カテゴリ:近代建築 香川県( 38 )

2012年 01月 25日
三架橋
香川県観音寺市の近代建築その2

讃岐山地を発して三豊平野を西流し瀬戸内海に注ぐ財田川の河口近く、観光名所の琴弾公園の手前に三連のアーチ橋が架かっています。日本百名橋にも選ばれたこの橋は、四国では珍しい鉄筋コンクリート橋として昭和10年に架けられました。
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観音寺の中心市街地から宅間方面へ伸びる街道が財田川を渡る箇所に架けられた三架橋は、西讃の中心都市だった観音寺の交易を支える橋として代々重要な役割を担うと共に、町の中央を貫く財田川を彩る景観の要としても親しまれていた橋でした。
木橋だった旧橋の架け替えに際しては、三連の太鼓橋だった江戸期の橋の姿を再現するようなコンクリートアーチ橋が採用され、ランドマークとしての橋の役割を考慮した美しい橋となりました。
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コンクリート橋は歴史としては古くからあるものですが、近代橋梁としてのコンクリート橋は鉄筋コンクリート技術が確立された大正期以降に普及していきます。当初はそれまで石や煉瓦で造られていた上路アーチ橋の素材をコンクリートで置き換えたものが殆どでしたが、橋梁技術が進むにつれてこの様な下路式のコンクリートアーチ橋が開発されます。
特に戦時色が強まる昭和10年代には、鉄材の不足を補う目的で導入されて行きました。
昭和10年に架けられた三架橋が鉄筋コンクリートアーチ橋となった経緯にもこの様な理由があったと推測されます。
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橋上に滑らかな曲線を描くアーチ部分。コンクリートアーチならではの優雅さです。
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旧市街地を抜けた先から橋の南詰を眺めます。橋の向こうは寺社が建ち並び、古くから市が立てられた賑やかな一角でした。
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by sunshine-works | 2012-01-25 22:28 | 近代建築 香川県 | Trackback | Comments(0)
2011年 12月 21日
旧三豊郡農会農事試験所
香川県観音寺市の近代建築その1

観音寺市の北西、財田川沿いに開かれた名勝琴弾公園。この敷地の一角に観音寺市郷土資料館が置かれています。この建物は大正3年に旧三豊郡農会農事試験場として建てられたもので、その後は産業勧業館、市立博物館を経て昭和52年から現在の郷土資料館として使われています。
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明治中期から近代農法の研究開発機関として全国各地に農事試験場が設立されていきます。香川県西部の中心だった旧観音寺町にも大正3年、この建物を本館とする県立農事試験場が設置されました。
農事試験場として使用されたのは10年程の短い期間でしたが、その後は各種の公共施設に転用される事となります。竣工から90年を超える今日も創建当時の木造2階建・漆喰壁に和瓦を噴いた寄棟屋根を載せる本館と、その背後に建つ木造平屋建の展示館が現存し、郷土資料の収蔵及び展示施設として使われています。
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規模としては小さな造りですが、大正時代の庁舎・役場建物に相応しい格式や風格を備えた、地方における優れた公共建築の一例です。大きな改装もなく、竣工当時の姿を良好に留めています。
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本館建物は完全な洋館建ではなく、骨組みに和風の小屋組を用い、屋根には和瓦を葺く等、伝統工法を基本にした和洋折衷のスタイルですが、セセッションの影響も感じさせるモダンな意匠となっています。中央に切妻屋根を持つ庇を大きく張り出し、建物上部には玄関庇に合わせた三角破風を設けます。
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花崗岩の基礎の上に組んだ木桁で和風の庇を支える玄関ポーチ。
玄関の左右には縦長の大きな窓が並びます。
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小さな石段を上って館内へ
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ほぼ当時の姿が保たれている館内。何度か用途が変更される度に改装を重ねましたが、現在は竣工時の姿に復されています。
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2階の資料室に繋がる階段。
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2階の窓からは裏手に並ぶ展示館の特徴的な越屋根を窺うことが出来ます。
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本館の裏口。ここから裏手の展示館へ繋がります
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渡り廊下で展示館へ移ります。
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展示館内部。天井に設けられた明り取り用の窓から日差しが差し込みます。
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各地に数多く建てられた農事試験場建物は現存例も多く、様々な時代の建築様式を見て取る事が出来ます。この旧三豊郡農会事務所も大正初期の地方公共建築の姿を今に伝える資料として貴重な建物と言えます。
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by sunshine-works | 2011-12-21 23:55 | 近代建築 香川県 | Trackback | Comments(0)
2011年 12月 17日
旧粟島航海学校校舎
香川県三豊市の近代建築その2

三豊市詫間から連絡船で15分程の沖合いにスクリューの形をした小さな島があります。
この粟島は江戸期より海運の島として栄え、明治に入るとその伝統を受け継ぐ形で海員学校が置かれました。
海員学校は幾度か変遷を経た末に昭和62年に廃校となりますが、敷地はリゾート施設に転用され、大正9 年に建てられた本館と教室棟の一部が残されています。
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この校舎は県立粟島航海学校時代の大正9年に建てられました。
煉瓦の基礎に下見板張の外壁が組まれ、壁面に大きなガラス窓が並びます。1階と2階は明確に軒蛇腹で区切られ、屋根は和風の桟瓦が葺かれます。
様式美と機能美を備えたこの時代の学校建築らしい重厚な意匠です。
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正面玄関の詳細。
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本館の裏面です。
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館内は見学自由。この入口から館内へ入ります。
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時間が止まったような校内廊下。懐かしい木造校舎の雰囲気を今に伝えます。
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廊下は更に奥へと続いてその先の教室へ繋がります。
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教室内部です。大きな窓ごしに美しい海の景色を望みます。
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北側の窓から中庭越しに本館を見据えます。
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この階段から2階へ。
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本館2階の講堂。
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庭園として整えられた中庭。当時の生徒達が設えたものです。
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教室棟の側面。
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こちらは裏庭からの眺め。
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各地に設置された船員学校ですが、その後はコンテナ船への移行や外国人船員の増大によってその役割は次第に薄れて行き、半数以上が廃校となってしまいました。
往時の姿を留めるこの校舎は、日本の海運業の根底を支えた海員学校の現存例として貴重な存在となっています。
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by sunshine-works | 2011-12-17 00:59 | 近代建築 香川県 | Trackback | Comments(0)
2011年 12月 13日
旧丸岡呉服店
香川県三豊市の近代建築その1

2005年に周辺町村が合併して誕生した三豊市の真ん中、三野町下高瀬の一角に1棟の洋風建物が建っています。現在下高瀬簡易郵便局として使われているこの建物は呉服店として昭和10年に建てられました。
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木造モルタル2階建て、正面外壁にタイルを貼り、中央上部にはメダリオンを飾った破風を立ち上げます。
地方の小さな町の店舗とは思えない装飾豊かで意匠に優れた建物です。
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破風のメダリオンには屋号の紋が刻まれます。
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玄関の両翼に設けられた張り出し部分。現在は向かって右手側が郵便局、左手側は住居として使われています。
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表面に貼られた化粧タイル。つるっとした表面に細かい模様が浮き彫りされています。
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下高瀬の中心集落に位置しますが、周囲の殆どは和風の民家。店舗が立地するような商業地域には見えません。
かつては多くの店舗が並ぶ一角だったのでしょうか。
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細い路地に面した側面。側面はタイル貼りではなく、掻き落としのモルタル壁で仕上げています。
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再度正面に回って入口付近を窺います。
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一部手直しはされているようですが、良好に竣工時の姿が保たれており、地方に於ける優れた店舗建築として価値の高い建物です。
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by sunshine-works | 2011-12-13 20:38 | 近代建築 香川県 | Trackback | Comments(0)
2011年 08月 30日
山本医院
香川県多度津町の近代建築その4

旧楽天堂医院の通りを挟んだ向かい側に建つ山本医院は昭和元年に建てられました。築85年を過ぎた今日も現役の医院として使われています。
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この山本医院と向かい合う旧楽天堂医院はどちらも同規模の医院建築ですが、築年には15年の隔たりがあります。それぞれの時代の特色が良く表現されている二つの建物からは、この間の建築スタイルの変遷を伺う事が出来ます。
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モルタルの表面を荒らした洗い出し仕上げの外壁。縦長窓の上部は切石で飾られています。
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中心から右に寄せて設けられた玄関。真っ直ぐ突き出た庇がモダンな印象です。
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玄関上部に乗せられたペディメントは両脇に繋がるパラペットと共にこの建物を美しく飾ります。
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高松や坂出に比べて小さな町だった多度津ですが、この山本医院や旧楽天堂医院に見られるように当時流行の建物が逸早く建てられる、文化的に先進的な町だったようです。
通りを挟んで向かい合うこの二つの医院は四国の交通の要衝として栄えた多度津の当時の繁栄を偲ぶ建物として貴重な遺産となっています。
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by sunshine-works | 2011-08-30 23:45 | 近代建築 香川県 | Trackback | Comments(0)
2011年 08月 26日
旧楽天堂医院
香川県多度津町の近代建築その3

多度津の旧市街地を貫く大通りを北東方向へ程なく進むと、以前紹介したJR多度津工場が見えてきます。この入口前の一角には大正、昭和各時代の2軒の医院建築が通りを挟んで向かい合う様に建てられています。今回と次回は多度津を代表するこの二つの近代建築を紹介します。

通りの南側に建つ旧楽天堂医院は大正元年築。医院が移転した後は事務所として使われましたが、現在は空家となっているようです。
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各面に配されたアーチ窓、ペディメントや軒を飾るメダリオン、軒蛇腹の上に大きく立ち上がるパラペット、コリント式オーダー柱が支える正面入口の重厚な庇等々、各所に豊かな装飾表現が施されています。
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コリント式オーダーの柱頭。一見石造に見えますが、木彫で作られています。
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玄関庇の内側
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建物正面と入口周り
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通りの向かい側に見えるのは次回紹介する山本医院
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モルタルスタッコ塗りの壁面と木製の窓枠。竣工当時から殆ど手が加えられていないと思われます。
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香川県の近代建築の中でも大正初期の本格的な洋館建築の現存例として貴重な建物ですが,随所に傷みが目立ち荒れた状態なのが気になります。中心街のコーナーの目立つ場所に建つだけにこのまま放置するには勿体無い気がします。
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by sunshine-works | 2011-08-26 02:36 | 近代建築 香川県 | Trackback | Comments(3)
2011年 07月 31日
予讃線 中津川橋梁/予讃線旧線 岩屋架道橋
旧讃岐鉄道の遺構

四国旅客鉄道(JR四国)の母体となった讃岐鉄道は多度津を基点に琴平・丸亀を結ぶ路線として明治22年に開業、その後高松まで路線を伸ばし現在の土讃線・予讃線の元となりました。
開業120年を経た旧讃岐鉄道時代の施設の多くは架け替えや路線の変更により更新されていますが、それでも多度津近郊には讃岐鉄道に由来する鉄道遺産の幾つかを確認する事が出来ます。
これらの中から当時のままの煉瓦積橋脚が残る橋梁と石積アーチの旧架道橋を紹介します。

多度津~讃岐塩屋間の中川を渡る中津川橋梁。現存する開業時の橋梁は橋脚を持たない小さな橋ばかりですが、この中津川橋梁は4基の煉瓦橋脚を持つ規模の大きな橋です。
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この中津川橋梁を含め、讃岐鉄道の多くの橋梁にはフランス積で組まれた煉瓦や切石の構造物が使われています。フランス積はイギリス積と共に建築物では広く使われていた工法ですが、強度に劣る事から鉄道施設に用いられた例は少なく、フランス積の橋脚は全国でも少数しか現存していません。
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橋脚だけでなく両側の橋台もフランス積の煉瓦構造物が当時の姿で残っています。
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煉瓦橋脚の上を渡る4連のプレートガーダー桁。開設当初の物ではありませんが、昭和3年に作られた古い桁です。
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丸亀~坂出間の路線は瀬戸大橋線の開通に伴って路線が変更され、旧讃岐鉄道時代の路盤は撤去されていますが、宇多津市内には旧線の築堤がそのまま残された箇所があります。ここには讃岐鉄道開設時に設置された石積の架道橋が当時の姿で保存されています。
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地元産の花崗岩を積んだ半円アーチ拱渠。車一台が辛うじて通れる程の幅、奥行きも短い小さな構造物です。全国各地にある同種の拱渠の多くは煉瓦と切石を併用していますが、この岩屋架道橋は全て花崗岩で造られています。
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細密に石を組んだ内壁。古くから花崗岩(庵治石)の産地として知られる讃岐の優れた石工の技が活かされています。
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反対側の坑口。
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by sunshine-works | 2011-07-31 19:06 | 近代建築 香川県 | Trackback(1) | Comments(0)
2011年 06月 29日
JR四国 多度津駅給水塔
香川県多度津町の近代建築その2

予讃線と土讃線の分岐点となる多度津駅は現在のJR四国の駅としては最も早い明治22年に開設され、120年を経た今日に至るまで四国の鉄道網の要として重要な役割を果たしてきました。この多度津駅には戦前から続く機関区が併設されていますが、この構内にはSL時代の名残りを示す2基の給水塔が現存しています。
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駅の西側、善通寺方の線路脇に2基の給水塔が並んでいます。煉瓦製の給水塔は大正2年頃の築、鉄骨製の給水塔は昭和初期または戦後すぐの築と言われています。
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この煉瓦製の給水塔は多度津駅が現在地に移された大正2年に建てられたものと思われます。煉瓦を直径5メートルの円形に組み、上部にコンクリートの貯水槽を乗せています。
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本来が実用本位の施設として建てられた物ですが、頂部には御影石の傘石を巡らせ、円筒形の煉瓦壁に設けられた窓と出入口の縁に切石を嵌める等、装飾的にも凝った造りとしています。
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出入り口の扉は失われ板で塞がれています。
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円筒部分の頂部に傘石が載せられ、その上に貯水槽が置かれます。
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使われなくなった給水管がそのまま残されています.
周辺は廃材置き場となっており、由緒ある施設にしては些か勿体ない使われ方です。
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隣接する鉄骨製の給水塔。正式な築年は不明ですが、昭和前期の物と思われます。
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古レールを組み合わせた骨組みの上に鋼板を繋いだ貯水槽を据え、八角形の屋根を載せます。
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隣り合う煉瓦の給水塔とは対照的に非常に簡素な構造です。この給水塔が建てられた頃はこの種の施設はどれも概ね装飾要素が省かれていました。
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蒸気機関車全盛期には各地の機関区にこの様な給水塔が設けられていましたが、四半世紀を過ぎた今日、現存する物は僅かな物となってしまいました。この多度津駅の様に異なる年代の特色を示す給水塔が当時のまま残されている事例は全国的にも珍しく、鉄道遺産として貴重な資料となっています。
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by sunshine-works | 2011-06-29 21:46 | 近代建築 香川県 | Trackback | Comments(0)
2011年 06月 25日
JR四国 多度津工場構内の建物群
香川県多度津町の近代建築その1

現在のJR四国の母体となった旧讃岐鉄道は明治22年に開通した多度津港から琴平を結ぶ路線に始まります。讃岐鉄道の路線はその後更に延伸され、国有化された後に予讃線、土讃線へと発展していきます。
この多度津には讃岐鉄道発足と同時に車両工場が設けられ、旧山陽鉄道~旧国鉄を経て現在のJR四国に受け継がれています。今回はこのJR四国多度津工場構内に残る戦前築の建物を紹介します。
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正門を抜けて暫く進むと見えてくるこの建物は事務所棟として昭和10年に建てられました。現在は鉄道資料の展示室として使われています。
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その奥には車両整備用の工場建物が並びます。鉄骨の骨組みに波板トタンを張ったこの典型的な工場建物は昭和16年に建てられました。
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隣接するこの倉庫は昭和11年の築。
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戦前に建てられた工場で唯一鉄筋コンクリート造となるこの建物は当時の多度津工場で最大規模の物でした。昭和6年築。
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内部には当時のままの鉄骨トラスが残ります。
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奥に連なる鉄骨トタン貼りの工場建屋。
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敷地の中程にある小さな建屋。2層を繋ぐ縦長窓が特徴的なモダン建築風の建物です。
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大きなドーム屋根を持つこの建物は愛媛県にあった旧海軍の西条飛行場で格納庫として建てられた物です。戦後の昭和23年に移築され、食堂として使われています。
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多度津工場発足時に建てられ唯一残る倉庫建物。外壁は葺き替えられていますが、内部の骨組みは当時のまま残されています。
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全国の旧国鉄車両工場の中でもこれ程多くの戦前築の工場施設が現存し、今尚活用されている例はありません。この多度津工場の工場施設は四国の鉄道の歴史を伝える貴重な資料として近代化産業遺産に認定されています。
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by sunshine-works | 2011-06-25 00:42 | 近代建築 香川県 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 31日
旧陸軍第11師団兵器庫
香川県善通寺市の近代建築その7

善通寺市内に残る旧軍の遺構、最後は第11師団の倉庫として建てられた煉瓦建物を紹介します。
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現存する煉瓦倉庫は全部で3棟、資料によると逐年はそれぞれ明治42年、同44年、大正10年とされています。師団の兵器庫として終戦まで使用され、その後陸上自衛隊が同種の用途で引き継ぎました。
市の中心部の大通りに面し、広大な駐屯地の中で最も目に付く建物となっています。
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大正10年築のこの倉庫の全長は約100m、巨大な建物の強度を図る工夫が施された為他の2棟とは細部がやや異なっていいます。
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明治期に建てられた2棟は同規模・同規格で造られています。各地に建てられた旧軍の煉瓦倉庫と共通点が多く、当時の標準規格に基づいて設計されたものと思われます。
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正門を挟んだ南隣にほぼ同じ建物が並びます。こちらは明治44年築。
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善通寺へ至る大通りに面して建つ2棟の煉瓦倉庫。軍都善通寺の象徴とも言える景色です。
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各地に残る旧軍施設の中でも、煉瓦倉庫はその堅固な造り故に今尚現役で使われている例が数多くあります。中でもこの善通寺兵器庫は転用事例に見られる改装やリノベーションが皆無で、当時の状態が良好に保持された明治・大正期の旧軍建物の概要を知る上での貴重な資料となっています。
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by sunshine-works | 2011-05-31 23:28 | 近代建築 香川県 | Trackback | Comments(0)