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2007年 10月 29日
旧ハンター邸
神戸市灘区の近代建築その18

かっての原田の森、現在の王子公園内には昭和26年に動物園が開設されています。この動物園の園内に一軒の洋館が公開されています。この建物は元々神戸の北野に建っていたのですが昭和38年に神戸市に寄贈され当地に移築されました。当初はドイツ人のA.グレッピー氏の邸宅として建てられたものですが2代目の所有者の名を称してハンター家住宅と呼ばれています。明治22年築。
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木骨レンガ造り二階建(塔屋を含むと三階建)、神戸市内に現存する洋館の中で最大級の大きさの建物です。国の重要文化財指定を受けています。
英国コロニアル様式に分類される建物です。この様式の特徴である広いテラスは当初開放式でしたが日本の気候に合わせてガラス窓で塞ぎサンルームに変えられています。
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ハンター氏はこの建物を明治40年に購入して同じ北野町内の他の場所に移築し(つまりこの王子動物園は3回目の移築になります)さらに改築しています。テラスにガラス窓を取り付けたのもこの時だったようです。ちなみにハンター氏が居住していた場所にはハンター坂の名が残っています。
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改築時に取り付けたガラス窓のフレームの幾何学的美しさがこの建物を一層美しく印象つけています。ガラス窓を付けたことで他のコロニアル式の建物とはかなり印象を異にするものとなっています。
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ハンター氏は明治初年に来日し自身で設立した貿易会社ハンター商会を振り出しに事業家として活躍しました。日立造船の前身である大阪鉄鋼所も氏が創設した会社です。一族の企業グループは後に範田財閥とも呼ばれ三井や三菱と並ぶ勢いを誇っていました。
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建物の美しさを引き立たせる手入れの整った前庭。
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玄関は西の端に設けられていますが建物に比べて小規模な造りです。
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北野の高台に建てられた洋館の多くは海に面した南側にテラスを設けていました。きっとこの建物も大きなテラスから港を一望の下にしていた事と思います。
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テラスの内側の様子
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かっての姿を再現した室内の様子。調度品や家具類も当時を偲ばせる物です。
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北野に建てられた多くの洋館は時代の進行と共に減少の一途を辿ります。外国人貿易商と言う言葉も死語となった今日では実際に居住の途にある洋館はほんの一握りとなってしまいました。観光施設となって存続を図れた洋館はまだしも幾つかの洋館は主の無いまま放置されてしまったり取り壊して他の用途建物に替えられてしまっているのが現状です。
この建物の様に自治体が所有者となって他所に移築される例は以前は多く見られました。自治体によるこうした建造物の保存が積極的に推進される事を望みたいのですが、昨今の財政事情からは難しくなっているのでしょうか…・。
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*灘区の近代建築は今回でひとまず終了。次回からは中央区の近代建築を巡ります。

by sunshine-works | 2007-10-29 00:24 | Trackback | Comments(0)
2007年 10月 24日
旧関西学院チャペル
神戸灘区の近代建築その17

灘区の西の端に競技場や動物園を含む大きな公園があります。現在は王子公園となっているこの一帯は明治22年に関西学院が設立され昭和4年に西宮市上ヶ原に移転するまで校地となっていた場所でした。学院移転後 レンガ造の校舎群は取り壊されましたが唯一当時の建物が現存しています。この建物は関西学院時代にチャペルとして建てられたもので寄贈者に因んでブランチ・メモリアル・チャペルと呼ばれていました。明治37年築。設計:M.ウィグノール
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中央の塔を境に東西方向と南北方向に二つの妻屋根の建物が伸びています。塔の基部には玄関が設けられています。
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原田の森と呼ばれていたこの一帯は松林と畑が広がる田園地帯で人家も疎らな辺鄙な場所でした。やがて開墾作業から始めたキャンパスの整備が進んでいくと徐々に学校の体裁は整っていきます。明治後期にはレンガ造りの校舎が並ぶ美しいキャンパスが完成していました。周辺環境も国鉄灘駅の設置や市電の延伸によって市内中心部と数分で結ばれたことで都市化が進みのどかな風景も過去のものとなっていきました。
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妻面は三連のアーチを並べ、大きく石でアクセントのラインを引いています。
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東側の面は建物の裏にあたります。長いレンガ壁に縦長の並ぶ窓が美しい眺めです。
連続するアーチ窓もキーストーンを白い石として飾っています。よく見ると窓ガラスの縁には透かし模様があります。
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建築年度を記した石碑が嵌め込まれています。
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玄関とその内部の様子です。シャンデリアは復元された物のようです。
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開学時に神学部と普通学部だけだった小規模な学院はその後拡充を重ねていったのですが大学昇格に向けて(当時はまだ大学令法での大学ではありませんでした)更なる校舎の増設を図るにはもはやこの原田の森の校地は手狭でした。加えて周辺環境も利便性と引き換えに世俗化しており教育環境として最適とは言い辛くなっていました。このような状況の元、学院は移転を決意します。都心から郊外への移転となった事で地価の売却差益で新校舎の建設費用も充分捻出でき大学昇格の準備も進む事となります。*移転先の西宮上ヶ原の新校舎については当ブログで紹介しています。
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唯一残されたこのチャペルですが学院移転後は様々な変遷を重ねていきます。跡地一帯の所有者となった阪急電鉄から昭和15年に神戸市に売却されたのですが戦時中の空襲で尖塔を失い屋根も抜けた状態となってしばらく放置されていました。その後は昭和31年に博覧会施設になったのを手始めに様々な文化施設に利用されて行きます。失われたままだった尖塔も平成5年に復元されました。現在は神戸縁の文学資料を展示する神戸文学館となっています。
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東京や京都の大学の多くは旧武家屋敷や寺社地を利用できた為に都市部に広い校地を得ることが出来ました。神戸は市街地が狭く充分な土地が入手できない為にかなり早い時期から大学の郊外移転に取り掛かります。すでに紹介した神戸大学神戸女学院も昭和初年度に郊外移転を図ります。それぞれの移転先は学校の発展と共に整備され教育の場として理想的な環境となっていきます。閑静な文教地区となって大学と共栄している街並みを見ると郊外への移転は大成功だったと思います。
(…現在の大阪や神戸の街が寂しくなっているのは市街地に大学が無く若者が少ないからとも考えられますが…)
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by sunshine-works | 2007-10-24 22:28 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2007年 10月 20日
神戸高校本館
神戸灘区の近代建築その16

さらに灘区を西へ進みます。阪急電鉄王子公園駅方向から続く坂の上に県立神戸高校が見えてきます。神戸尋常中学校として創設された神戸市の中でも古い歴史を誇る公立の名門校です。この校舎は近年に建て替えられたのですが玄関を含む一角は創建時の建物がそのままの形で残されています。昭和13年築(平成13年改築) 設計:兵庫県営繕課
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坂を登っていくと最初にこの印象的な正面ファサードが見えてきます。
高校(開校時は旧制中学校)の校舎なのですがまるで西洋の城郭を連想させるデザインです。(在校生には実際にロンドン塔と呼ばれていたそうです。)
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玄関周りと正面外壁と構造部分を残して後ろ側の新造部分に繋げています。以前紹介した芦屋警察署の建替え時と同様な手法で施工されています。因みに芦屋警察署も兵庫県営繕課が設計したものです。(両方の建物ともに建替工事も兵庫県営繕課が施工しています)
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三連のアーチが連なる玄関入口や3階の大きなアーチ窓、両サイドや塔屋に張り出した小塔など中等学校の校舎とは思えない豪奢で凝った造りです。
神戸高校のホームページによると同校が理想としたイギリスのパブリックスクール精神を体現する為にあえて城郭の様なデザインとしたそうです。
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この部分が新旧の建物の繫ぎ目です。
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老朽化したこの校舎の修復を巡っては建替え・保存の両面が検討されました。
震災で大きな被害を受けた兵庫県としては古い建物に対して慎重な態度をとらざるを得ないのでしょう。耐震強度が疑わしい物は建て替えてしまう方が確実で間違いがないとの判断で当初は取り壊し案が優勢でした。大勢が利用する学校施設なのでより神経質になった様です。実際に検証してみるとコンクリートの強度は現在の規格を上回る丈夫さを示し補強で充分対応が可能とのことから最終的にこのような形で部分保存されました。
しっかりと造り込んだ当時の施工業者の腕の確かさが実証された形となりました。

老朽化した建物の保存・再生の方法は様々に試みられています。新旧の建物を繫ぎ合わせるこの方法はそれこそ木で竹を接いだような不自然な物になりそうにも思えますが意外と違和感なく仕上がっている例が多いようです。組み合わせ処理の巧みさもあるのでしょうがオリジナル部分が素材として優れていた事も重要なポイントだと思います。
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by sunshine-works | 2007-10-20 12:20 | 近代建築 | Trackback(1) | Comments(0)
2007年 10月 16日
旧大谷邸(神戸大学ロイ・スミス館)
神戸灘区の近代建築その15

阪急電鉄の線路の北側、六甲山の南側の斜面に沿って住宅地が連なっています。六甲駅から西方の篠原地区も山合いに広がる閑静な住宅地区で坂の途中からは神戸の街並や港の美しい景色が望めます。この篠原地区の一角、六甲山から流れてくる都賀川に沿った坂を登りきった所に1件の洋館が建っています。当ブログでも以前に幾つかの作品を紹介した清水栄二が設計したスパニッシュ様式の邸宅です。昭和11年築。
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元々は貿易商であった大谷茂氏の邸宅でした。その後持主は移り変わり現在は神戸大学の後援会事務所として使用されています。ロイ・スミス館と呼ばれていますがこの名の由来については神戸大学のサイトに詳しい情報があります。
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設計者の清水栄二は神戸市営繕課の出身で阪神間で公共施設に多くの作品を残していますが個人住宅も幾つか手がけています。東灘区の高嶋平介邸も現存する清水栄二設計の邸宅として知られていますがこの旧大谷邸とはかなり作風が異なります。
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門を入ると建物の東端に設けられた半円形の大きな庇と玄関ポーチが迫ります。個人邸の玄関としてはかなり広々とした造りになっています。
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この建物の見所の一つが随所に取り付けられているステンドグラスです。一部分に象徴的に使われているのではなく主要な部分各所がステンドグラス仕様になっています。
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その他の窓はそれぞれ異なったデザインの格子で飾られています。
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東の端には日本間が設えてあります。
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この箇所は丸柱を二本並べています。デザイン的な表現なのかあるいは構造上の必要性からなのでしょうか。清水栄二は他の物件でも丸柱を意匠的に使う例が見られます。
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建物裏側
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昭和初期にアメリカ経由で伝わったスパニッシュ様式は住宅から学校建築、大型ビルにいたるまで大きな流行となりました。四季があって湿っぽい日本の風土にカリフォルニアを連想させるスパニッシュ建築は馴染まない様な気もしますが素朴で温かみのある雰囲気に親近感を持ったのかも知れません(因みにこの時代に流行を見せたのはアメリカと日本だけでヨーロッパ各国には伝播しなかったようです)。
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スパニッシュ様式の設計者としてはW.M.ヴォーリズの名が知られていますが当時の建築家の多くがこのスタイルで作品を手掛けています。但し清水栄二もそうなのですがスパニッシュスタイルに特化した設計者はヴォーリズの他はあまりいない様で、あくまでも自身の作風の巾を広げる試みとして取り組んでいた感があります。
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大きなブームとなったスパニッシュ様式ですが結局は他の建築様式同様に戦後のモダニズム建築の波に飲み込まれていってしまいます。最近になってこのスタイルは個人住宅を中心に復活の兆しを見せています。瓦屋根やスタッコと呼ばれる塗壁の風合いが日本人の嗜好に合っているのでしょうか。
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by sunshine-works | 2007-10-16 20:34 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2007年 10月 12日
六甲中学 本館(六甲学院中学・高校 本館)
神戸灘区の近代建築その14

六甲ケーブルで麓へ戻ります。ケーブル下駅から神戸大学を抜けて西へ進むと神戸松蔭女子大学、その先に六甲学院中学・高校の校舎が建っています。この建物も神戸大学同様に急峻な斜面の棚地に建てられています。一見すると近年の建築物に見えますが昭和16年に建てらたものです。
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六甲学院は創立70年を越える歴史を持つカトリック系(イエズス会系)の私立男子高校で阪神間では有数の進学高として知られています。昭和13年に六甲中学校として当地で開学し昭和16年に現在の鉄筋コンクリート造の校舎が建てられました。昭和16年が太平洋戦争開戦の年でもあった事を思うとよくぞこれだけの規模の校舎が建ったと思います。(統制により大規模建造物の建設は規制を受けていました。)カトリック系の学校ゆえに軍部から睨まれていたそうで学校関係者の苦心も相当な物だったようです。
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鉄筋4階建ての長大な校舎ですが戦後に左右を増築しています。(一段張り出している箇所が増築部分と思われます)
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戦後の学校建築に一般的に見られるモダニズム建築のスタイルです。機能を優先し装飾を廃したいわゆる「コンクリートの四角い箱」ですが玄関部分と正面中央のファサードに控えめな装飾表現が見られます。時代背景を考えれば設計側として精一杯の主張だったと思います。
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さほど時代を感じさせない外観ですが内部はなるほど戦前に建てられた校舎である事が伺えます。
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曲線のラインが美しい階段手摺。
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建物西側部分
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裏側の様子
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大正期に現れたモダニズム建築(様式主義に対してのモダン建築)ですが一般的に広まっていくのは戦後になってからのことです。昭和初期にはそれなりの流行を見ましたが戦時体制によって建築全体が停滞したことにより本格的な普及は戦後復興を契機とした昭和20年代以降になります。経済発展にともなって続々と生み出されていく戦後建築のほとんどが今日一般的に見られるいわゆる「コンクリートの四角い箱」でした。特に学校建築は機能優先の立場とコスト重視の面からこの流れに従っていきました。
戦前にも幾つかの学校建物にはモダニズム建築で建てられたものがありました。この六甲中学の校舎もその一つですが昭和16年という建築時期を考えると戦前の最終期の建物であると思われます。

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by sunshine-works | 2007-10-12 18:17 | 近代建築 | Trackback | Comments(4)
2007年 10月 08日
六甲山ホテル旧館
神戸灘区の近代建築その13

交通アクセスが整いリゾート開発が進んでいく中で、それまで本格的なホテルが無かった六甲山にもホテルが建てられるようになります。六甲山の開発に鎬(しのぎ)を削っていた2つの鉄道会社の一つ阪神電鉄によって昭和9年に六甲オリエンタルホテルが、それに先立つ昭和4年に阪急資本の手によりこの六甲山ホテルがオープンします。六甲山ホテルはその後に新館が建てられましたが開設時の建物が旧館として現存しています。設計:古塚正治

設計者の古塚正治は阪神間を中心に多くの建築を手がけています。この六甲山ホテルは同じ阪急系列の宝塚ホテルの分館として建てられたのですが宝塚ホテルも古塚の作品です。
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高原リゾートらしく山小屋風の建物。アルプスの保養地にありそうなデザインです。
木造の骨組を表面に見せるハーフティンバーと呼ばれる技法が使われています。
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鬱蒼とした樹木が周囲を取り囲んでいて良いアングルで写真が撮れません。
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玄関部分です。現在は閉ざされていますが当時のまま残されています。
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色硝子が鮮やかな玄関扉
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建物裏側。左側の駐車場への出入り口は後年の物です。
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ホテル内部。大きく張り出した木製の梁と連続するアーチが特徴的です。
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山上への交通機関が整備されホテルも開設された事で六甲山はますます便利な避暑地となっていきます。夏場はホテルを住まいとし大阪・神戸へ通う人もいたそうです。
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ケーブルカーやバス・電車を乗り継いで1時間以内で神戸や大阪から行ける便利な高原リゾート地になった六甲山ですが、その近さ故に東の代表的な避暑地軽井沢に見られる夏場に都市機能がそっくり引っ越して来る様な町並みは形成されませんでした。商業施設も文化施設も、僅か数十分で降りられる麓へ行けば幾らでも在ったのですから、さほど不自由を感じなかったのでしょう。他の理由として山上に建てられた2つのホテルがそれらの代替として機能していた事も見落とせません。
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by sunshine-works | 2007-10-08 14:43 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2007年 10月 04日
旧小寺家山荘
神戸灘区の近代建築その12

六甲山は明治年間に外国人によって避暑地として開発されましたが次第に日本人もこの地に別荘を建てる様になって行きました。本格的な高原リゾートでありながら大阪・神戸から短時間で行くことが出来るので阪神間の格好の別荘地となりました。阪神電鉄や阪急電鉄による積極的なリゾート開発もあって昭和初期には山上の各所に別荘が建てられていきます。
神戸ゴルフ倶楽部の程近くに建てられたこの建物は関西学院大学教授小寺敬一氏の山荘として昭和9年に建てられたものです。灘区住吉に現存している小寺氏の本宅と同様、W.M.ヴォーリズが設計しています。
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木造平屋・寄席棟・下目板張りの小ぶりな建物です。避暑を目的とするため北側に向けて建てられています。
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70年以上経過している木造建築ですがかなりの部分が建築当初の状態で残されています。窓や敷居も当時そのままの木製の物が使われています。
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北側に面して造られた庭。石を敷いたテラスになっています。
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室内からの庭の景色
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山荘らしい天井のつくり
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家主が代わり用途も変われば改装されてしまうことが多いのですがこの様にオリジナルの状態が保たれている事は稀な事例です。古い建物は用途に合わせ手を加えながら延命させていくのが通例となっていますが当初のまま使い続ける事が最良であるのは言うまでも無いでしょう。
(施工時にしっかり造られているので長年の使用に耐えられている事も理由の一つです)
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小さな入口は南側に配置されています。
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こちらは西側の面
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こちらは東側
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その後山荘の所有者は移り変わり甲南女子大学のセミナーハウスとして長く使われていましたが2002年から閉鎖されておりその行く末が気になるところです。現在NPO法人であるアメニティ2000協会がこの建物を存続させるべく活動を行っています。(将来的には買取って保存する予定との事です)
資料的価値の高いこの山荘を保護する地道な活動が成功する事を期待したいと思います。
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by sunshine-works | 2007-10-04 13:40 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)