2012年 11月 06日
朝来の近代建築その5 生野鉱山の近代化に着手したフランス人技師団は、採鉱施設の近代化と併せて当時先端の精錬法を生野に伝えます。 明治9年、生野鉱山から西方に2キロ程離れた大盛の地に、近代的な洋式精錬所が操業を開始します。 今回は三菱マテリアル生野事業所内に残る明治期の精錬所建物を紹介します。 (*これらの施設は普段は非公開です。見学会に参加した際の写真を掲載しました。) 昭和48年に採鉱を終えた生野鉱山ですが、この三菱マテリアル生野事業所は日本唯一となる錫の精錬施設に転じ、リサイクル錫を原料として現在も操業を続けています。 広い敷地内には数多くの建物が並んでいますが、その多くは明治期に建てられたもので、改装・改修を施されながら現役施設として使われています。 この事業所で最も大きな建物となる旧混汞所。現在は事務所として使われています。 砕いた鉱石と水銀を混ぜて加熱し銀を取り出す、一連の工場施設の中核を為す施設でした。 煉瓦造2階建てですが、当初は1階建で建てられ、後年に2階部分を増床しています。 現在は外壁にモルタルが塗られていて見えませんが、1階部分はフランス積、2階の増築部はイギリス積の変則的な構造です。竣工時にフランス人技師が手掛けた1階は当然ながらフランス積が使われ、後年の増築時には当時主流となっていたイギリス積を採り入れたものと思われます。 階段の上にも大きな建物が見えます。搗鉱所と呼ばれたこの建物は、鉱石を粉砕する施設として使われました。明治7年築。 搗鉱所を繋ぐ階段の石組。アーチ部分は煉瓦で塞がれています。 ここから先は見学コース外との事で残念ながら進めませんでした。 正門を入って最初に見えてくる建物です。手前に見えるのが中門休憩所、その奥に重なるように建つのはオリバーフィルター室(砕いた鉱石を濾し分ける施設)と呼ばれた建物です。 この2棟は竣工時の建物ではなく、明治中頃に建てられています。 外壁の一部はモルタルが剥離し、イギリス積煉瓦の下地が見えています。 各地の鉱山が閉山を余儀なくされる中、このような古い精錬所の殆どは取り壊されてしまいました。 三菱マテリアル生野事業所に現存するこれらの建物は、現役で使われている明治期の精錬所建物として極めて貴重な例であり、日本の近代鉱業の基礎を築いた生野の歴史を今に伝える優れた産業遺産となっています。
by sunshine-works
| 2012-11-06 23:57
| 近代建築 兵庫県
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