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2008年 09月 28日
旧川西機械製作所本社(富士通テン)
神戸兵庫区の近代建築その9

兵庫駅の南側から臨海部にかけての一帯は明治以降工業地帯として発展した地域です。三菱、川崎の2大工場を中心に大小さまざまな工場が建てられ、阪神工業地帯の中核を形成していきます。
兵庫駅と臨海部を結ぶJR和田岬線に沿って多くの工場が並ぶその中ほどに富士通テンの建物が見えてきます。この建物は前身の川西機械製作所の社屋として建てられたものです。
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川西機械製作所は日本毛織から発展した川西財閥の創業者、川西清兵衛が起こした会社です。親会社に由来する繊維機器の製造と新規事業として着目した航空機製造を2つの柱として操業を始めた同社は、その後も事業を拡大しラジオや通信機、真空管等で日本有数の技術を持つ会社となりました。(川西機械製作所から分社独立したのが川西航空機、後の新明和工業です。)
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敷地内には4棟の建物が確認できます。それぞれ築年が異なっているらしく、デザインや風合いがまちまちになっています。この地に最初の工場が建てられた大正末期の建物が残っている可能性もありますが、判別できません。ひょっとすると一番古そうなこの建物かも知れません。
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この建物も比較的初期に建てられた棟と思われます。ほとんど装飾要素はありませんが入口部分に時代を感じさせる意匠が施されています。以前の正面玄関だったのかも知れません。
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この棟もそこそこに年期を感じさせる建物ですが、やや時代は下ると思われます。
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裏側からの眺めはこのような感じです。
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正面入口を持つこの建物は最後に建てられたか、あるいは近年に補修を施された棟と思われます。昭和初期風のデザインですが、雰囲気を模して戦後建てられた可能性もあります。
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川西機械製作所の後身である神戸工業は昭和43年に富士通と合併、やがて車載音響機器のメーカーとして独立し社名を富士通テンとします。この「テン」の名は「天」を意味し、旧川西機械製作所時代にラジオのブランド名として使われていました。

かって神戸で隆盛を誇った川西財閥の中枢企業 川西機械製作所の名は今はありませんが、商標名は社名として引き継がれました。同様にこの旧社屋も創業の地で同社の歴史を今に伝えています。
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by sunshine-works | 2008-09-28 23:43 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2008年 09月 24日
JR兵庫駅
神戸兵庫区の近代建築その8

JR神戸駅から西に1駅、現在の山陽本線の元となった山陽鉄道の基点駅として設置されたのがこのJR兵庫駅です。昭和5年築。設計:鉄道省
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神戸に初めて鉄道が敷かれたのは明治7年に開業した大阪との間を結ぶ路線でした。その後路線は東海道に沿って急ピッチで伸ばされ、明治22年には神戸-東京間が結ばれる事となります。
僅か15年で東京までを繋いだ東への延伸に対して、神戸から西に向けての延伸は全く進みませんでした。九州を結ぶ重要な輸送路であるはずの山陽道ですが、神戸以西に1本のレールも敷かれること無く、明治7年の開業以来、神戸駅は長らく終着駅のままとなっていました。

手付かずだったこの区間にようやく路線が敷かれたのは東海道線の開通1年前である明治21年、国鉄ではなく民営の山陽鉄道による兵庫-明石間を結ぶ鉄道の開業でした。山陽鉄道の路線は次々と伸ばされ、13年後の明治34年に神戸-下関が開通します。(その後山陽鉄道は国営化され、路線は現在の山陽本線として引き継がれます。)
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現在の駅舎は国鉄時代の昭和5年に高架駅として建て換えられた時の物です。同年代に建てられた隣の神戸駅は全面にタイルを貼ったシックなデザインですが、この兵庫駅は剥き出しのコンクリートで仕上げたモダンな印象となっています。
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長く突き出した庇は神戸駅と良く似ています。
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腰周りには神戸駅と同様のタイルが貼られています。
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コンコースに並ぶ太い丸柱。これも神戸駅や三宮駅に似た雰囲気となっています。
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駅東側へ抜ける通路
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連絡通路も丸柱が並びます。
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ほとんど当時のままと思われる構内。
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山陽鉄道の基点駅として設けられた兵庫駅ですが、やがて路線が東海道線の終着駅である隣の神戸駅と結ばれ、更に会社自体が国営化された事によってその存在意義は薄らいでしまいます。その後は臨海部に広がる工場地帯の玄関駅として重要な役割を果たして行く事となります。
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by sunshine-works | 2008-09-24 23:46 | 近代建築 | Trackback(1) | Comments(0)
2008年 09月 20日
神戸電鉄湊川駅
神戸兵庫区の近代建築その7

湊川の付け替えによって河川敷跡を埋め立てて造られた湊川公園は、元々が天井川だった為に小高い台地になっています。この台地の1階部分、公園の真下に神戸電鉄の湊川駅が置かれています。この駅舎は神戸と有馬・三田を結ぶ神戸有馬電気鉄道が開通した昭和3年に始発駅として建てられたものです。
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この駅は現在地下駅となっていますが昭和43年までは地上駅(半地下駅)でした。路面を地下に移した後は玄関口として駅舎外壁が残され、それまでホームが敷かれていた部分は店舗スペースやコンコースとして使用されています。
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大正時代までは神戸市街から有馬温泉へ行くには徒歩で六甲山を超えるか、尼崎経由で一旦三田へ出てそこから有馬鉄道(当時は三田~有馬間を結ぶ鉄道が敷かれていました)で行く方法のどちらかでした。六甲山を最短ルートで南北に結ぶ鉄道路線は長年に亘って構想されていたのですが、当時の技術では難工事が予測され、莫大な事業費がネックとなって実現が阻まれていました。

長年の夢だった神戸と有馬を結ぶ鉄道は、有馬鉄道の創設者だった山脇延吉が起こした神戸有馬電気鉄道によって達成されます。予想通りの難工事の連続となりましたが昭和3年に湊川~有馬温泉、さらに三田までの20キロ余が開通します。
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入口上部の半円形の部分にはかって時計が取り付けられていました。
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同時代に建てられた国鉄神戸駅や三宮駅、阪急三宮駅等に比べると規模が小さく色合いも地味な建物ですが、当時の写真を見ると大きな庇と正面の時計が印象的なモダンな駅舎でした。
(現在の庇は後年付け替えられた物のようです)
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開業以来始発駅となっていた湊川駅ですが、国鉄や他の私鉄との接続が無く(市電のみ)、さらにホームが短い為に輸送力増強もできない状況で、神戸電鉄にとっては大きな課題となっていました。
この問題を解決したのが神戸に乗り入れる私鉄各社と神戸市の合弁で発足した神戸高速鉄道の開業でした。神戸高速鉄道の基点として設けられた新開地駅まで路線を地下で延伸し新開地駅を実質的な始発駅に変更、湊川駅は長編成車両の発着が可能なホームを備えた地下駅に生まれ変わりました。

現在この湊川駅はターミナルとしての役割を終えていますが、神戸電鉄開業時の足跡を留めるモニュメントとして象徴的な存在となっています。
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by sunshine-works | 2008-09-20 17:55 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2008年 09月 16日
川崎病院
神戸兵庫区の近代建築その6

旧神戸市森高等女学校のすぐ傍に昭和初期築の大きな病院が建っています。この病院は川崎造船所(その後は川崎重工)の病院として昭和11年に設立されました。設計:木下益次郎(木下建築事務所)
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明治以降に兵庫区の臨海部に進出した三菱・川崎両造船所によって工場周辺や後背地域は企業城下町として大きく発展していきます。当時の多くの大企業がそうであったように、やがてこの両社は病院を設立し、社員や周辺住民に向けた医療サービスを開始します。
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この病院が建てられた当時の川崎造船社長、平生釟三郎は当時を代表する基幹産業の社長・会長を歴任した実業家ですが、社会奉仕にも積極的に取り組み、灘生協の創設や甲南大学、甲南病院の設立者としても知られています。
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この川崎病院の設計者である木下益次郎と平生釟三郎は縁が深く、平生釟三郎が設立した甲南病院や川崎造船の系列会社である川崎汽船の本社(神港ビルヂング)も木下益次郎が設計しています。確かに、この川崎病院の全体の雰囲気は甲南病院に共通するものがあります。
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広大な敷地には本館の他にも付属棟が数棟建てられています。
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現在では大規模な事業所が地域に自前で病院を設ける事例は数少なくなってしまいましたが、医療体制が現在ほど整っていなかった当時は大資本による企業立病院の存在は公共医療の隙間を埋め、先端医療の導入に大きな役割を果たしていました。
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by sunshine-works | 2008-09-16 21:54 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2008年 09月 12日
旧神戸市森高等女学校校舎(神戸学院大学付属高等学校)
神戸兵庫区の近代建築その5

古くから開けた兵庫区は数々の歴史の舞台となり、多くの史跡や古刹が残っています。
南北朝の時代には楠木正成の最期となった湊川の戦いがこの地で繰り広げられ、正成を祀る湊川神社や合戦場として伝わる湊川公園は街のシンボルとして市民に親しまれています。
この湊川公園から楠木正成が陣を張ったとされる会下山(えげやま)にかけての一帯には明治以降、多くの学校が建てられていきました。現在、神戸学院大学付属高校となっている旧神戸市森高等女学校も会下山の傍らの小高い丘の上に昭和11年に建てられました。設計:清水栄二
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この校舎は裁縫学校を起源とする神戸市森高等女学校が兵庫区五宮町から当地に移転した際に建てられた建物です。その後数回に亘って増築され現在の姿になりましたが、創建時の校舎が一号館として使用されています。
*神戸森高等女学校についてはこちらをご覧ください。
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こちらは校舎の南側です
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学校建築として全体に意匠は控えめですが、角のアールの処理や各入口上部の垂直方向の表現等、清水栄二らしさが伺えます。
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神戸市営繕課長として公共建築を手がけ、独立後も神戸で活躍した清水栄二の作品には多くの学校建築がありましたが、残念ながらそのほとんどが失われてしまいました。神戸市内に残る学校建築としてはこの校舎が唯一のものと思われます。
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by sunshine-works | 2008-09-12 21:22 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2008年 09月 08日
日本聖公会神戸昇天教会
神戸兵庫区の近代建築その4

変電所の北方向、有馬道を西へ入った住宅街の中に小さな教会があります。現存する教会としては神戸で最も古い建物です。明治43年築。設計施工不詳
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開港以来外国文化と触れ合ってきた神戸には、さまざまな宗派の教会が数多く建てられました。人の集まる都心部には大きな聖堂が建てられますが、周辺部にもこのような小さな構えの教会が建てられ、地域に密着した布教の拠点となっていきました。
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「日本聖公会」はカトリックの一派で英国国教会の系統に属します。明治以降に始まったカトリック諸派の活動の中でも古い歴史を持つ宗派です。
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許可を得て内部を見せていただきました。剥き出しの梁や柱、椅子や建具の質感が重厚で厳かな雰囲気を醸しています。
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素晴らしい内部をもう少し
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戦災や震災を生き抜いたこの教会は100年前に建てられたとは思えない良好な状態が維持されています。ほとんど手を加えられていない、創建時の優れた建築技術を今に伝える建物として資料的価値の高い存在でもあります。
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by sunshine-works | 2008-09-08 23:37 | 近代建築 | Trackback | Comments(6)
2008年 09月 04日
旧神戸市電気局有馬道変電所(関西電力有馬道変電所)
神戸兵庫区の近代建築その3

奥平野から住宅街を抜けて西へ進みます。神戸から有馬へ抜ける国道428号線(有馬道)が山並に接する平野周辺には古い町並みが今も残っています。このあたりは市街地の北の終端で、かって敷かれていた神戸市電はこの平野が折り返し地点となっていました。
この有馬道が平野交差点に差し掛かる手前に無骨なコンクリート造の大きな建造物が建っています。この変電所は現在の神戸市交通局の前身、神戸市電気局の時代に建てられ、その後関西電力に引き継がれました。
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神戸の電力事業は日本で2番目の電力会社である神戸電燈株式会社によって明治22年に始まります。電力事業はその後神戸市の市営事業に移管され、配電と路面電車(神戸市電)を管轄する神戸市電気局に発展します。この変電所は神戸市電気局が大正7年に設置した有馬道変電所を昭和5年に建て代えた際の建物です。
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当時の神戸市では路面電車と配電が同一事業者によって営まれていた関係から、神戸市電気局の変電所は民生用、鉄道用、更に両者兼用の施設が存在していました。この変電所は市電平野線の終点近くに位置し、軌道敷のすぐ脇に設けられている事から、路面電車用の変電施設、または民生用との共用施設として設けられたものと思われます。
配電事業は昭和17年に神戸市電気局から関西配電(後の関西電力)に移管されますが、この変電所は引き続き神戸市交通局によって昭和34年まで使用され、その後は関西電力の変電所となりました。
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明治・大正期に建てられた水道施設の多くは威厳を誇示するかの様に古典様式の重厚な意匠を纏っていましたが、同様の傾向は電力施設にも伺えます。とりわけ街中に置かれる事が多い変電所には凝ったデザインを施した例が多く見られますが、この有馬道変電所はその最たる物と言えるでしょう。
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軒高がある大きな建物です。窓や入り口が無く、色合いが地味な事もあって独特の雰囲気が漂います。
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同じ神戸市電気局の施設である旭変電所に似たデザインですが、こちらの方が装飾性に豊むのは築年の差(6年前)かもしれません。
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最上部の壁面は外に向かって反りが付けられ軒へ繋がります。
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他の大都市がそうであった様に、神戸市電もモータリゼーションの波に呑まれて昭和46年に廃止されてしまいます。先進的な車両や高い利用率を誇り、「東洋一」とまで言われた神戸市電を偲ぶ物の中で、最大の遺構はこの変電所かも知れません。
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by sunshine-works | 2008-09-04 21:40 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)