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2009年 04月 27日
旧陸軍第10師団長官舎
姫路の近代建築その6

姫路に残る旧軍関連建物のもう一つが今回紹介する第10師団司令官舎です。旧師団司令部の隣に建てられたこの建物は現在カトリック淳心会の施設として使用されています。昭和4年築。
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第10師団の歴代司令官(通常は中将)の官舎として終戦まで使用されました。軍隊の官舎と聞けば無骨で重厚な建物を想像しますが、大きな屋根が特徴の非常にモダンな建物です。
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近郊住宅風でもあり、カントリーハウス的にも見えます。当時の先進高級住宅と言った趣の建物ですが、大きな庇を持つ正面側には公館らしさも窺えます。
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側面から東側の庭へ回ってみます。大きな屋根は別の角度から見るとまた違った印象を受けます。
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大きな屋根裏の一部は部屋として使われています。とは言え小さな窓しかないので納戸か倉庫なのでしょうか。
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全周を取り巻く基礎の石貼部分。
緩やかにテーパーを描くラインや石の貼目の模様は姫路城の石垣を思わせます。
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この屋根の折れ方も城郭を意識した物に思えてきます。
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終戦により旧第10師団の施設はその役目を終えますが、この建物は進駐軍の宿舎として接収された後、教会施設として利用される事となります。
旧軍施設が民間利用される事例は多々ありますが、このような転用例は極めて珍しいケースかもしれません。
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by sunshine-works | 2009-04-27 03:35 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 23日
旧陸軍第10師団兵器庫
姫路の近代建築その5

今日、播磨の拠点都市として、さらには国際観光都市として賑わう姫路ですが、かつては陸軍第10師団が置かれた軍都でもありました。
都市部にあって広大な敷地が確保できる城郭は、明治以降多くの都市で師団本部の設置場所として利用されますが、姫路も明治29年に内曲輪に第10師団が置かれます。師団本部の他、市内各所に隷下の各連隊の建物、錬兵場、陸軍病院、その他関連施設が建てられ、道路やインフラも軍中心に整備されて行きます。
敗戦により師団は消滅し、軍関係施設の殆どは残っていませんが、今回と次回は現存する旧軍関係の建物を紹介します。
現在姫路市立美術館として使われているこの建物は旧第10師団の兵器庫、被服倉庫として建てられました。明治38年築、大正2年増築。設計:陸軍省。
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師団司令部を始め、軍関係施設の多くは昭和20年の姫路大空襲で焼失してしまいました。姫路の中心街を焼き尽くした空襲ですが、姫路城は被害を免れ、城に隣接するこの建物も無傷で残ります。終戦直後から約30年間を市役所として使われ、その後美術館に改装されて今に至ります。
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各地に残る旧軍のレンガ倉庫と共通するデザインです。そもそもレンガ倉庫自体がどれも似通っているので、規模と階数が同じならば同様な印象となります。改装された際に窓に格子が嵌められていますが、おそらくは各窓に鉄の扉が付く、いかにも倉庫然とした建物だったと思われます。
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築後100年を経過している建物ですが、壁面は補修され、美しく保たれています。年輪を感じさせる古びた煉瓦の風合いが残されていないのは残念ですが、美術館としてはそうも行かないのでしょう。
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西側に建つ棟が最初に建てられ、後年に北側の建物が増築されています。こちらが後年に増築された棟です。
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城をバックに庭園と煉瓦の建物が織り成す風景は、巣晴らしい眺めです。
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軍によって支えられた戦前の姫路ですが、戦後、広大な軍隊跡地はその後の都市計画に組み込まれ再開発されて行きます。何よりも姫路城が軍の管理下から離れた事は観光都市姫路にとって最大のメリットとなりました。
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by sunshine-works | 2009-04-23 00:15 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 19日
旧第三十四銀行姫路支店
姫路の近代建築その4

城下町を基に発展した姫路の中心市街は、姫路駅から姫路城の間の約1キロ四方の範囲に及びます。碁盤目状の町並みに幾つもの商店街が連なり、地方都市としては規模の大きな商業集積地となっています。
戦前から栄えたこの中心街ですが、空襲によって古い建物の多くは失われ、戦禍を免れた建物もその後の再開発によって殆どが建て替えられてしまいました。姫路の近代建築その4は、姫路の中心部に現存する数少ない戦前築の建物を紹介します。
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現在は医院として使われているこの建物はその後に山口銀行、鴻池銀行と合併して三和銀行となる第三十四銀行の姫路支店として建てられました。大正6年築。
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中心街の北西、商店街から少し離れた静かな一角に建っています。元銀行の建物なのですが、その後医院に改装された為か、一見しただけでは銀行には見えません。
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レンガ構造の建物ですが、正面はモルタルで仕上げています。小さな玄関を中心としたシンメトリーデザインに縦長窓が並びます。規模も小さく、銀行としては控えめな印象です。
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この建物については資料が乏しく、いつから医院として使われているのか不明ですが、掲げられている看板の書体から判断すると比較的古い時期に医院に変わっている様に思えます。
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側面には建築当初の名残りが窺えます。赤レンガ壁に白のラインでアクセントを付け、頂部にメダリオンを飾っています。地味な正面側に比べると側面は華やかな印象を受けます。
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買物客や観光客で賑わうアーケード街を一歩外れると、市街地でもこのあたりは人通りも疎らで、銀行店舗が置かれていた当時とは周囲の様相はだいぶ変わってしまったようです。
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旧銀行店舗を医院に転用した数少ない事例です。これ位の規模であれば個人医院として扱いやすい建物だったのかも知れません。
銀行店舗から医院に転じたこの建物ですが、医院としてもそろそろ限界を迎えている様に思えます。この界隈の変遷を刻む小さな建物はやがて静かにその役割を終え、記憶の中に残って行く事となるのでしょうか。
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by sunshine-works | 2009-04-19 22:50 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 15日
NTT西日本兵庫支店姫路2号館(旧姫路電報電話局)
姫路の近代建築その3

姫路城の東南、大手前公園近くの通りに面してスクラッチタイル貼の建物が建っています。現在はNTTの庁舎として使用されているこの建物は旧逓信省時代の昭和5年に姫路電報電話局として建てられました。設計:上浪朗(逓信省営繕課)
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この時代の庁舎らしいガッシリとした構えの建物です。装飾意匠を極力抑え、直線的な縦横のラインの組合わせで建物全体の美しさを表現しています。
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戦前の庁舎建築は、現在と違って各省庁自前の施工部門(営繕課)により設計を行っていました。このため、各地に建てられた庁舎や行政機関は各省庁の営繕課独特のカラーを持つデザインになっていました。取り分け、逓信省(郵政省の前身)の営繕課は他の省庁に比べて先取の気鋭が強く、常に時代の先端を行く設計デザインを取り入れていました。著名な設計者として知られる吉田鉄郎や山田守を中心に、表現主義からインターナショナルスタイル(いわゆるモダニズム)へ至る当時の建築様式の流れに沿ったデザインの庁舎を生み出していきます。上浪朗は吉田や山田の次の世代の設計者として多くの逓信省建築を手がけ、関わった建物は逓信省営繕課で最も多い数となりました。以前当ブログで紹介した芦屋電話局も上浪朗の作として知られています。
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茶褐色の色合いや飾り気の無いシンプルなデザイン故に地味な印象を受けます。この前年に竣工した芦屋電話局ではアーチ窓や装飾タイルを使って華やかさを演出していましたが、この建物はそれらを排して非常にクールなイメージに仕上げています。東京・大阪の中央郵便局へと繫がる逓信省のモダニズム志向が強まっていく途上のデザインとも見て取れます。
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玄関と思われる部分ですが、建物に比べると狭い間口です。それとも他に入口があったのでしょうか。建物全体の中で、唯一この部分にのみ装飾的な表現が施されています。
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この窓台は旧芦屋電話局の物とデザインがそっくりです。
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建物は道路に面して横長に広がって見えますが、北側にも建物が伸びてL字型の構造となっています。
この部分が北側に繫がる部分です。
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各地に建てられた逓信省営繕課による局舎の大部分は失われ、現存する建物は数えるほどになってしまいました。幾つかの建物は他の用途に転じて保存活用の途を得ましたが、現役で使われている局舎については今後どうなっていくのか、何とも見通しが立たない状況です。
現在、東京・大阪の中央郵便局の保存を廻って活発に討議されていますが、各地に残る他の逓信省建築もこれに劣らない優れた文化的歴史的な価値を持つ重要な遺産として保護されるべき物と思います。
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by sunshine-works | 2009-04-15 19:48 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 11日
勝原薬局
姫路の近代建築その2

姫路城の北東、町屋造りの家屋が並ぶ野里周辺は「同心町」「鍛冶町」と言った城下町ならではの町名が残る、古い歴史を持つ地区です。職人町から発達したこの一帯は商業地や繁華街として栄えましたが、その後商業の中心が駅周辺に移ると賑わいも薄れ、現在は戦災を免れた風情ある町並みがひっそりと残されています。
この地区の南側に位置する竹田町に1件の古い店舗建物が建っています。この建物は当地で古くから続く薬局の店舗として昭和2年に建てられました。
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狭い道路に面して建つ3階建ての主屋とこれに繋がる2階建ての建物が一体になっています。この時代の商業ビルとして3階建ては然程高い建物ではありませんが、周囲に並ぶ和風の家並みの中では、一際大きく目立つ建物です。
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この時代に流行ったゼセッション風のデザインが取り入れられています。強調された垂直ライン、3階頂部を飾る円弧状のペディメント、整然と並ぶアーチ窓、建物南端に添えられた小さな塔等、装飾性豊かな建物です。
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前面道路が狭いので全体が上手く写せません。どうしてもこの様なアングルになってしまいます。
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玄関は意外とあっさりしています。
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江戸時代から続く古い町並みに突然現れた近代的な商業建物ですが、現在は違和感なく景色に溶け込んでいます。累々と続く町の歴史の中では、この程度の時代の経過は僅かなものなのかも知れません。
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by sunshine-works | 2009-04-11 21:53 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 07日
旧大同燐寸工場施設
姫路の近代建築その1

近代建築Watch播磨編は今回より姫路を巡ります。
国宝姫路城で知られる姫路は古来より播磨の経済・文化の中心地でした。神戸が開港するまでは現在の兵庫県地域で最も多くの人口を擁する都市として榮え、明治以降も県西部の拠点都市として重要な地位を占めて来ました。
商業都市として、近代工業都市として、さらには軍都として、様々な歴史を今に伝える近代化遺産が数多く残る姫路の建築を紹介していきます。

姫路駅から南西方向、小さな川に沿って煉瓦の建物が並んでいます。この建物はかつて日本が大きなシェアを誇っていたマッチの製造工場として建てられたものです。
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明治以降、富国強兵の名の元に国家主導で重工業の育成が推し進められてきましたが、戦前の日本で国際競争力を持つ工業製品と言えば、繊維製品や日常生活用品といった軽工業製品に限られていました。
この分野に於いて日本は中国・アジア市場で大きなシェアを築き、欧米各国と激しい競争を続けていました。これら海外に輸出された日常品の中でも、とりわけ日本が質・量共に他国を凌駕していた製品として挙げられるのが燐寸、すなわちマッチの製造でした。
気候が乾燥した播州地方はマッチの製造に適し、姫路には多くのマッチ工場が建てられましたが、この建物も当時日本最大のマッチ製造会社となった大同燐寸の工場・倉庫として昭和6年に建てられたものです。
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煉瓦造りの、おそらくは元倉庫だったと思われる建物が川沿いに連なります。アーチ窓に面格子を配した一般的な煉瓦倉庫のスタイルです。この横長の倉庫建物は東側と北側の2面の敷地に沿って配置されています。
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*頭上を横切る桁は昭和40年代に運行していた姫路モノレールの遺構です。
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大正中期、第一次世界大戦の影響を受け輸出が止まった欧州のメーカーに代わって日本のマッチ業界は最盛期を迎えます。しかし、この建物が建てられた昭和6年頃には一転して輸出の停滞期となっていました。その後すぐに大同燐寸は実質的な破綻を迎え、日産財閥系の日産農林工業へ引き継がれていきます。社名は変わりながらも同社のツバメをデザインしたマッチラベルは数あるマッチの中でも有名ブランドとして広く知れ渡っていました。
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一部の窓には木製の窓枠や鉄の面格子が当時のまま残っています。
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幾つかの窓は塞がれていたり、アルミの面格子に変えられています。
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日産農林工業のマッチ工場として昭和22年まで操業を続けたこの工場は、その後山陽色素の姫路第二工場として現在も現役で使われています。

南側に工場の入口があります。構内には大小の煉瓦の建物が確認できます。築年代は特定できませんが幾つかの時代に渡って建てられた物かも知れません。
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主要な輸出産業として日本の経済発展に寄与し、身近な広告媒体としても親しまれたマッチ製造業はライターや自動着火式のガスコンロの普及によって急速に衰退していきます。現在でも兵庫県は全国一のマッチ生産量を誇りますが、往時に比べるとその規模は遥かに小さいものとなっています。姫路周辺に数多く建てられたマッチ工場も戦前の建物で現存するものはここ以外には見当たりません。この建物は一時代を築いた花形産業の盛衰を偲ぶ唯一のものとなっています。
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by sunshine-works | 2009-04-07 21:38 | 近代建築 | Trackback | Comments(4)
2009年 04月 03日
旧魚橋郵便局
高砂の近代建築その6

旧山陽道(西国街道)沿いの古い集落である魚橋には現在も当時の雰囲気を伝える旧家が並んでいます。集落の中央、旧街道に面して建つこの洋館は90年以上に亘って当地で郵便局舎として使われてきました。
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JR線の北側の丘陵地帯に位置する旧阿弥陀村魚橋地区は、海沿いの高砂や荒井とは成り立ちも交易路も異なり、明治以降に工業地帯として発展する臨海部のような大きな変化は見られませんでした。旧印南郡の中枢として役場や行政機関が置かれますが、旧街道沿いに古い家々が残る風情ある景色が現在まで保たれて来ました。
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この地に郵便局を設置するにあたり当時の地方郵便局の多くがそうであったように、地元の名士に事業を委託し、その土地家屋の提供を受けて業務を行いました。魚橋郵便局は土田家の家屋の一部を局舎として明治7年に開設され、明治37年にこの洋館造りの2代目局舎に建て替えられました。
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狭い街道に面して建つ、一際目立つ下見板貼の洋館です。各窓に付けられた鎧戸や切妻屋根の玄関庇、玄関ペディメントの門灯(複製ですが)、コーナーに貼られた地元の竜山石の淵飾り等、小さな建物ですが当事の洋館の意匠が豊富に盛り込まれた内容となっています。
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コーナーを飾る竜山石。高砂の竜山で産するこの石は古くから建築材料に用いられました。明治以降に建てられた近代建築にも数多く使用されています。
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残念ながら正面入口は塞がれています。どのような扉が付いていたのでしょうか。
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この局舎は新局舎の完成により1990年に任を終えます。当初老朽化の為取り壊される予定だった建物は、存続要望を受けて保存される事となり、2004年には登録文化財に指定されます。
今では修復を終え美しい薄緑色にペイントされた優美な姿が街道筋の古い家並みに溶け込んでいます。
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このような古い歴史を持つ地方の郵便局舎の多くは、その役割を終えた後解体されてしまいます。元々が民間の土地家屋を利用したものなので、個人の負担で修繕維持していくには大きなコストが必要となるのがその理由でしょう。今後失われていく町や村の郵便局の一つでも多くがこの魚橋郵便局のように残されて行く事を願いたいものです。
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by sunshine-works | 2009-04-03 20:30 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)