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2012年 11月 02日
生野鉱山関連の産業遺産1
朝来の近代建築その4

岩美と並ぶ銀山として知られる生野鉱山の歴史は、平安期に遡るとも言われています。本格的に開発された室町時代以降は諸大名や幕府の財政を支え、明治以降は官営鉱山として近代日本の発展に多大な貢献を果たします。
その後三菱に払い下げられた後もおよそ80年に亘って主力鉱山として銀、銅、亜鉛その他を産出し、昭和48年の閉山まで日本を代表する鉱山としての地位を保ちました。
朝来の近代建築巡りは今回から3回に亘ってこの生野鉱山関連の近代化遺産を紹介します。
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長い歴史を持つ生野鉱山は新たな鉱脈を求め時代と共に様々な箇所に坑口が開けられました。閉山時に主坑として使われていたこの金香瀬抗は明治5年に開削されたもので、西洋技術を導入して鉱山近代化が図られた最初期の構造物です。
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生野鉱山に近代採鉱技術を伝えたのは政府が明治初年にフランスから招いた技師団でした。
コアニエとムーセを中心とした技師団によって、この坑口をはじめ坑内施設や付帯設備の殆ど全てが西洋式の規格に更新されていきます。
近代化を果たした生野鉱山は、「マザーマイン」としてその後の日本の鉱山技術を先導する役割を担っていきます。
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観光施設として公開されている坑道の一部。江戸期から昭和までの各時代の坑道を見る事が出来ます。
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現在は観光施設となっている旧生野鉱山の入口には、ここから西方へ2キロ程離れた場所にある生野支庁(選鉱~精錬を経て地金に加工する工場)に設置されていた正門柱が移設されています。
花崗岩を積み上げた重厚な造りのこの門柱も明治初期に設置されたもので、昭和52年に当地に移されています。
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門柱は大小それぞれ2本ずつ。内側の大きな門柱の間が大門、その両脇に脇門が設置されていました。門柱に飾られた菊の御紋は明治の一時期に生野鉱山が宮内省の直轄だった名残です。
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山合いに開けた鉱山町生野は、近代化された生野鉱山の躍進とともに隆盛を極め、充実したインフラ・生活環境の下で豊かな文化を育みました。
現存する生野鉱山や関連施設の遺構は、日本の貨幣基盤を支えた産業遺産として極めて重要な存在です。
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by sunshine-works | 2012-11-02 20:36 | 近代建築 兵庫県 | Trackback | Comments(2)