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2012年 01月 29日
鳥取県八頭町の近代建築その2 鳥取から播磨へ至る因幡街道は、若桜宿を越えた先で八東川を渡ります。この地点に架けられた若桜橋は、三連アーチの美しいコンクリート橋梁として昭和9年に竣工しています。 ![]() 若桜の古い町並みを抜けた先、町の東玄関にあたる場所をこの若桜橋が渡ります。鳥取南東部の中核として栄えた若桜の町の象徴として、70年余りを過ぎた今日も竣工当時の姿を湛えています。 ![]() ![]() ![]() ![]() 大正期から昭和初期にかけて各地に数多く架けられた、鉄筋コンクリート上路アーチ橋の鳥取県に於ける先駆けとなった橋です。 この橋が架けられた昭和9年当時、鉄筋コンクリート上路橋は既存の技術として珍しい物ではありませんでしたが、この様な地方町村に於いては、初めて目にする近代橋梁として人々に大きな感銘を与えるものとなりました。 ![]() 橋長83メートル、3連のアーチが連なるこの橋は、当時のコンクリートアーチ橋としては規模が大きく、豊かな装飾表現と相まって、竣工時より当地の名所となりました。*詳細資料はこちら ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 橋上のクローズアップ。親柱や高欄は竣工当時の姿が良好に残されています。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 町の成り立ちに川が密接に関わっている事例は数多くありますが、若桜も八東川と街道が交わる交通の要衝として栄えた町でした。 竣工以来70年以上を経た今も、街道の要として重要な役割を果たすこの若桜橋は、川と共に栄えた若桜の町のランドマークに相応しい存在感を示しています。 ![]() 2012年 01月 25日
香川県観音寺市の近代建築その2 讃岐山地を発して三豊平野を西流し瀬戸内海に注ぐ財田川の河口近く、観光名所の琴弾公園の手前に三連のアーチ橋が架かっています。日本百名橋にも選ばれたこの橋は、四国では珍しい鉄筋コンクリート橋として昭和10年に架けられました。 ![]() 観音寺の中心市街地から宅間方面へ伸びる街道が財田川を渡る箇所に架けられた三架橋は、西讃の中心都市だった観音寺の交易を支える橋として代々重要な役割を担うと共に、町の中央を貫く財田川を彩る景観の要としても親しまれていた橋でした。 木橋だった旧橋の架け替えに際しては、三連の太鼓橋だった江戸期の橋の姿を再現するようなコンクリートアーチ橋が採用され、ランドマークとしての橋の役割を考慮した美しい橋となりました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() コンクリート橋は歴史としては古くからあるものですが、近代橋梁としてのコンクリート橋は鉄筋コンクリート技術が確立された大正期以降に普及していきます。当初はそれまで石や煉瓦で造られていた上路アーチ橋の素材をコンクリートで置き換えたものが殆どでしたが、橋梁技術が進むにつれてこの様な下路式のコンクリートアーチ橋が開発されます。 特に戦時色が強まる昭和10年代には、鉄材の不足を補う目的で導入されて行きました。 昭和10年に架けられた三架橋が鉄筋コンクリートアーチ橋となった経緯にもこの様な理由があったと推測されます。 ![]() ![]() ![]() ![]() 橋上に滑らかな曲線を描くアーチ部分。コンクリートアーチならではの優雅さです。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 旧市街地を抜けた先から橋の南詰を眺めます。橋の向こうは寺社が建ち並び、古くから市が立てられた賑やかな一角でした。 ![]() ![]() ![]() 2012年 01月 21日
岡山県高梁市の近代建築その2 蛇行しながら南流する高梁川は、備中川面駅の手前で一旦流れを北東へ変えます。大きな屈曲部となっているこの地点の先端には対岸へ渡る大きな橋が架けられています。 昭和11年に架けられたこの田井橋は、室戸台風の復興橋としては最大の径間を渡る橋となりました。 ![]() 山裾の小さな集落を抜けると巨大な橋が見えてきます。主要幹線ではなく、ごく普通の地方道の橋として架けられています。 ![]() ![]() ![]() 川中に橋脚を設けずに80メートルの川幅を一跨ぎします。巨大な桁を架ける必要から、アーチ橋の一種、ランガートラスと呼ばれる形式が採り入れられています。現在では80メートルを超える桁は珍しくありませんが、当時としては最大級のものでした。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 同時期に旭川に架けられた旦土大橋も80メートル級の桁を用いていますが、曲弦トラス形式の旦土大橋に対してランガーアーチ式の田井橋はトラスがすっきりとして軽快な印象に映ります。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 田井橋は、高梁川がU字に折れ曲がる頂点に架けられています。この様な箇所では増水時に流速・流量が増えて橋脚が押し流されたり、流下物が橋脚や橋桁に絡んで川を塞ぎ、氾濫を引き起こす危険性があります。 室戸台風で先代の田井橋が橋脚を流された教訓を踏まえ、川中に橋脚を設けず、当時の技術で最大のスパンを渡せるこの形式が選ばれました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 長閑な山村に巨大な橋が融け込む美しい風景です。 ![]() 2012年 01月 17日
岡山県高梁市の近代建築その1 高梁市の北部、国道180号線から分岐して伯備線方谷駅へ至る短い県道が結ばれています。僅か170メートルのこの県道の半分以上を占める中井橋も、室戸台風からの復旧橋として昭和12年に架けられています。 ![]() 高梁川と並行して進む国道から、対岸にある方谷駅へ渡る橋として90メートルの川幅に2連のポニーワーレントラスが渡されます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 前回紹介した広石橋とはトラス部分の桁長がほぼ同じ、トラスの数や鉛直材を添えている点も同じで、見た目は非常に似通っています。 制作は桜田機械製造所で、広石橋を手掛けた松尾橋梁とは異なるものの、寸分互わぬ程に統一された2橋から推測すると、岡山の復旧橋梁には規模に応じた幾つかの標準規格が用いれられていたと思われます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 黎明期の鉄道橋にも用いられたこの形式のトラスは、構造が簡単で経済性に優れる特徴を活かして全国各地に架けられます。プレートガーダーでは届かない桁長の橋梁に於いて、おおよそ50メートルまでは主としてこの形式が用いられました。 ![]() ![]() ![]() ![]() |
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