2024年 03月 24日
任天堂旧本社建物(丸福樓)
京都市下京区の近代建築その14

河原町通りを東へ折れ、正面通りに沿って鴨川岸へ進みます。通りが正面橋を渡る手前、住宅や商店が並ぶ街路の一角に、昭和初期に建てられたタイル張りの洋風建築が建っています。
現在は高級ホテルとして使われているこの建物は任天堂の本社社屋として昭和5年に建てられました。
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この建物は明治22年に花札製造業者として始まった山内房次郎商店(後の任天堂)が本社として新規に建てた社屋で、トランプやかるたを含めたカード遊具のトップ企業として隆盛を極めた同社の象徴となる近代的な鉄筋コンクリート造の建物として昭和5年に竣工しました。
敷地は正面通りと交わる二ノ宮通りに沿って南北方向に延び、事務所、住居、倉庫の三つの建物が並んで建てられました。
これらの建物は戦後に本社機能が移転した後も同社の所有のまま残されていましたが、令和に入ってホテル施設として改装する計画が立ち上がり、令和4年、既存の区画と中間に増設された新設部分に合計18の客室やレストラン、ロビー等を配置する高級宿泊施設「丸福樓」として開業します。
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二ノ宮通りに沿って並ぶ建物。南に旧事務所棟、北に旧倉庫棟、中間には旧住居棟と改装時に新築されたガラス張りの棟が並びます。
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竣工当時の姿で残る既存棟の外観。住居棟と倉庫棟は鉄筋コンクリート造三階建て切妻屋根、化粧タイル貼。窓庇や窓台を繋げて水平ラインを強調する当時流行りの表現手法を用いています。
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1階部分には和瓦を葺いた築地壁風の塀を廻らせ、街並みとの調和を取ります。
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敷地を仕切る塀で1階を隠し、倉庫棟の屋根は後方に一段セットバックした位置に架けます。高さを目立たせないこの造りも、平屋家屋が並ぶ当時の街並みに合わせた配慮とも思えます。
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ロビーとフロントが置かれる旧事務所棟。直線と曲線を組み合わせたアールデコ様式のモダンな意匠です。
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玄関から繋がる門塀の中央には屋号の丸福の紋を飾ります。
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玄関周りは上下で色を変えた切石を貼っています。
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# by sunshine-works | 2024-03-24 11:22 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2024年 03月 17日
旧柳原銀行本店
京都市下京区の近代建築その13

京都駅の烏丸口から塩小路通りを東へ進みます。河原町通りを渡って南に折れた先の開けた一角に明治期に建てられた銀行店舗が残されています。
この建物は旧柳原銀行の本店として明治40年に建てられました。
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木造2階建て、下見板張り。地元の棟梁による所謂疑洋風建築で、縦長窓を廻らせ、三角破風を掲げた当時の一般的な木造洋館のスタイルです。
外壁は下見板貼りで、胴蛇腹に縦方向の羽目板を貼って変化を付けています。
大正期以降に非木造が一般的になっていく銀行建物の中で、明治期に建てられた木造銀行店舗が保存されているのは全国的にも希少な事例となります。
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柳原銀行はこの周辺地区の有志11名の出資により明治32年に設立された民間銀行で、地場の産業である皮革加工業を中心とした中小商工業者を資金面で支えて行きます。
設立後の柳原銀行の業績は順調で、明治末年までに数度に渡る増資や高率の配当を維持し、資金を蓄えます。
柳原銀行はこれら収益の多くを町のインフラ整備や学校運営に充て、貧困や差別に苦しむ当地区の振興と生活改善を担いました。
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建物は上から見て台形状で、上底にあたる部分に入口を構えます。突き出した庇や車寄せは無く、入口上部の三角ペディメントを装飾の要とします。
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側面から裏側の眺めです。銀行店舗の後に商店や住宅として使われた為に数度の改修が行われましたが、現在は当時の資料を基に竣工時の姿を取り戻しています。因みに全体に塗られているうす緑色のペイントは修復時のもので、元々は茶色系の塗装だったようです。
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大正期に入り山城銀行と名称を改めた柳原銀行は、京都全域を活動域を広げ、第一次大戦による好況の下で業績を伸ばしますが、その後の世界不況の煽りを受けて資金繰りが一気に悪化、昭和初期には取付騒ぎを発端としてついに破綻してしまいます。
現存するこの建物が銀行店舗として使われた期間は約20年程と短いものでしたが、設立の経緯や果たした役割りの重要さから、移築と修復保存が決定し、平成9年から資料館として公開されています。
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# by sunshine-works | 2024-03-17 11:20 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2024年 03月 10日
旧開智小学校
京都市下京区の近代建築その12

前回紹介した旧成徳中学校が面する高辻通りを東へ進みます。
烏丸通りを渡り、佛光寺の門前を越えて程なく進んだ一角に、昭和初期に建てられた旧小学校校舎が残されています。
現在は学校歴史博物館として使われているこの建物は開智尋常小学校の校舎として建てられました。
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開智小学校もこれまで紹介した成徳小学校淳風小学校と同じく明治2年に設置された番組小学校の一つで、下京第11番小学校として開かれました。現存する校舎は昭和13年に建てられた教室棟(本館)と昭和11年に建てられた講堂、昭和31年に建てられた北館からなり、本館と講堂部分が博物館施設として公開されています。
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戦前築の二つの棟。左が講堂、右側が本館。玄関右側の張り出しは博物館改修時に付けられたエレベータ施設です。
一繋がりとなっている講堂と教室棟は統一された意匠で、横長窓と窓台で水平ラインを強調します。
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戦後に建てられた北館部分も本館と意匠を合わせて統一感を保っています。
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玄関部分には和風の庇を張り出します。この玄関庇は当初からのものではなく、かつて成徳小学校の玄関車寄せとして設置され、その後寺院の門として使用されていたもので、博物館開設後の平成19年にこの地へ再移築されました。
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開智小学校は平成4年に洛央小学校に統合されて123年の歴史を終えます。その後改修工事を経て平成10年から京都市の小学校教育に関する資料の展示施設として使われています。
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階段床板は木貼りではなくタイルを敷き詰め、腰壁や手摺にも石を使う贅を凝らした造りです。
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階段を上った先の扉は講堂の入口。講堂は本館に隣接する二階建てで、1階部分に室内運動場、2階に講堂が置かれていました。
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館内は各種展示室が並び、かつての教室を再現した区画も設けられています。
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敷地の東側には和風の正門を構え、左右に石塀を廻らせます。正門は明治34年、石塀は大正7年に設置されたものです。
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校舎裏側、西面の眺めです。
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# by sunshine-works | 2024-03-10 11:26 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2024年 03月 03日
旧成徳中学校
京都市下京区の近代建築その11

京都市の中心部、四条烏丸のビジネス街の程近く、高辻通りに面した一角に、昭和初期に建てられた旧小学校校舎が残されています。
この建物は旧成徳尋常小学校の校舎として昭和6年に建てられました。
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成徳尋常小学校は、前回紹介した旧淳風小学校と同じく番組小学校をルーツとする小学校で、明治2年に下京九番組小学校として設立されました。
現存するこの校舎は昭和6年に当地に移転した際に建てられたもので、昭和23年からは成徳中学校に校舎を移管し、平成19年まで使用されました。
昭和6年に建てられた校舎は一階壁面にアーチ型の窓や入口を並べた優美な造りで、殆ど装飾要素の無い上階部分との対比が意匠を際立たせます。
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正門は建物東端に設けられています。この校舎の特徴の一つが玄関周りや門柱及びアーチ窓部分に切石を用いている事で、小学校校舎としては珍しい豪華な造りとなっています。
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建物西側にもアーチで囲まれた入口を構えます。右隣に並ぶ棟は増築された新館部分です。
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成徳中学校が廃校となった現在は、統合した下京中学校が体育館とグランドを使用し、旧館部分には、まちづくり大学や文化協会などの団体が入居しています。


玄関ホール内部。アーチを廻らせ、化粧タイルや石を貼った階段周り等、外装に劣らぬ凝った造りとなっています。
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校庭側の眺めです。
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三階の窓は下階の窓幅を半分に割り、変化を付けています。


# by sunshine-works | 2024-03-03 11:15 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)