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2009年 02月 28日
旧日本毛織加古川工場6番倉庫
加古川の近代建築その5

前回紹介した日本毛織加古川工場の北側に広がる商業エリアに1棟の煉瓦建物が建っています。この建物は倉庫として同工場の開設時に建てられたものです。
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日本毛織加古川工場は明治32年の開設以来100年以上に亘り同社の主力工場として操業を続けていますが、段階的に隣の印南工場にラインが集約され、徐々にその規模を縮小してきました。跡地の再開発に伴って工場施設の多くは取り壊されてしまいましたが、この大きな建物だけは残されて「カラオケレンガ館」として利用されています。
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天井を高く取った3階建ての巨大な煉瓦倉庫です。コンクリート建築が普及する前の倉庫としては最大級の規模ではないでしょうか。開口部が少ない構造とは言え、内部空間を大きく取る必要のある倉庫では限界に近い大きさかもしれません。
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倉庫だけに全く装飾要素はありません。玄関らしき物も無く、煉瓦壁に小さな窓が並ぶだけのシンプルなデザインですが、程よく風化した煉瓦の色合いが何とも言えない味わいを出しています。
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3階の壁面に書かれている6の数字は6番倉庫を表しています。
この様な巨大な倉庫が多数並んでいた当時の眺めは、さぞや壮観だった事と思います。
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建物内部の様子。コンクリートの柱で補強されています。改修時に加えられた物でしょうか。オリジナルの外観を保ちながら内側は大幅に改装されています。
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旧工場建物の再利用方としてこのような転用事例は他にも数多く見られます。使い勝手に難がありそうな煉瓦建物ですが、独特の雰囲気は商業施設には最適の様です。
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by sunshine-works | 2009-02-28 17:58 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 02月 25日
日本毛織加古川工場・印南工場
加古川の近代建築その4

JR加古川駅の南西に煉瓦塀で囲まれた広大な工場敷地が広がります。明治32年に操業を開始したこの日本毛織加古川工場は、後年に川の対岸に建てられた印南工場と共に加古川が近代工業都市として大きく発展するきっかけとなりました。
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日本毛織は明治29年に大阪で創設され、創業者の川西清兵衛はこの会社を土台として川西財閥を築きあげます。今日ほど洋服が普及していなかった当時 日本毛織は軍需によってシェアを伸ばし、やがて日本一の毛織物製造会社に成長していきます。加古川に造られた二つの工場は同社の中でも規模が大きく、主力工場として位置付けられていました。
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線路の南側、加古川の土手に沿って敷地が続いています。いかにも明治期に造られた工場と言った風情の煉瓦建物が並んでいます。
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工場を取り囲む煉瓦の壁。複雑に屈曲しながら延々と伸びています。
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敷地内には煉瓦建物に混ざってコンクリートの建物も見えます。大正または昭和初期の築でしょうか。
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この門衛所も相当古い建物です。
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敷地の北側にある大きな建物。汽缶室(ボイラー室)と思われます。(旧鐘渕紡績洲本工場にも良く似た建物がありました)
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この加古川工場の生産体制は時代と共に隣の印南工場へとシフトされ、工場規模も段階的に縮小されて来ました。かつて北側に広がっていた敷地は商業施設に再開発されています。この建物の手前も整地が進んでおり、やがて何らかの施設が建つと思われます。
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加古川を挟んで西岸に位置する印南工場です。印南工場は大正8年に操業を開始しています。
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こちらの工場も同じように鋸屋根を持つ煉瓦の建物が並びます。
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毛織物が主要な輸出品に成長し、生産高が順調に伸びていく中、二つの工場は加古川の町を大きく潤して行きます。
産業構造の変化で往時の勢いを失ってしまった繊維産業ですが、日本の近代産業の牽引役として全国各地にこのような企業城下町を育み、地域を発展させた功績は多大なものがありました。
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by sunshine-works | 2009-02-25 21:12 | 近代建築 | Trackback(1) | Comments(2)
2009年 02月 21日
旧加古川町公会堂(加古川市立図書館)
加古川の近代建築その3

JR加古川駅から中心街を南へ進んで程なく、住宅街の公園に隣接してクラッシックな装いの図書館が見えて来ます。この建物は旧加古川町公会堂として昭和10年に建てられました。設計:置塩 章
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現在のJR加古川駅周辺は旧加古川町に該当する地域で、商工業の中心地として発展しました。駅からこの公会堂周辺にかけては多くの公共施設や行政機関が置かれ、都市化の進んだ一帯でした。
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加古川の市制移行は戦後の昭和25年ですので、この建物が建てられた当時はまだ加古川町の時代でした。古くからの宿場町であり、播磨の交通の要衝として栄えた加古川は明治以降もその役割を強めて行きます。播州平野の綿作を背景とした織物業や手工業が盛んだったこの地は明治39年に日本毛織が進出したことによって近代工業都市として更なる発展を遂げ、財政面でも豊かな町となっていました。
早くから市制が敷かれた神戸と姫路に挟まれた加古川ですが、この公会堂の立派な造りを見れば両市に引けをとらない近代的な町だった事が覗えます。
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公会堂らしく正面ファサードは特に豪華に飾られています。車寄せを持つ玄関アプローチ、長く突き出した庇、大きなステンドグラス、シンメトリーの中央に聳える塔屋等々いかにも置塩章らしいゴシック様式の重厚なデザインになっています。
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建物側面です。縦長窓の上にアーチ窓がバランス良く並びます。軒下に並ぶ丸窓は換気口と思われます。
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建物内部、2階へ上る階段。滑らかな曲面で仕上げられた手摺はこの時代らしい特徴です。
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2階のロビーからは正面の美しいステンドグラスが目近に見て取れます。
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加古川公会堂は播磨を代表する公会堂として長年使われた後、改装によって市立図書館に生まれ変わりました。
文化の薫り漂う建物の雰囲気も良くマッチしており、地域の中心施設として親しまれたこの建物の利用法として、図書館は最適の転用事例だったと思います。
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by sunshine-works | 2009-02-21 18:16 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 02月 17日
多木浜洋館(あかがね御殿)
加古川の近代建築その2

別府川が海へ注ぐ多木浜にあかがね御殿と呼ばれる大きな洋館が建っています。この建物は前回紹介した多木製肥所の迎賓館として昭和8年に建てられました。
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木造3階建て(一部4階建)の巨大な建物です。外壁にびっしりと張られた銅板、長く突き出した各窓の庇、複雑に重なり合う屋根、洋とも和ともつかない独特の意匠等々、今まで見て来た洋館とは趣を異にする何ともユニークな外観です。
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現在壁面の銅板は緑青が噴いていますが、竣工時はその名の通りあかがね(銅)色に光輝いていました。
日本一の肥料会社の創業者として大成功を収めた多木久米次郎が、威信を掛けて築いたこの建物は、地域の人々にも来訪者にも相当にインパクトを与えた建物だった事は想像に難くありません。
周囲に大きな建物が無かった当時、別府の駅や山陽電鉄の車窓からその威容が望めただけでなく、沖を行く船舶からも日を浴びて煌く巨大な楼閣がその目に映った事でしょう。
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デザイン的には均整や洗練といった形容と無縁の、「奇想建築」と言える建物です。どこにも類を見ない独創的なその姿は異界の御殿を連想させます。
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敷地の北側には石造りの門が煉瓦壁に連なります。
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広い敷地の外から眺めた建物東面。敷地は多木化学の系列法人が運営する幼稚園として使われています。
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同じく建物南面の遠景
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建物の西隣に建つ大きな石碑。元々は多木久米次郎の銅像が建っていたのですが、戦時中に供出されてしまいました。碑文には肥料王ならぬ肥料主の文字が刻まれています。さすがに自ら王と称するのには遠慮があったのでしょうか。
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功成り名を遂げた多木久米次郎はこの建物を15年の歳月と莫大な建造費を費やして完成させます。成功を収めた実業家が巨費を投じて豪邸を構えるのは世の倣いですが、ここまで独創的な建物は例がありません。
竣工当時は特異な姿で注目されたこの建物も、築70年以上(起工からは80年以上)経た今は浜の名物としてすっかり風景に溶け込んでいます。
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by sunshine-works | 2009-02-17 21:47 | 近代建築 | Trackback(2) | Comments(9)
2009年 02月 13日
多木化学本社建物
加古川の近代建築その1

近代建築Watch 兵庫県播磨編は今回から加古川市を巡ります。
明石と姫路の中間に位置する加古川は幕末までは農業と漁業を中心とした地域でしたが、明治以降は多くの工場が進出し、工業都市として発展していきます。加古川の近代建築その1は加古川の発展に大きな役割を果たした企業に纏わる建物を紹介します。

山陽電鉄別府駅から港へ向かう途中に黒塗りの洋風建築が見えてきます。この建物は多木化学株式会社の前身である多木製肥所の本社として建てられました。
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多木製肥所は日本で最初の近代肥料会社としてこの地で創業されました。
同社は創業者の多木久米次郎の発案になる骨粉肥料の製造を手始めに各種化学肥料を開発し、やがて全国規模の大会社に発展していきます。この建物は同社が大きな成功を収めた後の大正4年に新たな本社建物として創業者の生家傍に建てられたものです。
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全面を黒く塗った下見板貼りの木造2階建、事務所らしく階高の高い、かなり大きな建物です。軒には同社のシンボルである鋤のマークを巡らせています。
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突き出した長い庇が特徴の玄関。両脇には灯篭や石像が飾られています。
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この石臼のレリーフはかつて獣骨を挽いて肥料を作る際に用いられていたもので、同社の起源とも言うべき存在です。
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寄棟の大きな屋根の東西に明取り用の屋根窓が設けられています。
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自然由来の肥料しかなかった時代に現れた化学肥料は農業生産を飛躍的に増大させ、以来日本の農業の大きな支えとなっていきます。総合化学メーカーへと発展した同社ですが、歴史あるこの建物を現在も本社として守り続けています。
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by sunshine-works | 2009-02-13 20:41 | 近代建築 | Trackback | Comments(3)
2009年 02月 09日
旧二見村役場(東二見市民センター)
明石の近代建築その4

山陽電鉄東二見駅から南方向へ進んで程なく、コーナーに美しいアールを描くモダンな建物が見えてきます。この建物は旧二見村の役場として昭和13年に建てられました。
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この村役場が建てられた昭和13年当時、都市部に於いてはこのようなモダンデザインの建物は新奇な存在ではありませんでした。商業施設や学校建築、個人住宅など多くの建物に採り入れられ、従来の古典様式に代わる新しいスタイルとして広がりを見せていました。しかし、都市部以外の地域はまだまだ従来様式の建築スタイルが主であり、地域の町並みには馴染みの薄いものと思われていました。
神戸に近いとは言え、漁業と農業中心の長閑な村だった二見村にこのような斬新な役場が建てられた経緯は不明ですが、当時としてはかなり思い切った決断だった事と思います。デザインも凝っていますが村役場としてはかなり大きな建物でもあります。財政面でも豊かな村だったようです。
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大きなガラス面を持つ半円形の階段室がこの建物の特徴です。この時代の学校建築に類似のデザインがありますが、この建物はその特徴が際立って見えます。
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側面から見ると階段室の幅はかなり狭いのが判ります。まさに階段の幅分しかありません。
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他の特徴として、随所に丸窓が使われています。漁業の町故に船に因んでの事なのでしょうか。全体の印象も船をモチーフにしているように見えます。
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窓枠はすっかり換えられていますが、この面格子は竣工当事の物と思われます。
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建物中央に設けられた玄関。石組のがっしりした構えですが飾りが少なく簡素な印象です。
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現在の感覚ではこの種の建物に特段の物珍しさは感じませんが、都会を離れた漁村の一角に突然現れた個性的な建物には誰もが驚いた事と思います。竣工したのは戦時体制に向かう直前の時期でしたのでこれ以降は建築物自体が統制されていきます。おそらく戦前に建てられた町村役場としては最もモダンな庁舎だったのではないでしょうか。
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by sunshine-works | 2009-02-09 21:42 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 02月 04日
茨木酒造洋館
明石の近代建築その3

山陽電鉄魚住駅から南西方向、海に近いこの一帯は江戸時代から続く酒造地帯です。最盛期には魚住から江井ケ島にかけて多くの造り酒屋が並び、西の灘と言われる程の賑わいを呈していました。現在その数は10件ほどに減ってしまいましたが黒塀に囲まれた昔ながらの風情ある酒蔵の風景が見られます。その中の一軒、茨木酒造の入口横に一棟の洋館が建っています。現在同社の事務所として使用されているこの建物は大正後期に建てられたものです。
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新酒の出来上がりを知らせる杉玉が飾られた小さな建物です。下見板貼りのいわゆる擬洋風建築と呼ばれる建物ですが、この種の洋館に多いコロニアル様式の凝った装飾は見られず、入口のぺディメントと1階・2階の間に施されたコーニス(蛇腹)が洋館らしい特徴となっています。
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正面入口と思われますが不釣合いな鉄扉が取り付けられています。倉庫的な使い方をされていたのでしょうか。
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建物北側です。2階の大きな窓はサッシに入れ替えられていますが右上の小さな窓は昔のままのようです。屋根瓦は擬洋風建築らしく和瓦が使われています。
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畑の向こう側に続く酒蔵。この建物もかなり古いものと思われます。
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建物横の門から酒蔵がある敷地内に入ります。酒の直売所もあって自由に出入りする事ができます。
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敷地内から眺めた南面。
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灘に劣らず盛んな酒造地帯だった魚住周辺ですが、全国ブランドの灘酒には効し難く、やがて多くの銘柄が消えて行ってしまいました。
古い酒蔵とコントラストを成す白塗りのモダンな洋館は、この地で伝統を守り続ける蔵元のシンボルとして一際目を惹く存在となっています。
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by sunshine-works | 2009-02-04 20:31 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)