2010-02-12 21:54 | 近代建築 | Trackback | Comments(1)
2010年 02月 08日
三田学園記念図書館
三田の近代建築その4

三田学園には前回紹介した中学本館・同東館の他に同校図書館が戦前の建物として現存しています。この図書館は三田中学設立25周年記念として昭和12年に建てられました。
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書庫となっている鉄筋コンクリートの3層部分と木造モルタルの平屋が繋がって一つの建物となっています。スパニッシュ瓦の使用に見られるように、全体的な意匠はスパニッシュ様式が取り入れられています。
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校門から続く坂道を上り終え、敷地の中心部に差し掛かる辺りに建てられています。
遠くから良く目立つ、赤茶色の瓦を載せた3階建ての個性的な建物です。
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全体的にはスパニッシュ様式なのですが、玄関周りの意匠は和風の設えとなっています。竣工当時は閲覧室の東側の部屋を縁側を備えた和室としており、平屋部分は和洋折衷様式に作られています。
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閲覧室上部には特徴的な形をした屋根窓が並びます。
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玄関扉のガラスに付けられた飾り。
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閲覧室内部。天井は重厚な格天井です。
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飾り窓を内側から。
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建物裏側です。
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旧制中学校の校舎は全国各地に現存していますが、図書館が残っている例は極めて少数です。
旧制中学校にして、このような立派な図書館を備えていた三田学園の教育環境は、名門私学ならではの素晴らしい物だったと思われます。
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旧学生寮?

全寮制だった三田中学には、敷地内の数か所に学生寮が建てられていました。
この建物はおそらく当時の寮だった物と思われます。(詳細は不明です)
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by sunshine-works | 2010-02-08 21:03 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2010年 02月 04日
三田学園中学校舎
三田の近代建築その3

神戸電鉄横山駅から緩やかな坂を上っていくと、私立三田学園の校地が見えてきます。この学園には明治時代に建てられた木造校舎が現役施設として使われています。
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広大な敷地に多くの校舎や付属施設が建てられている中で、創設時の建物である中学本館と、特別教室棟として大正期に増設された東館が並んでいます。
明治45年に建てられた中学本館(手前)と奥に見える東館。築年に15年程の隔たりがありますが、ほぼ同様なデザインで統一されています。
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どちらの建物も木造2階建て、下見板張、各面に設けた三角破風や屋根窓を特徴としています。
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三田藩の藩士で、幕末から明治にかけての神戸で実業家として活躍した小寺泰次郎の構想に基づき、息子の謙吉によって設立されたのが私立三田中学です。兵庫県内には阪神間を中心にその後多くの私立中学校(旧制)が開設されますが、明治に始まる私立中学校は、当時大阪や京都でも数校が挙げられる程度でした。イギリスのパブリックスクールに範を採った独創的な校風も相まって、各地から優れた学生達が集う名門私学として高い名声を得ていました。

本館側面の入口です。ポーチが設けられ、三角の破風で飾られています。
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本館の南面です。
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道路を挟んで東側に建つ東館。本館とよく似た造りです。
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東館越しに見る本館。
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東館の北側。建物両翼が伸びてコの字型となっています。
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建物内部。どちらの建物も、ほとんど昔のままの状態が保たれています。
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各地に現存する明治期に建てられた木造校舎の多くは、校舎としての役割を終えて記念館や他の用途として使用されているのですが、この旧三田中学校舎は今もなお現役で使い続けられている数少ない事例です。
木造校舎として第一級とも言えるこの建物は、名門校の伝統と風格を象徴するに相応しい存在感を示しています。
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by sunshine-works | 2010-02-04 21:34 | 近代建築 | Trackback | Comments(4)