2015年 12月 29日
京都府舞鶴市の近代建築その5 日露の軍事的緊張が高まる明治30年代初頭、舞鶴では軍港整備と平行して多くの砲台が周辺部に設置されました。 舞鶴要塞と呼ばれた一連の施設は日露戦争終結後も舞鶴鎮守府防備の要として据置かれ、昭和20年の終戦までその任にありました。 これら砲台跡の多くは取り壊されること無く残され、戦後70年を経た今日も山中に朽ちかけた姿を留めています。 舞鶴湾の西岸に設置された3基の砲台の一つ槙山砲台は明治33年に完成。舞鶴湾の入口、狭い水路を見下ろす山の頂上近くに設置され、28cm榴弾砲6門と15cm臼砲4門を装備していました。 なだらかな山道に沿って並ぶ砲側庫。煉瓦を積んで一部をコンクリートで補強し上部に土を盛り上げた構造は、この時代各地に築かれた要塞施設に共通したものです。 尤も、旅順攻防戦に際して他の要塞から多くの備砲が戦地に送られた経緯を察すると、当初想定されたロシア艦隊来襲の可能性は薄いと判断し、特に問題とされなかったのかもしれません。
by sunshine-works
| 2015-12-29 14:43
| 近代建築 京都府
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