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2009年 05月 31日
ダイセル化学工業網干工場
姫路の近代建築その13

現在は工業用化成品を製造しているダイセル化学工業網干工場ですが、その始まりは日本セルロイド人造絹糸として設立された、日本のセルロイド製造の草分けとなる工場でした。今回は明治42年に操業開始したこの工場敷地内に残る工場開設当時の建物を紹介します。設計:設楽貞雄
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今日一般的にプラスチックと総称される合成樹脂は石油由来の製品が大多数を占めていますが、大正から昭和の半ば頃まではその役割の殆どをセルロイドが担っていました。
原料である樟脳の主生産地台湾を領土としていた日本はその優位性のもとにセルロイド製造業が発達し、最盛期には世界シェアの40%を占める大生産国となります。
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揖保川の河口の広大な敷地に建てられたこの工場内には創建当時の物と思われる工場建物、倉庫、汽罐室や事務館が多数確認できます。これらの殆どは耐火性を考慮して煉瓦で造られています。セルロイドはその製造過程のみならず製品自体も発火し易い特性がある為に厳重に防火対策が取られていましたが、それでも火事や爆発事故が多発したようです。
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此等の古い建物の幾つかは閉鎖されています。窓は破れ、鉄部も腐食し今にも朽ちてしまいそうです。
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この工場を設計した設楽貞雄は独立して神戸に設計事務所を興し、関西中心に数々の作品を残しました。代表作の初代通天閣や神戸新開地の劇場「聚楽館」、多くの個人住宅、商業施設、事務所ビル、工場施設に至るまで非常に幅広いジャンルの建築設計を手掛けています。
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敷地の外縁部、煉瓦の高い煙突を持つ大きな建物が一際目に付きます。汽罐室(ボイラー室)、あるいは発電施設と思われます。同じく設楽貞雄が設計した日本毛織加古川工場にも良く似た建物が残っています。
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大正8年、国内のセルロイド製造8社が合併し大日本セルロイド株式会社が発足します。日本セルロイド人造絹糸網干工場は新会社の大日本セルロイドの主力工場として、戦前戦後を通じて日本を代表する輸出品であったセルロイド加工品の根幹を支えて行きました。
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かつて、様々な生活の場面に使われていたセルロイドはその後開発された様々な新素材に取って変わられ、今日使われているセルロイド製品は極僅かな物となってしまいました。隆盛を極めた各地のセルロイド工場もその後はプラスチックや他の化製品の製造ラインに転換されたり、廃止されて行きました。
この網干工場に残る創設時の建物の数々は、今日の化学工業の基礎を築いたセルロイド製造業の貴重な産業遺産となっています。
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by sunshine-works | 2009-05-31 15:16 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 05月 27日
ダイセル異人館(旧日本セルロイド人造絹糸 技師住宅)2
姫路の近代建築その12

ダイセル化学網干工場敷地には前回紹介した建物の他に、もう1棟の旧外国人技師住宅が現存しています。
現在は衣掛クラブの名称で社員施設として使われているこの建物も工場設立時に建てられたものです。
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前回の建物と同様、深い軒を持つコロニアル風の洋館です。鮮やかなピンクで塗られている為に異なった印象に感じますが、基本的には共通したデザインの建物です。
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この建物も南面にピロティが設けられています。
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広々とした芝生の庭からの眺め。日本とは思えない景色です。
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こちらは裏側の景色
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前回と今回にダイセル異人館として現存する2棟の洋館を紹介しましたが、この2棟に隣接して同じようなコロニアルスタイルの建物が1棟建っています。こちらについては案内板もなく詳細は不明です。同時期に建てられた住居あるいは事務館だったのでしょうか。
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平屋建てで、屋根が和瓦で葺かれているのが他の2棟と異なりますが、南側に大きな庇を伸ばしたコロニアルスタイルは共通しています。
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裏側には別棟が繋がっています。
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明治後期に開かれたこの工場により、それまで小さな漁港だった網干は工業都市として発展していきます。のどかな海辺に現れた最新式の工場建物や洋館群は網干の景色を一変させ、周辺の海岸部にはその後多くの企業が進出する事となります。次回は網干を大きく変えるきっかけとなったこの日本セルロイド人造絹糸の工場建物本体について紹介します。
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by sunshine-works | 2009-05-27 23:46 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 05月 23日
ダイセル異人館(旧日本セルロイド人造絹糸 技師住宅)1
姫路の近代建築その11

揖保川の豊富な工業用水が得られる網干の臨海部は、明治以降工業地帯として開発されて行きました。中でも明治42年に操業を開始した日本セルロイド人造絹糸は網干地区最大の工場として地元の経済発展に大きく寄与しました。現在のダイセル化学工業網干工場(日本セルロイド人造絹糸の後身)の広大な敷地の一角には工場創設時に建てられた2棟の洋館が残されています。今回と次回の2回に亘りこの美しい建物を紹介していきます。
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明治期に創業した他の近代産業と同様、日本セルロイドは工場開設に際してヨーロッパから数人の技師を招いて技術指導にあたらせました。これら技師達の宿舎として建てられたのがこの建物です。当時数棟が建てられたと思われますが、その内の2棟が現存しています。今回は現在同社の資料館として使われているこちらの建物を紹介します。
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説明板に拠れば「・・・19世紀のイギリスのコテージに類似している建物で、コロニアルスタイルと共通点がある・・・」との事です。軒を深く取り通風に配慮した亜熱帯地域に多く見られるベランダコロニアル風の建物です。同社の工場も手掛けた設楽貞雄が設計しています。
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神戸北野の異人館も同様なコロニアルスタイルの建物が多いのですが、この建物は南側に長く伸びた庇に特徴があります。神戸の異人館の多くがピロティをガラス窓で囲っているのと異なり、本来の開放式のままなのでトロピカルな雰囲気があります。
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下見板と羽目板貼の組み合わせの外壁、スレート葺きの折屋根、窓の上と切妻のペディメント部分にそれぞれ装飾を施すなど各部も凝った意匠です。
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建物裏側です。北面の2階に小さなベランダがあります。
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緑豊かで広々とした敷地に建つこの洋館は、町中で目にする洋館とはまた違った趣があります。当時は周辺に数棟が並び、異国情緒豊かな景色が広がっていました。
遥か遠い東洋の地方都市で暮らす外国人技師達にとって、故国と変わらぬ住環境を得る事は、なによりも大事な事だったと思います。
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by sunshine-works | 2009-05-23 18:58 | 近代建築 | Trackback | Comments(1)
2009年 05月 19日
旧網干銀行本店
姫路の近代建築その10

姫路市の南西、揖保川の河口に位置する網干は、漁港として、また内陸部と結ぶ水運の要衝として栄えた町でした。明治以降は臨海部に進出した多くの工場によって工業都市としての色合いを強め、豊かな経済基盤に支えられて発展していきます。今でも古い町並みが残るこの網干の中心部に、大正期に建てられた地場銀行の建物が残っています。現在洋品店として使われているこの建物は大正10年頃の築と言われています。
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山陽電鉄網干駅から南方向、木造家屋が連なる路地にアーケード式の古びた商店街が南北に伸びます。現在は人通りも疎らで寂れてしまった一角ですが、家々の屋根越しに一際目立つ建物が現れてきます。特徴的な丸屋根を持つこの建物は網干銀行の本店として建てられました。
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地方銀行の建物としてはかなりユニークな建物です。当時流行したセセッションの影響を受けたモダンなデザインですが、コーナー部分の円錐屋根は東洋的あるいは中東風でもあります。
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大正時代の建物ですが非常に良く手入れされています。店舗入口がシャッターに改装されている以外、残せる部分は極力オリジナル通りに保たれているようです。個人所有の建物として維持管理するには相当な負担と思われますが、大切に扱われているのが感じ取れます。
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明治以降、各地に乱立していた小規模な地方銀行は段階的に統合されていきます。この網干銀行も昭和初期に姫路を拠点とする三十四銀行に吸収されます。その後もこの建物は行名を数回変えながらも、銀行店舗として昭和40年代まで使用されました。その後は現在の洋品店が入居していますが、この洋品店の歴史も建物の年齢の半分近い40年を越える長い歳月を経ている事になります。
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この建物は狭い商店街に立地し、更にアーケードが前面を塞いでいる関係で全貌を捉えた写真が撮れないのですが、路地から部分的に覗き見えるエキゾチックな姿は、周囲の趣のある建物と一体となった、むしろ味わい深い景色になっています。
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これだけの規模の建物がこの地方都市の小さな商店街に建てられた事は、現在ではなかなか想像し難いのですが、当時は相当栄えた町だったようです。姫路の中心部が発展し、交通アクセスが整備されるに伴って周辺部の小さな町は徐々に寂れていったものと思われます。懐かしさの漂う町並みに残る、この旧網干銀行本店は賑わいでいた往時の雰囲気を今に伝えています。
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by sunshine-works | 2009-05-19 21:02 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 05月 15日
京見会館
姫路の近代建築その9

加古川、高砂から続く播磨工業地帯は姫路の臨海部にも及び、明治以降多くの近代産業の工場が築かれていきました。中でも昭和15年に操業を開始した日本製鉄広畑製鉄所は、姫路で最大規模の大工場となりました。今回は同製鉄所の施設として建てられた建物を紹介します。
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姫路の西部、幾つかの低山が連なる山地の麓に建つこの建物は広畑製鉄所の迎賓施設として昭和16年に建てられました。設計:遠藤新
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豊かな緑を背景に、水平方向になだらかに建物が伸びます。自然と建築が一体となって景観を織り成す、ライトの哲学を受け継いだ遠藤らしい作風です。
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設計者の遠藤新は帝国ホテルの設計スタッフとしてライトを補佐し、その後の旧山邑邸甲子園ホテルでは日本に於けるライトの後継者として腕を振るいます。この建物もどことなく旧山邑邸や甲子園ホテルを彷彿させるゆったりとしたシルエットになっています。
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窓枠や柱は濃い赤茶色で塗られています。独特のこの色合いは遠藤が手がけた多くの住宅にも見られる特徴となっています。
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この建物は北側に庭が設けられ、南は裏面になっています。塀に接する南面の景色です。
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西側の玄関周り。水平にまっすぐ伸びるポーチはいかにもライト風です。
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ガラス越しに玄関内部を覗います。
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この建物が建てられた昭和16年は、まさに戦時体制へ移行する時期にあたります。大規模な建造物の新築が規制されていた当時、軍事施設や生産設備でもない、いわば贅沢品の迎賓施設がこれだけの規模で建てられたのは極めて異例と思われます。国策企業であった日本製鉄(新日本製鉄の前身)でなければ実現不可能だったかも知れません。さすがに優先資材である鉄やコンクリートは使わずに木造としましたが、館内の装飾や調度品には贅を凝らし、一流の絵画や美術品も多く飾られています。
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かつて、大企業の事業所や工場は自前の迎賓施設を設ける例が多く見られました。都市部から離れた工場周辺にはホテルも少なく、交通アクセスが未整備だった事もあって、内外の賓客や会社幹部の接待、宿泊の場としてこのような建物が会社の威信を掛けて建てられた物と思われます。
合理化や経費削減が主要な経営課題となってしまった今日の感覚からすると、贅沢極まりない施設なのかも知れませんが、これらは日本の産業が活気に満ちていた時代を象徴する建物でもあります。
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by sunshine-works | 2009-05-15 21:07 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2009年 05月 11日
旧制姫路高校本館
姫路の近代建築その8

前回に引き続いて兵庫県立大学姫路キャンパスに残る旧制姫路高校の建物を紹介します。旧講堂に隣接するこの建物は同校の創建時に本館として建てられたものです。大正13年築。
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木造2階建て、下見板貼、ペイント仕上げ。講堂とよく似たデザインです。同時代の他の旧制高校や官立専門学校の木造校舎に共通する文部省の標準的な仕様に基づいた設計ですが、中央にトンネル状の通路を設けてあるのがこの校舎の特徴です。
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元々はこの校舎の両横に棟が南北方向に繫がるコの字形の建物でした。中央のトンネルは各棟によって囲まれた中庭に正面側から抜ける通路となっていました。
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幾何学表現の装飾は中央部分に集約されています。この中央入口を挟んで左右対称に建物が配置され、さらに正面側と裏側もほぼ同じデザインで仕上げられています。
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中央の通路内部。当然ながら校舎への入口も設けられています。
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講堂と同様ほとんどオリジナルに近い状態が保たれた各部は状態も良好です。
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現在残されているのは中央部分だけですが、同じ規模で左右の棟が繫がる、木造校舎としてはかなり大きな建物でした。敷地内に多くの別棟も建てられ、更に周辺には付属施設や寮が並ぶ、大学に比肩する大規模な教育機関でした。旧制高校は実質的には大学の予科として位置付けられていましたので、今日の大学の教養課程相当と見做せば、相応の規模といえます。
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姫路城を望む一角に開学した旧制姫路高校の歴史は、実質25年足らずでした。戦前の教育制度の象徴とも言える旧制高校は時代の変革の中でその役割を終えますが、豊かな地方文化が支えた教育風土はその後も文教都市としてその伝統を今に受け継いでいます。
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by sunshine-works | 2009-05-11 20:52 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 05月 07日
旧制姫路高校講堂
姫路の近代建築その7

播磨の経済・商業の中心として発展した姫路は、文化に於いても地域の中核として重要な役割を果たしていました。中でも、城下町の時代から醸成されていた学術・教育の土壌は明治になっても失われる事無く、全国に40数校が設置された旧制高等学校も県都である神戸市では無く、この姫路に置かれました。(その後神戸には私立旧制高校として甲南高校が設置されます)
姫路の近代建築その7は現在の兵庫県立大学キャンパスに残る、旧制姫路高校の建物を紹介します。
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姫路城の西方、兵庫県立大学姫路キャンパスは旧制姫路高校から神戸大学を経て兵庫県立大学に引き継がれました。この敷地内には旧姫路高校時代の建物が2棟現存しています。今回は講堂として大正15年に建てられ建物を紹介します。
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正門から程なく、敷地の南東に建つ木造2階建ての講堂です。外壁は下見板貼、玄関周りに石を廻らせ角柱を配したこの時代の木造学校建築のスタイルです。
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何といっても素晴らしいのは、この建物が創建時と殆ど変わらない姿が保たれている事です。この種の建物の改修で損なわれてしまいがちな木製の上げ下げ窓もそのまま残されています。
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この木製の扉も当時のままかもしれません。
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入口の手前には高下駄にマント・学帽姿の当時の学生像が建てられています。因みに姫路高校の学帽は2本の白線が巻かれていました。
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昭和25年、旧制姫路高校は学制改革によって廃止され、神戸大学の姫路分校に改編されます。
同様に他の旧制高校も大学に改編され、校舎や施設は引き継がれて行きますが、その多くは時代を経る中で取り壊されてしまいます。
現存する旧制高校の施設の中で、数少ない木造講堂として大変貴重なこの建物は、その保存状態の良さも相まって国の有形登録文化財に指定されています。
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戦前の高等教育機関の根幹を支えた旧制高校はその後大学に改編されますが、バンカラで知られる気風は次第に薄らいで行きます。
今日ではその名称も学生の井手達もすっかり変わってしまいましたが、現存するこれらの校舎によって独自の文化を築いた旧制高校の歴史を偲ぶことができます。
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by sunshine-works | 2009-05-07 20:18 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)