2009年 02月 25日
加古川の近代建築その4 JR加古川駅の南西に煉瓦塀で囲まれた広大な工場敷地が広がります。明治32年に操業を開始したこの日本毛織加古川工場は、後年に川の対岸に建てられた印南工場と共に加古川が近代工業都市として大きく発展するきっかけとなりました。 日本毛織は明治29年に大阪で創設され、創業者の川西清兵衛はこの会社を土台として川西財閥を築きあげます。今日ほど洋服が普及していなかった当時 日本毛織は軍需によってシェアを伸ばし、やがて日本一の毛織物製造会社に成長していきます。加古川に造られた二つの工場は同社の中でも規模が大きく、主力工場として位置付けられていました。 線路の南側、加古川の土手に沿って敷地が続いています。いかにも明治期に造られた工場と言った風情の煉瓦建物が並んでいます。 工場を取り囲む煉瓦の壁。複雑に屈曲しながら延々と伸びています。 敷地内には煉瓦建物に混ざってコンクリートの建物も見えます。大正または昭和初期の築でしょうか。 この門衛所も相当古い建物です。 敷地の北側にある大きな建物。汽缶室(ボイラー室)と思われます。(旧鐘渕紡績洲本工場にも良く似た建物がありました) この加古川工場の生産体制は時代と共に隣の印南工場へとシフトされ、工場規模も段階的に縮小されて来ました。かつて北側に広がっていた敷地は商業施設に再開発されています。この建物の手前も整地が進んでおり、やがて何らかの施設が建つと思われます。 加古川を挟んで西岸に位置する印南工場です。印南工場は大正8年に操業を開始しています。 こちらの工場も同じように鋸屋根を持つ煉瓦の建物が並びます。 毛織物が主要な輸出品に成長し、生産高が順調に伸びていく中、二つの工場は加古川の町を大きく潤して行きます。 産業構造の変化で往時の勢いを失ってしまった繊維産業ですが、日本の近代産業の牽引役として全国各地にこのような企業城下町を育み、地域を発展させた功績は多大なものがありました。
by sunshine-works
| 2009-02-25 21:12
| 近代建築 兵庫県
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Comments(2)
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from ものところ
at 2009-06-03 02:12
タイトル : 車窓から見た風景
関西への移動中名古屋京都の間に、いつも新幹線から見て驚く風景があります 巨大で不思議なたたずまい、宙に浮いています… 気になって検索してみると、太陽光発電ソーラーアークというものらしく中も入れるようです 神戸から友人の住む岡山の吉永の移動中の加古川駅付近でも素敵な風景を見つけました 赤煉瓦の大きな建物群、、ところどころに古びた煙突 大きなひつじにかいた「ニッケ」の文字 現役の工場なのでしょうか 加古川は今度途中下車してみようと思います。 こんな感じでした ブログランキング...... more
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ワイスカ
at 2014-09-08 13:34
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こちらの建物は既に全て取り壊され、病院になります。
高砂側は現在も稼働されているので存在しています。 写真を撮るようになったのが最近なので、壊される前に収められなかったのが残念でなりません。 なので、今残っているモノを時間の許す限り、可能な限り見て回りたいと思っています。
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sunshine-works at 2014-09-24 12:50
ワイスカさん こんにちは。
この写真を撮った時点でも徐々に整地が進んでいましたので、やがては更地になってしまうものとの予感がありました。何とか残してほしかったとは思いますが、市街の中心に近い場所でこれだけの面積ともなれば、再開発は致し方ないのかも知れません。 |
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