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2007年 11月 27日
関西電力旭変電所
神戸中央区の近代建築その7

JR三ノ宮駅から線路に沿って東に向かって程なく、マンションの隣に古びた変電所が置かれています。この建物は昭和11年に建てられ現在も関西電力旭変電所として使われています。
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神戸市の電力供給事業は明治22年、東京電燈(後の東京電力)に次ぐ全国2番目の電力会社である神戸電燈の設立によって開始されました。その後同社は競合会社であった神戸電気株式会社と統合、更に神戸市電気局、関西送電株式会社を経て現在の関西電力へと受け継がれて行きます。この変電所が作られたのが昭和11年なので神戸電気株式会社から神戸市電気局に移行された時代の建物となります。
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当時は現在のような10電力会社制度が整う前で、全国の大小さまざまな電力会社が給電を行なっており、さらに神戸市の様に自治体が事業主となっている所もありました。またこの時代の特色として鉄道事業者が給電を行なっていたり電力会社が鉄道を運営していたりと複雑な仕組みとなっていました。
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神戸電気株式会社から電力事業と鉄道事業(神戸市電となりました)を引き継いだ神戸市は市域の拡大と都市化の進行に伴なって市内の変電施設を増強していきます。市内兵庫区には同じく神戸市電気局の有馬道変電所が同時代の建物として現存しています。
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側面にある出入口。庇の付いた玄関風の造りです。
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道路に面した別の入口跡。現在は塞がれています。
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基礎の保護の為でしょうか、コンクリートで補強しています。
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四隅に軽くアールをつけて蛇腹で飾っています。良く見ると最上部の軒蛇腹は金属の樋状の物を取り付けてあるようです。
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現在の感覚からすると居住の場でもなく人の出入りする事務所や商業建物でもない裏方の様な施設に凝った装飾を加える事は不思議な思いがしますが、当時のこの種の建物(水利施設などは顕著な例です)には様々な意匠を凝らした例が多く見られます。水や電気といった文明の恩恵が今よりも崇められていた時代に事業者としての威厳を示す意味があったのかも知れません(周囲の建物に溶け込む様にデザイン的配慮をしていたとも考えられます)。いずれにしても現在の無機質な変電施設を見慣れた目にはかえって新鮮に思えます。
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by sunshine-works | 2007-11-27 13:01 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2007年 11月 23日
帝国信栄本社ビル
神戸中央区の近代建築その6

阪急三宮駅の北東、中小の雑居ビルや事業所が立ち並ぶ駅裏の一角に焦茶色の外壁の2階建ビルが建っています。この建物は不動産管理会社帝国信栄株式会社の社屋として大正12年に建てられ現在も同社の本社ビルとして使われています。設計は神戸に縁の深い清水栄二です。
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このビルは阪急線のガード沿いの駅前の雑踏から少し離れた所にあります。メインストリートであるフラワーロードの裏筋にあたる場所でこれと言ったスポットも無いどこにでもありそうな街並みなのですが、ごく普通の景色の中に独特の存在感で異彩を放っているのがこの建物です。
焦茶色の外壁も個性的ですがコーナーの形に沿わした台形の平面、太い丸柱が並ぶ側面、立体的な窓格子、時代を感じさせる右書の社名板等々、特徴に事欠かない建物です。
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2階建ての建物にしては不釣合いな程に太い丸柱が何本も並ぶ様は非常に頑丈な印象を受けます。早くから耐震性を重視していた清水栄二の設計した建物には同じような傾向が伺えます。
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1階の各窓には籠のような格子が付けられています。現在は引違い式の窓ですが当初は外開きの窓だったのでしょうか。
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建物表面の腰周りはこのような石を巡らしています。
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正面ファサードの上部は付柱で飾られています。入口の左右の柱に付けられた赤い金物がユニークです。
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明治以降神戸の中心街となる旧居留地や海岸通りには大規模なビルが建ち並んで行きます。今日現存しているそれら名の知れ渡った建物は歴史的価値があり景観建物としても高く評価され保存・再生を巡っては衆目を集めるところとなっています。しかしこの建物のように地味で無名の建物を残していく事も疎かにしてはならないでしょう。各地の裏町にひっそりと建つ貴重な建物は再開発の名の下にいつの間にか失われてしまっているのが現状です。
規模や知名度で建物の価値が決まるものでは無いのですがこれも一種のブランド志向となっているのが何とも残念なところです。
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by sunshine-works | 2007-11-23 01:06 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2007年 11月 19日
旧神戸ユニオン教会
神戸中央区の近代建築その5

昭和55年に2つの区が合併して現在の中央区となる前は新神戸の駅から三宮を経て税関前まで南北に続く、通称フラワーロードが旧生田区と旧葺合区の境界となっていました。このフラワーロードを南に下ってもう少々旧葺合区の探訪を続けます。
新神戸駅と三宮の中ほど辺りに現在はジャーマンベーカリーの店舗となっている建物があります。この建物は旧居留地で外国人達によって設立されたプロテスタント系の教会、神戸ユニオンチャーチとして平成4年まで使われていた建物です。昭和4年築 設計は W.M.ヴォーリズです。
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名前の「ユニオン」は文字通り統合、統一の事で、プロテスタント系の各宗派が共同して建立した教会を意味します。
日米修好通商条約による開港を発展の起源とする神戸はやがて多くの外国人が居住する事となります。当然ながら居留地にはそれぞれの宗教・宗派の施設が作られていくのですがプロテスタント系欧米諸国の人々も自身の信仰の場として教会を設立します。明治5年、外国人居留地内にプロテスタント諸派が派を超えて作ったのが神戸ユニオン教会の始まりでした。
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この建物は昭和4年にそれまでの居留地からこの地に教会が移転した時に建てられた礼拝堂と牧師館です。設立時の教会は旧居留地の現在の大丸百貨店の傍に建っていました。その後周辺の都市化に伴いこの生田町に移転したそうです。
確かに大丸百貨店の近辺は昭和初期にはすでに商業地やオフィス街と変わっていましたので厳粛な祈りの場には向かなくなっていたのかも知れません。
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建物は前面道路に面した正面側と中央の尖塔を挟んで中庭に面する裏側の異なる二つの表情を持っています。
正面側は教会建築に特徴的な大きな明かり窓や入口エントランス周囲の装飾によって厳かな雰囲気です。
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正面各部のアップです
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入口のアーチをくぐって中庭へ
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中庭側から眺めると空に向かって聳え建つ尖塔が際立ちます。
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礼拝堂の側面
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こちらは牧師館の裏面
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礼拝堂の裏面は途中で断ち切ったような仕上げです。元は建物が伸びていたのかも知れません。
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中庭から入口方向の眺め
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平成4年に教会が灘区に移転した後しばらくは空家となっていましたが信徒であるフロインドリーブ氏が所有者となって自身の経営するベーカリーの店舗に改装されました。1階が店舗と製造所、2階はカフェとして使用されています。
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日本を代表する国際都市となった神戸は禁制が解けた日本のキリスト教普及の玄関となっていきます。特に日本に初めてもたらされたプロテスタント系宗派は神戸や横浜の居留外国人が主導的役割を果たす事となります。
この神戸ユニオン教会は現存するプロテスタント教会としては日本で最も古いものです。神戸が誇れるこのような歴史・文化の足跡を伝えていく事は重要な事だと思います。
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by sunshine-works | 2007-11-19 14:46 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2007年 11月 14日
五本松堰堤(布引ダム)
神戸中央区の近代建築その4

神戸は港湾都市のイメージが強いのですが、実際には市街地のすぐ裏手まで六甲山系の山並みが迫る山地面積の比率が高い都市です。最高点の標高930米は政令指定都市としてはかなり高い部類になります。また日本三古湯の一つ有馬温泉も市内に位置しており温泉観光地を有する数少ない政令都市でもあります。
神戸港の開港により発展して行った神戸は急峻な山裾に築かれた都市であるために河川水に恵まれず当初は上水を地下水や湧水に頼っていました。やがて増大する人口に対応するために後背の山地にダムを造る事となり、布引・千刈・烏原の水道用ダムが明治~大正期に相次いで建設されていきます。今回はこれら3つのダムの中で最初に作られ日本初の重力式コンクリートダムとなった布引ダムを紹介します。
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英国人ウィリアム・バルトンが基本構想を作り、佐野藤次郎が主任設計者となりました。100年以上前の築ですが補修工事を加えて今も現役施設として使われています。竣工明治33年。
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三ノ宮から約2キロ強、すぐそこの裏山といった距離なのですが周辺は緑濃い奥山の風景です。市街地の近くにこれだけの規模のダムが造られていることに驚きます。近辺には有名な布引の滝や渓谷もあって手軽なハイキングコースとなっています。
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重力式コンクリートダムと呼ばれる形式で堤体の自重で水圧を支える構造となっています。石で基礎を組みその上をコンクリートで固めて表面には石を貼っています。
このダムの竣工に際しては相当な苦労があった様です。資材の運搬もほとんど人力に頼らざるを得ない状況の中、しかも始めての近代ダムの工事とあって当事の兵庫県にとって大プロジェクトとなりました。
工事の詳細はこちらに参考記事があります。
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建築物と違って装飾意匠はほとんどありませんが景観と一体になったダイナミックな構造美は土木建造物ならではのものです。
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聳え立つ荒々しい岩肌は山城の城壁を思わせます。
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堰堤の頂部です。このダムは水面位置にゲートが無いタイプです。
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ダムに向かう途中にも当事建てられた施設が残っています。
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日本の近代水道は横浜市に始まり神戸市は全国で7番目となります。幕末に開港した他の港湾都市、長崎と函館が2番目3番目であり急峻な斜面に作られた人工都市がいずれも水利面に苦慮し近代水道の必要に迫られていたことが伺えます。
神戸市は佐野藤次郎が中心となって築いた3つのダムを水源とした水道網により近代都市の基盤を備えます。今日我々が目にする美しい神戸の街並みや建物はこのプロジェクトの成功によって実現されたものとも言えます。
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by sunshine-works | 2007-11-14 19:58 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2007年 11月 10日
旧池長美術館(神戸市文書館)
神戸中央区の近代建築その3

旧池長邸から北西方向、神戸市中心街に向かってしばらく進んだところには池長氏がコレクションした南蛮美術の美術館として建てられた建物が建っています。昭和13年築。設計は池長邸と同じく小川安一郎です。
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当初は池長氏の私設美術館として開設されました。戦後運営は神戸市に移管され神戸市立南蛮美術館となりました。昭和57年に収蔵品が新設された神戸市美術館に移された後は神戸市の文書館として使われています。
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池長邸はスパニッシュミッション様式ですがこの美術館はアールデコスタイルの建物です。正面側に白色のタイルを貼りファサードは大きなグリルで飾られています。玄関は中央に置かれていますが全体のデザインを左右比対象とすることで単調さを和らげています。
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この建物や旧池長邸を設計した小川安一郎は住友工務部の出身で関西を拠点に活動した建築家です。旧池長邸や大阪に残る氏の設計した建物(イトーキクレビオビル清水猛商店)を見ると装飾に鋳物や鍛造品が多く使われています。この建物も随所にグリルや金物が美しく飾られています。
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この美術館の元となった池長コレクションについてはこちらに詳しいのですが
結局池長氏は貴重なコレクションを手放す事となってしまいます。(莫大な財産税が課された様です) 自邸も売却せざるを得ない状況の中で美術館と収蔵品は神戸市に無償で譲渡しコレクションの散在を防いだ逸話にはコレクターの心意気を感じます。
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市に移管され、その後も美術館として使われた事で今日まで原形のままの美しい姿が守られてきました。文書館として転用された事も用途として相応しい使われ方と思います。市民の財産として長く残していってもらいたい建物です。
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by sunshine-works | 2007-11-10 23:40 | 近代建築 | Trackback(1) | Comments(2)
2007年 11月 06日
旧池長孟邸
神戸中央区の近代建築その2

前回紹介した昭生病院もそうですが旧葺合区の東側は病院が多く建てられた地域です。今回紹介する建物も病院の施設として使われていますが当初は個人の邸宅として建てられたものです。昭和2年築。設計:小川安一郎
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南蛮美術の研究家・収集家である池長孟氏の邸宅として建てられました。地上3階地下1階建、個人邸としてはかなり大きな建物です。各部に贅を凝らした造りで個人邸としては破格の値段(当時の価格で16万円、大卒初任給が50円前後の時代です)となりました。
建物の詳細やこの建物に付けられた「紅塵荘」の名の由来はこちらのサイトが参考になります。
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当時流行のスパニッシュ様式の邸宅です。各窓の面格子や手摺にはすばらしいアイアンワークが施され、窓にはステンドグラスが嵌められています。
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大きな建物なのでなかなか全景が収まりません。遠方からのショット。
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玄関へ続く階段アプローチ。石造やレリーフで美しく飾られています。
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南側のアーチで飾られた区画は休憩所として使われているようです。
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個人の邸宅を病院に転用する例は今日ではあまり多く無いようです。先端の医療機器を設置するにはそれなりの造りが必要とされるので本格的な医療施設には向かないのでしょう。この建物も病室と事務所として使われており診療室や手術室は本館に置かれています。
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この建物を建てた池長孟は収集した南蛮美術のコレクションを収蔵する為に私設美術館を建てています。美術館については次回紹介しますがこの豪華な建物といい個人コレクションの為に美術館を建ててしまう事といい昔の粋人のスケールの大きさを実感させられます。
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by sunshine-works | 2007-11-06 23:30 | 近代建築 | Trackback | Comments(4)
2007年 11月 02日
昭生病院
神戸中央区の近代建築その1

神戸市を東灘区、灘区と巡って来ましたが、いよいよ今回から中央区の近代建築を探訪します。
中央区は神戸の中心地区だけあって随所に様々な建物が建てられました。戦災や震災により失われた物も多いのですが、それでも相当数が現用施設として、あるいは保存施設となって残されています。神戸発展を支えたこれら近代建築の数々を紹介していきます。

中央区はかつての葺合区と生田区が合併して誕生した区です。生田川の東を占める旧葺合区は灘区から繋がる住宅地区が多くを占め、オフィス街や商業地域を中心に発展を遂げた旧生田区とはまた違った街並みを形成しています。
灘区に近い旧葺合区の東側は、閑静な住宅地域に多くの学校が建てられ文京地区として整備されました。(かつての神戸商業大学が開学したのも旧葺合区の筒井通りです。)
また、この一帯は学校の他に医院・病院が多く建てられた地域でもありました。中心街から程近く、且静かな環境が好まれたのかもしれません。
今回紹介するこの建物も、かつての病院施設です。この昭生病院は日本で始めての循環器系の専門病院として建てられ、当地で昭和58年まで開業していました。病院本体は灘区へ移転しその後は診療所として使用されています。
昭和2年築。設計:橋本 勉
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設計者の橋本勉は大阪を拠点に活動した設計者です。工場建築や事務所ビルを得意とし、幅広いスタイルの作品を手掛けていた様です。
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全体に地味な印象の建物ですが、部分的にスクラッチタイルを貼ったり玄関周りに飾り石を嵌める等の意匠を施しています。
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各窓の縁石のラインが全体を引き締めています。
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海を望む南側の面です。病室の窓と思われます。
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本院が移転してから20年以上経過している事になるのですが、各部の老朽劣化が進んでいる様に見えます。
診療所となってはいるのですが、隣接地に新しい建物が建っており、この建物自体はほとんど使われていないのでしょうか。
おそらくは近年の内に取り壊されてしまう運命と思われますが、玄関周りの凝ったデザイン等いかにも昔の町の病院と言った風情があるだけに残念な気もします。
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by sunshine-works | 2007-11-02 21:01 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)