2008年 09月 04日
神戸兵庫区の近代建築その3 奥平野から住宅街を抜けて西へ進みます。神戸から有馬へ抜ける国道428号線(有馬道)が山並に接する平野周辺には古い町並みが今も残っています。このあたりは市街地の北の終端で、かって敷かれていた神戸市電はこの平野が折り返し地点となっていました。 この有馬道が平野交差点に差し掛かる手前に無骨なコンクリート造の大きな建造物が建っています。この変電所は現在の神戸市交通局の前身、神戸市電気局の時代に建てられ、その後関西電力に引き継がれました。 神戸の電力事業は日本で2番目の電力会社である神戸電燈株式会社によって明治22年に始まります。電力事業はその後神戸市の市営事業に移管され、配電と路面電車(神戸市電)を管轄する神戸市電気局に発展します。この変電所は神戸市電気局が大正7年に設置した有馬道変電所を昭和5年に建て代えた際の建物です。 当時の神戸市では路面電車と配電が同一事業者によって営まれていた関係から、神戸市電気局の変電所は民生用、鉄道用、更に両者兼用の施設が存在していました。この変電所は市電平野線の終点近くに位置し、軌道敷のすぐ脇に設けられている事から、路面電車用の変電施設、または民生用との共用施設として設けられたものと思われます。 配電事業は昭和17年に神戸市電気局から関西配電(後の関西電力)に移管されますが、この変電所は引き続き神戸市交通局によって昭和34年まで使用され、その後は関西電力の変電所となりました。 明治・大正期に建てられた水道施設の多くは威厳を誇示するかの様に古典様式の重厚な意匠を纏っていましたが、同様の傾向は電力施設にも伺えます。とりわけ街中に置かれる事が多い変電所には凝ったデザインを施した例が多く見られますが、この有馬道変電所はその最たる物と言えるでしょう。 軒高がある大きな建物です。窓や入り口が無く、色合いが地味な事もあって独特の雰囲気が漂います。 同じ神戸市電気局の施設である旭変電所に似たデザインですが、こちらの方が装飾性に豊むのは築年の差(6年前)かもしれません。 最上部の壁面は外に向かって反りが付けられ軒へ繋がります。 他の大都市がそうであった様に、神戸市電もモータリゼーションの波に呑まれて昭和46年に廃止されてしまいます。先進的な車両や高い利用率を誇り、「東洋一」とまで言われた神戸市電を偲ぶ物の中で、最大の遺構はこの変電所かも知れません。
by sunshine-works
| 2008-09-04 21:40
| 近代建築 兵庫県
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Comments(2)
いつもきれいな写真で、楽しませていただいております。
わたしは、平野が生家ですので、このあたりは遊び場としてうろついておりました。 先月、この近くによったのですが、この建物の山側に「洋服会館」と呼ばれていた、おそらく戦前の建物があったのですが、解体されておりました。 残念なことですが、仕方ないのでしょうね。 旧神戸市立生糸検査所も保存要望がだされていますが、町中のなにげない建物にも、味わい深いものがあると感じています。
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sunshine-works at 2008-09-08 01:59
ファルコンさんコメントをありがとうございます。
「洋服会館」の解体はつい最近知りました。本来ならこの有馬道変電所の次に掲載する予定でソースも用意していたのですが、残念な結果になってしまいました。元銀行の支店でしたが上手に転用され、「健気に頑張っているなぁ」といった雰囲気が伝わってくる建物でした。 時代の流れなのでしょうが、「久し振りに行ってみると無くなっている」建物が最近増えている気がしますね。 |
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