2011年 07月 07日
姫新線播磨高岡~美作土居間の橋梁①
播磨の鉄道遺産その5

昭和5年に姫路~余部間で開業した姫津線はその後西へ延伸を続け、昭和11年には津山方から延ばされた姫津西線と結ばれて現在の姫新線へと発展していきます。この姫新線の兵庫県側、播磨高岡から県境の万ノ峠トンネルまでの区間では、山裾を流れる幾つもの河川を鉄橋で越えて行きますが、これらの多くは同線開設時に架けられた物が現用施設として使われています。今回と次回はこの区間に残る昭和初期の鉄道橋梁を紹介します。

姫路発の姫新線は播磨高岡~余部間で大きな川を渡ります。この夢前川橋梁は姫津線の橋梁として最初に施工されました。
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姫路の中心部からほど近いこの辺り、当時はのどかな景色が広がっていた一帯も現在は住宅地となっています。街区の中ほどを橋桁が貫き、護岸の向うへ延びていきます。
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広い河川敷を渡る夢前川橋梁。コンクリート橋脚に鋼製プレートガーダーを渡したこの時代の標準的な橋梁ですが、上が窄まった錐形の橋脚は同時期の他の姫新線橋脚には見られない独特の形をしています。
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太市~本竜野間に架けられた林田川橋梁。揖保川水系の小さな川を渡ります。
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旧姫津線の橋梁としては 最も大きな橋梁 夢前川に次ぐ大きな橋梁がこの揖保川橋梁です。昭和7年の東觜崎~ 播磨新宮間開通時に架けられました。
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大正期以降各地の線区に導入されたコンクリート橋脚の基本形とも言うべき楕円形断面の橋脚。山陽本線が複線化された際に架けられた橋梁の橋脚とほぼ同じ規格ですが、頂部の傘石は省かれています。
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周囲に山々を臨む雄大な景色の中、静かな川面を単編成の気動車が渡っていきます。
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by sunshine-works | 2011-07-07 17:26 | Trackback | Comments(2)
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Commented by tajiri8jp at 2011-07-07 18:38
就職してすぐ、新宮町、今のたつの市に3年間暮らしました。姫新線にはよくお世話になりました。懐かしいです。
こんな価値も知らずに利用していましたが(笑)。
Commented by sunshine-works at 2011-07-07 23:18
tajiri8jpさん こんばんは。
建造物に比べると橋梁は由来や築年があまり知られていないのが殆どだと思います。特にこの様なシンプルな構造の橋は当時から殆ど進化していないので、身近にあってもどの時代の物なのかなかなか判別が出来ません。
因みに、姫新線そのものも(良い意味で)殆ど進化していない線区でもあります。


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