2013年 03月 03日
羽淵鋳鉄橋・神子畑鋳鉄橋
朝来の近代建築その9

生野鉱山の近代化を手がけた明治政府は、鉱山の開発と併せて鉱石や資材を運搬する二つの専用道路を敷設します。
積出港の飾磨とを繋ぐ道がまず明治9年に開通し、明治18年には選鉱場が置かれた神子畑とを繋ぐ道が敷かれます。
西洋の最新技術を基に築かれたこの道路は土盛した路盤に小石と砂利を突き固めた堅固な構造で、我が国の産業道路の先駆けとも言われています。
130年を経た今日、当時の路面は失われていますが、神子畑を結んだ道の遺構として日本最初の鋳鉄橋とされる2橋が現存しています。
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現存する鋳鉄橋は羽淵と神子畑の2橋。共にこの街道が敷設された明治18年頃の築とされていますが、設計・施工者や製造元等の詳細は不明です。また神子畑橋は現在も当初の位置に設置されていますが、羽淵橋については水害で流失した後に他所で移設保存されています。
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長閑な景色が続く山あいの一角、県道と併走する神子畑川が交わる地点の路肩に神子畑橋が架かります。さすがに現用としての役目は終え、観光施設として公開されています。
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橋全体は当時の西洋の鉄橋に倣った意匠ですが、親柱には擬宝珠や寺院を思わせる和風意匠が用いられています。
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現存する最古の鋳鉄橋のもう一つが羽淵鋳鉄橋。生野の市街地の北部、和田山と結ぶ県道の傍らに移設保存されています。神子畑鋳鉄橋とはアーチの連数が異なる以外は殆ど同様の規格で造られています。
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親柱の意匠は神子畑橋と全く同じ。高欄の形状は六角形が連なる独自のものです。
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2連のアーチが並びます。中間で支える支柱も鋳鉄製。鋳鉄製の橋脚を持つ橋梁としても希少な現存例です。
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日本に近代橋梁が普及する明治初期は、西洋では鋳鉄橋から錬鉄橋への移行期となっていました。
この為国内に架けられた鋳鉄橋の数は然程多くなく、全て鋳鉄で架けられた橋としてはこの2橋が唯一の現存例とされています。
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by sunshine-works | 2013-03-03 18:25 | 近代建築 兵庫県 | Trackback | Comments(2)
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Commented by 大村洋子 at 2015-08-08 20:41 x
本日、2015年8月8日、横須賀製鉄所150周年記念講演会で、鋳鉄橋のお話がでました。神子畑橋、羽淵橋の技術は横須賀製鉄所由来のものということです。
鮮明にカラー写真で見せていただくことができて、感謝しています。素晴らしいですね。私も行ってみたくなりました。
Commented by sunshine-works at 2015-08-15 10:46
大村様 コメント有難うございます。この2橋は保存状態も良く細部を自由に見ることが可能で、当時の技術を知る上で優れた遺構です。機会があったら是非お訪ねください。


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